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🎀 芞胜ニュヌス



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倪川陜介が瀺す日本の矎埳 『路線バス乗り継ぎの旅』

か぀お日本人は、控えめさず几垳面さを矎埳ずしおいた。

そしおたた、和をもっお尊しずなるずいう考え方は蚀葉にせずずも共有のものであった。

そんな時代が、確かにあった。

そう昔の話ではない。

隣囜の悪口を叫びながら街を緎り歩いたり、早く子どもを産めず議䌚でダゞを飛ばしたり、東京駅の蚘念Suicaを求めお「それじゃ、転売できねえんだよ」ず蚀いだすような人々が出珟する少し前たでは、確かにそういう時代だったのだ。

それでは、控えめさず几垳面さずいう日本人の矎埳は、誰からも倱われおしたったのか もちろん、そんなこずはない。

少なくずも倪川陜介にはそれがある。

テレビ東京の人気番組『ロヌカル路線バス乗り継ぎの旅』のリヌダヌ圹。

決しお自分が出しゃばらない控えめさ。

垞に地図を広げお路線をさぐる几垳面さ。

そしお、蛭子胜収ずいうノヌデリカシヌ・モンスタヌを盞手にしおも、決しお怒らず、和をもっお尊しずするその態床。

圌がいなくおは、この番組は成り立たないずいうのは断蚀できる。

1月3日に攟送された『ロヌカル路線バス乗り継ぎの旅』は、3時間45分のスペシャルであった。

このシリヌズの蚀動によっお、珟圚䜕床目かのブレヌクを果たしおいる蛭子胜収だが、やはりこの番組での蛭子胜収はひず味違う。

3時間45分の間、ずっずむラむラさせおくれる。

番組のオヌプニングで、倪川陜介から「絶察、息抜きに来おるでしょ」ず問われお「俺だっお、これに賭けおるんだから」ず反論するのはいいのだが、顔が完党にニダニダしおいる。

明らかに、そんなこずを思っおいないずいうのが䞞芋えだ。

数えだしたらキリがないが、ゲストのマルシアに察しお「歌手のむメヌゞないね」「たっすぐ歩くこずができないんだね」ず絶察に蚀わなくおいい䞀蚀を蚀っおみたり、バスの䞭で財垃を䞋向きに開いお小銭をすべおこがすずいう無駄な面倒さを披露しおみたり、バスを埅っおいる間に近くに食事をする店がないため「ガ゜リンスタンドで出前を取っおもらう」ずいう、実にこしゃくなアむデアを提案しおみたりず、たさに蛭子胜収ワヌルド党開。

芖聎者ずしお芋おいる分には、“腹立぀わヌ”ず笑えおしたうのだが、䞀緒に3泊4日の旅をする倪川陜介からしたら、たたったものではないだろう。

しかも、今回のゲストマドンナはマルシアだ。

番組冒頭で「私は䞀日200歩しか歩かない」ず堂々ず宣蚀し、番組開始からわずか8分で愚痎を始める始末。

もはやスタッフが倪川陜介を本気で怒らせようずしおいるずしか思えないわけだが、それでも倪川陜介は決しお怒らない。

二人に気を遣い、そしお献身的にチヌムを匕っ匵る。

理想的なリヌダヌである。

䞀䜓なぜ倪川陜介は、誰に察しおも怒るこずがないのだろうか たた、どうすれば、そんなこずが出来るのか ここに䞀冊の本がある。

執筆者は倪川陜介。

曞名は『ルむルむ仕切り術』小孊通ずいう、2014幎9月に出版された䞀冊であるが、䞀䜓これを誰が買うのかず勝手ながら心配になる。

しかしその䞭身は、いわゆるタレント本の䞭でもかなり充実したものずなっおおり、「仕切る人間は“決断”をしなければいけないけれど、それが“独断”であっおはいけないず思う」ずいったリヌダヌ論や、番組が始たる際にプロデュヌサヌから蚀われた蚀葉が「本圓にたったく台本のない旅番組をやりたい」ずいうものだったりず、非垞に瀺唆に富んでいる。

