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NO.11621571
「ナチス」に぀いお少しでもポゞティノなこずを語れば、いきなり異端審問されおも文句は蚀えないのか【仲正昌暹】

1934幎、囜䌚議事堂で挔説したアドルフ・ヒトラヌず敬瀌するナチス党員

  『怜蚌  ナチスは「良いこず」もしたのか』ずいう岩波ブックレットが発売されたのを機に、「ナチスは良いこずもした」、ず受け取られる発蚀をするず、この共著ブックレットの著者の䞀人の信奉者ず思われる人たちから、ネット䞊で集䞭攻撃され、「お前は、ナチスを肯定するネトりペだ」、ず人栌攻撃される事態がたびたび生じおいる。私も少し前に、被害にあった。「別にナチはなかなかいい所がある、ず蚀いたいわけではない。神でもないのに、ナチスは䞀切良いこずをしなかった、ずいう䞻匵を受け入れるか吊か、他人に二者択䞀の遞択を突き付けるような行為がおかしい、ず蚀っおいる」ず説明しおも、圌らは聞く耳を持たず、「お前それでも倧孊教授か」「こんな皋床か」「これで党䜓䞻矩の解説本曞いおいるなんお、ダバい」、ず私が嫌がりそうな、ありずあらゆる眵声を济びせかけおくる。圌らは䞀䜓䜕のために、こういう「反ナチ」掻動をしおいるのか。こういう蚀動がどうしお倉なのか考えおみた。

 念のためにもう䞀床蚀っおおくず、私自身は「ナチスが䜕か良いこずをやった」ず䞻匵したいわけでもないし、そういう䞻匵を擁護したいわけでもない。むしろ、そういうこずを蚀う人ずは距離を取りたい方である。私のナチスに察する奜き嫌いの話ではなくお、「ナチスは䜕もいいこずはやっおいない」ず蚀われお、「そうかな、いろんな偎面を现かく分けおみれば、少しくらいはいいこずもしおいるんじゃない」、ずいう玠朎な疑問を呈する人に察しお、そういう発蚀を蚱さず、「お前は分かっおない。これを読んで勉匷しろ。そんなレベルで発蚀するな」、などず匷芁する行為を問題にしおいるのである。

 そしお、そうした傲慢な態床の“根拠”になっおいる、「ナチスは党く良いこずをしなかった」ずいう断定は、いかなる意味でも孊問的な態床でなく、宗教めいおいる、ずも蚀っおおきたい。疑䌌宗教的な前提に基づいお、意芋が違うように芋える人を集䞭攻撃しお粟神的に参らせ、黙らせるのが、真剣にナチズムに぀いお孊び、考えようずする人間のやるこずか。たるで異端審問だ。

 「ホロコヌストの問題があるので、ナチス政暩は党䜓ずしお肯定的に評䟡できない」ず、「ナチスは䞀切良いこずをしない。絶察悪だ」は党く別次元の䞻匵である。ナチ・プロ的な掻動をしおいる人たちは、前者ではなくお、埌者に拘る。無論、「ナチスは良いこずをしない」が単なる蚀い回しで、実質的に前者ず同じなら、目くじらを立おる぀もりはない。たた、䞖の䞭で蚀われおいるナチスがやった「良いこず」のこずごずくを吊定したいず思い、そういう意芋を衚明するこずは、それこそ本人の自由である。それを、キリスト教の教理問答のような圢で、他人に匷芁しおおきながら、正矩の味方のふりをする態床が傲慢極たりないず蚀っおいるのである。

アドルフ・ヒトラヌ

 

 このように蚀うず、「お前はブックレットを読たないで批刀しおいる。ナチスがやるこずが党お悪だずは蚀っおいない」ず隒ぎ出す連䞭がいる。「ナチスは「良いこず」もしたのか」ずいうタむトルは明らかに党吊定を瀺唆しおいるし、著者の䞀人の田野倧茔君――圌が若手で、あんな尊倧ではなかった時代を知っおいるので、こう呌ぶ――の信奉者たちは、そういう態床を取っおいる。ブックレットが異端審問の金科玉条になっおおり、圌自身がそれを煜っおいるふしがあるこずが問題なのだが、圌の信奉者がし぀こいので、ブックレットの䞉頁で、以䞋のように述べられおいる。

 

「珟代瀟䌚においおは、ナチスには良くも悪くも『悪の極北』のような䜍眮付けが䞎えられおいる。ナチスは『私たちはこうあっおはならない』ずいう『絶察悪』であり、そのこずを盞互確認し合うこずが瀟䌚の『歯止め』ずしお機胜しおいるのである」

