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匥生賞G2で「倧差圧勝」を挔じた䞍良銬堎の鬌。「史䞊最高の道悪巧者」レむンボヌアンバヌの物語【競銬クロニクル 第45回】

匥生賞G2で「倧差圧勝」を挔じた䞍良銬堎の鬌。「史䞊最高の道悪巧者」レむンボヌアンバヌの物語【競銬クロニクル 第45回】の画像1

 匥生賞、チュヌリップ賞ずいうトラむアルレヌスの名前を聞くず毎幎、いよいよクラシックシヌズン到来、ず心が浮き立぀ものだ。すでに本番に狙う銬を決めおいる人、トラむアルを芋おから決める人、本番盎前の情報を芋ないず決められない人。ファンのタむプもさたざただろうが、もう䞀か月もすれば「その時」はやっおくる。

 匥生賞を珟堎で芳るようになっおすでに40幎近く経぀が、ディヌプむンパクトのように桁違いの勝ち方をした銬数頭を陀いお、筆者の蚘憶にもっずも深く刻み蟌たれた匥生賞は1989幎、レむンボヌアンバヌが勝った幎のレヌスだ。

「史䞊最高の道悪巧者」レむンボヌアンバヌの物語

 話は少し飛ぶが、春倏に匷い野芝だけで行われおいた1990幎以前は、秋冬になるず野芝が枯れお、土が露出するほど傷んだ状態になるこずがデフォルトだった。有名な゚ピ゜ヌドに、第1回ゞャパンCが行われた1981幎のこず、芝が枯れお黄色っぜくなった銬堎を初めお芋た倖囜銬の調教垫が真面目な顔で「芝コヌスはどこにあるんだ」ずJRAの職員に嫌味を含んだ語調で蚊ねたずいう。欧州のホヌスマンには、枯れ芝でレヌスをするこずが理解できなかったのである。

 その埌、JRAは「通幎、緑の芝生でレヌスをする」ずいうテヌマのもず、䞖界最高レベルの技術を持぀ず蚀われる銬堎造園課が䞭心ずなっおさたざたな研究を行い、結果的にたどり着いたのが「オヌバヌシヌド」ずいう技法だ。春倏の競銬が終わるず、その先は枯れおいく野芝の䞊に掋芝の皮を撒いお成長を促す。するず秋シヌズンには寒さに匷い掋芝が生えそろい、銬堎は緑に保たれる、ずいうのがその仕組みである。

 そういう事情もあっお、1980幎代たでは気候によっお芝が傷んだり枯れたりするこずがたたあり、その䞊に倧雚でも降ろうものなら、芝銬堎なのに「泥田」「泥んこ銬堎」ず呌ばれるような酷い状態になるこずも少なくなかった。

 レむンボヌアンバヌが勝った1989幎は前日からの雚がレヌスになっおも止たず、芝コヌスは「泥田」そのもの。極端に酷い「䞍良」の状態で行われた。

 レむンボヌアンバヌの父アンバヌシャダむその父は瀟台グルヌプが倧躍進する土台を䜜ったスヌパヌサむダヌのノヌザンテヌストは、珟圹時に有銬蚘念G1やAJCCG2を2連芇した実瞟を持ち、皮牡銬ずしおも宝塚蚘念G1を勝ったメゞロラむアンを送り出した。レむンボヌアンバヌはその2幎目の産駒ずしお、倧井から䞭倮ぞ移籍しおからのハむセむコヌを管理・階乗した鈎朚勝倪郎調教垫、増沢末男階手コンビのもずでデビュヌする。

 しかし、レむンボヌアンバヌは最初から走ったわけではない。

 2歳の11月に犏島でデビュヌしお、初勝利を挙げたのは3戊目の未勝利戊ダヌト・1400m。幎を越しお芝2000mの若竹賞珟・1勝クラスを4着に敗れたが、続く東京のダヌト・1600m戊では、スタヌトからハナを切るず、そのたた2着に倧差を぀けお逃げ切りで圧勝。勝った2戊ずもがダヌトだったので、この時期、レむンボヌアンバヌはダヌト銬ずの声も䞊がっおいた。

 しかし陣営はクラシック戊線ぞ進むこずを諊めず、次走には初の重賞挑戊ずなる共同通信杯4æ­³SG3を遞択。するず圌は難なく先頭を奪っおレヌスを匕っ匵るず、盎線ぞ向いおも脚色は衰えず。逃げ切りかず思われたずころぞ䞭団から急襲したマむネルブレヌブに半銬身亀わされお2着ずなった。単勝5番人気ずいう評䟡を芆し、芝でも戊える目途が぀いた1戊だった。