 ナチスに察する批刀が「瀟䌚の歯止め」であるずいうのであれば、私も同意するが、「絶察悪」ずはどういう意味であろう。悪いこずしかしない、善は䞀切やらない、ずいうこずではないのか。圌らはそんな深い哲孊的意味で蚀っおいるわけではなく、気構えずしお“絶察悪ず思う”ずいう皋床の぀もりで蚀っおいるのかもしれないが、肝心なずころで、そういう曖昧な蚀葉䜿いをする感芚は私には受け入れがたいし、教祖様が「絶察悪」ず蚀っおいるのに、それを無芖しお、そんなこずはおっしゃっおないず匷匁する信者たちはどうかしおいる。「ナチスは良いこずを䞀぀でもしたか」を怜蚌するず衚明しおおきながら、「絶察悪」がどういうものなのか明らかにしないのはダメだろう。

「絶察悪」は哲孊的過ぎお定矩できないずいうのなら、肝心なずころで、こんな宗教じみた蚀葉を出すべきではないし、少なくずも、自分たちが䜕をもっお「善悪」を刀定しおいるのかを最初に明らかにすべきだが、このブックレットのどこにも刀定基準は瀺されおいない。

五頁では以䞋のように述べおいる。

 

「善悪を持ち蟌たず、どのような時代にも適甚できる無色透明な尺床によっお、あたかも『神』の芖点から超越的に叙述するこずが歎史孊の䜿呜だず誀解しおいる向きは倚い。端的に蚀っおそれは間違いだし、そもそも䞍可胜である」

 

 その通りであるが、逆に、開き盎っお、勧善懲悪の刀定をする歎史曞も普通はないだろう。歎史家の䟡倀芳が蚘述に反映するのは臎し方ないこずだが、たずもな歎史家なら、䟡倀刀断を前面に出すのなら、自分の刀定基準を最初に瀺すはずだ。たしおや、ナチスが「良いこずをした」ずいう芋解を党吊定しようずいうのだから、自分の「善悪」の刀定基準を誀解のないよう、最初にはっきり瀺すべきだ。でないず、䜕を蚌明する本なのか分からなくなる。圌の信奉者たちはこの点を䞀切に気にしおいない。

1934 幎にニュルンベルクで開催されたナチスの党倧䌚

  

 第四章第八章にかけおの、よく知られたナチスの政策の評䟡をたずめた郚分に぀いおはさほど違和感はない。埓来から蚀われおいるこず、歎史の教科曞類に曞かれおいるこずをたずめ、比范的ナチス政暩に察しお厳し目の意芋を匷調する圢で参照しおいるだけだからである。しかし、ナチスの政策がプラスなのかマむナスか刀定する尺床はどこにも瀺されおいない。ナチスの功瞟ずされるものには、これだけ負の面があるず指摘されおいるよ、ず瀺唆しおいるにすぎない。基準の取りようによっおは、「良いこずもやった」ず蚀えそうな蚘述さえある。䟋えば、四六頁では、アりトバヌン建蚭の経枈効果に぀いお、「効果は限定的だったず刀断するのが劥圓だろう」ず述べられおいるが、これは「良いこずをしなかった」もしくは、むしろ「悪いこずをした」ずいうこずなのだろうか。だったら、どれくらいの「効果」があったら、「良いこずをした」こずになるのか、正解は䜕か、ずいう疑問が出おくる。

 私がこういう疑問を呈瀺するず、信者たちは、「答えは出おいる。お前はレベルが䜎い」ず隒ぐ。この人たちはどういう教育を受けおきたのか、ず思う。

 アりトバヌンの雇甚効果の正解は、経枈孊のプロに聞いおも埗られないであろう。いろんな前提条件があるので、はっきりした答えを出すのは無理だろう。それを玠盎に認めお、ポゞティノな面もあるず蚀っおいる人ず、焊点を絞っお議論すればいいのである。「答えは瀺された。お前は遅れおいる。黙れ」、ずいうのはおかしい。

 先ほど述べたように、歎史の叙述に、「善悪」ずいう抂念を開き盎るような圢で持ち蟌むのは論倖だが、どうしおも「善悪」に぀いお語りたいなら、察象を絞り蟌む必芁がある。「ナチス」ずは具䜓的に誰か、党か囜家か。党の堎合、䞀般党員やヒトラヌに反逆した人たで含むのか、囜家の堎合、䞀般囜民や公務員たで含むのか。あるいは、ヒトラヌ個人や幹郚だけを指すのか。幹郚ずいう堎合、どこたで含たれるか。

 どの範囲分野ず時期、どの偎面倫理的な芖点、経枈効率的芖点、政治的芖点、゚コロゞヌ的芖点、誰にずっおかも、特定しないず意味がない。少なくずも、ナチスの囜家運営には、ブックレットに扱われおいる以倖にも、金融や叞法、治安、囜防、治氎土朚などの分野がある。「経枈」に関係するあらゆる政策を「経枈政玢」ず䞀぀にたずめお、䞀九頁で党お語ったこずにするのは乱暎すぎないか。いずれのポむントに぀いおも、◇◇には経枈効果があったず蚀われおいるが、それは〇〇したおかげであり、それには△△の副䜜甚が䌎ったずいうような曞き方になっおいる。正解は䜕なのかが瀺されおいないので、「良いこずはしおいない」ず蚌明されたずは思えない。

 信者たちは、そんなのは難癖だ、そんな现かいこず蚀わなくおも倧䜓分かる、ずいうのだろうが、その“倧䜓”を根拠に、違う芋方をする人を「ナチス肯定者」ずしお責めるのだから、どうかしおいる。 

アドルフ・ヒトラヌ

 「良い」ずいう蚀葉を匷匕に定矩すれば、「ナチス」は絶察に誰にずっおも「良いこず」をしおいないこずにできるかもしれないが、それは孊問的に意味がないし、この䞖界に、絶察的な悪の暩化が存圚するかのような印象を䞎えるこずになる。絶察的な悪の暩化は、殲滅しなければならない、ずなる。それこそ、”ナチス的”ではないか。

 いかなる意味でも「善」をなさない、「絶察的な悪」ずいうのは、この䞖に存圚し埗ないし、もしそれが生身の人間ずしお実圚するずしおも、それが誰か芋抜くこずができるのは神だけだろう。私たちには、他人の本性を芋抜くこずなどできないし、他人の行動の党おを把握するこずさえできない。

 滅がすべき「絶察悪」ナダダ人を実䜓芖したから、ナチスの行動はどんどん、民族絶滅の方ぞ゚スカレヌトしおいったずは考えないのか歎史䞊の集団虐殺のほずんどは、それに起因するのではないか

 「絶察悪」ずいう抂念を哲孊的に掘り䞋げお考えるのはいいが、実圚する人間を「絶察悪」の化身ず芋なすのは、それがナチスの最高幹郚であったずしおも危険である。䜕故なら、その人物を基準に、絶察悪人の属性を特定し、それに圓おはたる人間を探したり、自分にはその芁玠がないず安心するこずに繋がるからだ。ナチ・プロたちは、「ナチスは少しでも良いこずをしたず思うか」、ず問いただし、「む゚ス」ず答えた盞手を叩きのめすこずが正矩だず思っおいる。「ナチス」を、他人を悪魔化し、自分を正矩の味方にするための尺床にしおいる。「絶察悪」ずいう蚀葉は、それずの戊うものは、「絶察善正矩」であり、䜕をしおも蚱される、ずいう錯芚を䞎えやすい。

 ナチスを肯定しようずするネトりペを封じるためには、こうした匷圧的なやり方も仕方ないず蚀う人もいる。しかし、そんなこずを蚀い出せば、「党䜓䞻矩の危険を未然に刈り取る」ための蚀論匟圧も正圓化される。本末転倒だ。党おの人に、ナチスに぀いお「正しい語り方をしろ」ずいうのは傲慢であるだけでなく、危険である。ナチスの財政・金融政策等を孊んだ人が、ナチスの政策を党䜓ずしおどう評䟡するかは、本人に任せるしかない。それが自由䞻矩瀟䌚だ。ナチスがやったこずを䞀぀䞀぀分解しお、どう評䟡すべきか考えるこずを蚱さず、「答えは出おいる。これに埓え」ず口封じするのは、自由のための戊う人のするこずではに。そんな口封じ、教理問答が圓たり前の瀟䌚は既に、自由䞻矩瀟䌚ではない。

 これは「統䞀教䌚問題」ず共通する点である。統䞀教䌚のやるこずに、少しでも肯定的なポむントを指摘したり、解散呜什請求に問題があったず述べたりするず、「お前は壷信者だな」、ず異端審問にかけられる。「ナチス」に぀いお肯定的なトヌンで語れば、異端審問によっお、蚀論の自由を吊定されおも仕方ないように、統䞀教䌚信者やその“シンパ”は蚀論の自由の適甚察象倖扱いされる。

  “敵”を悪魔化し、殲滅するこずが正矩だず思い始めたら、自分の方が悪魔になっおいる、ずいう、九〇幎代には圓たり前だった議論が、今ではほずんど通じなくなっおいる。

 

文仲正昌暹

【日時】2024幎01月19日 16:00
【提䟛】BEST TiMES

本サむトに掲茉されおいる蚘事の著䜜暩は提䟛元䌁業等に垰属したす。