 続くタヌゲットは、皐月賞G1ぞの出走を確実にするため、3着たでに優先出走暩が䞎えられるトラむアルレヌス、匥生賞ずした。

 長い降雚で発衚された銬堎状態は「䞍良」。傷んだ野芝はさらに掘り返され、氎が銬堎の衚面に浮いおいる最悪のコンディションず蚀っおもいい有様だった。

 しかしレむンボヌアンバヌは、ここで驚愕のレヌスを芋せた。

 逃げたいダブルスチヌルを先にやっお2番手に぀けたレむンボヌアンバヌは、泥んこ銬堎のなかでも䜙裕綜々の走りを芋せる。䞀方、単勝オッズ1.4倍の1番人気に掚されたサクラホクトオヌらは緩くタフな銬堎に手こずっお远走が手䞀杯ずいう状態で、向正面で階手が手綱をしごく銬のほうが倚かった。

 迎えた盎線。レむンボヌアンバヌは逃げたダブルスチヌルをあっさり亀わしお先頭に躍り出るず、あずはワンサむドゲヌム。埌方集団をみるみる突き攟し、ゎヌルでは2着のワンダヌナルビヌに倧差1秒7もの差を付ける匷烈なパフォヌマンスを披露したのである。

 走砎タむムは「良」銬堎で行われた前幎の1988幎の2分01秒1よりも6秒6も遅い2分07秒7ずいう消耗戊ちなみに、走るこずに嫌気を差したのであろうロマネコンティは最終コヌナヌを曲がらず倖ラチに向かっお逞走し、競走を䞭止するずいうひず幕もあった。䞀郚のファンは「道悪の鬌」「ダツの脚には『氎掻き』が付いおいる」などずゞョヌクを飛ばすほどの話題になったが、ダヌト戊で2勝を挙げおいるようにタフさに優れ、同時に道悪でも走りがぶれない䜓幹の匷さも持ち合わせおいたがゆえの、ファンや関係者を唖然ずさせる圧勝劇だったのだろう。

 その埌のレむンボヌアンバヌは運に芋攟され、巊前肢の裂蹄によっお、目前のタヌゲットだった皐月賞ぞの出走を盎前で回避。続く日本ダヌビヌG1ぞの参戊も諊めざるを埗なかった。

 倏を䌑逊ず治療に充おたレむンボヌアンバヌは秋シヌズンに埩垰。新たなコンビである加甚正を鞍䞊に迎えるず、初戊ずしたトラむアルの京郜新聞杯G2は勝ったバンブヌビギンから0秒4差の5着に終わった。

 続く菊花賞G1では単勝4番人気に掚されるず、盎線で早めに先頭に立っおゎヌルを目指したが、圌をマヌクするように進んでいたバンブヌビギンに1銬身半亀わされお2着ずなった。匥生賞の圧勝劇はフロックではなく、長距離戊を埗意ずした父アンバヌシャダむの血を感じさせ、たた、本銬のポテンシャルの高さをあらためお認識させられるレヌスずなった。

 しかしその埌、もずもず脚が䞈倫ずは蚀えなかったレむンボヌアンバヌはたびたび脚郚䞍安に芋舞われ、タヌフに戻れないたた皮牡銬入りするこずになった。

 G1の勝ち鞍がなかったこずもあっお、皮牡銬入りしたレむンボヌアンバヌは産駒数も少なく、目立぀掻躍銬を送り出すこずはできなかった。しかし2018幎のこず、母方の曜祖父にレむンボヌアンバヌを持぀レむンボヌラむンが、タフさを芁求される倩皇賞・春G1を制芇。久しぶりにレむンボヌアンバヌの名前が茝いた䞀瞬だった。

「匥生賞」ず聞くず条件反射的に「レむンボヌアンバヌの倧差勝ち」が浮かぶような競銬脳を持っおいる筆者ではあるが、僭越ながら圌にこの称号を莈りたい。

「史䞊最高の道悪巧者」ず。敬称略


【日時】2024幎03月02日 10:00
【提䟛】GJ

本サむトに掲茉されおいる蚘事の著䜜暩は提䟛元䌁業等に垰属したす。