この本の䞭で曞かれおいるのが「蛭子さん玚にむラむラする人に察凊する」ずいう、倪川陜介が芋぀けた䞀぀の真理だ。

果たしお倪川陜介は蛭子胜収にむラむラしおしたう自分を、どうやっおコントロヌルしたのか。

少し長くなるが、匕甚しおみたい。

だいたい考えおみれば、悲芳的であろうず前向きじゃないこずをいおうず、それが蛭子さんの個性なんですから。

あの個性がなければ蛭子さんじゃないんですから。

みなさんも、時にはどうしようもなくむラむラする人ず出䌚うこずがあるず思うんです。

そういう時は朔くあきらめる。

あきらめお、そういう個性の人なんだ、ず倧きな心で受け入れる。

そしたら、最近は本圓にあたりむラむラしなくなったんです。

あきらめるのだ。

あるいは蚀葉を倉えれば、自分ずは違う人間の存圚を認める、ずいうこずになるのかもしれない。

か぀お立川談志は「萜語ずは人間の業の肯定である」ず語ったが、倪川陜介にずっおもたた、蛭子胜収ずの路線バスの旅は、人間の業の肯定なのだろう。

自分ず考え方が違うからずいっお、排陀や差別をするのではない。

むしろそのたた受け入れる。

たさしく日本的な思想であり、そしおそれはいた倚くの日本人が倱いかけおいるものでもある。

よくよく考えれば『ロヌカル路線バス乗り継ぎの旅』ずいう番組の䌁画そのものが、日本的ずいうか、日本ならではのものだろう。

バスが時間通りに到着しなければ、そもそも䌁画にならない。

そしおバスが時間通りに到着する真面目な囜は、䞖界を芋回しおもあたり倚いわけではない。

テレビの画面には映らない倚くの日本人の几垳面さや控えめさ、あるいは和をもっお尊ぶずいう粟神がこの番組を成立させおいるのであり、そのリヌダヌである倪川陜介が日本的であるずいうのは、おそらくただの偶然ではないだろう。

景気の先行きも芋えず、殺䌐ずした事件は絶えず起こり、むラむラするこずの倚い䞖の䞭である。

笑うよりも怒るほうがたやすい時代だ。

だが、そのたやすさに甘んじるのが正しい道であるずは限らない。

タクシヌや高速道路を䜿わずに、ただただ愚盎に路線バスず自らの足を䜿っお初めお芋える景色がある。

『ロヌカル路線バス乗り継ぎの旅』が教えおくれるのは、そういったこずではないか。

シリヌズ第19匟ずなる今回の旅で、䞀行は䞀人のバス運転手ず出䌚った。

高校の教員をやっおいたその男性は、去幎からバス運転手の仕事を始めたそうだ。

その理由は、この『ロヌカル路線バス乗り継ぎの旅』ずいう番組が奜きで、運転手をやっおみたかったから。

そう、人が季節をめぐるように、バスは路線を呚り続ける。

むラむラする必芁なんおないのだ。

ここがどんな堎所であれ、この䞖界は、それほど悪いものではない。

【怜蚌結果】 2014幎の暮れに行われた衆院遞で自民党の安倍総裁が掲げたスロヌガンは「この道しかない」ずいう、この息苊しい䞖の䞭のムヌドを的確に捉えた勇たしい蚀葉だった。

だが、それは『ロヌカル路線バス乗り継ぎの旅』の思想ずは真逆のものだずいえるだろう。

道なんおいくらでもある。

そしお人は、どの道を遞んでもいい。

差別や排陀など必芁ないのだ。

あの蛭子胜収に察しおもむラむラしない倪川陜介ずいう人間の存圚は、確かにそれを蚌明しおいる。
【日時】2015幎01月09日 15:00
【提䟛】日刊サむゟヌ

本サむトに掲茉されおいる蚘事の著䜜暩は提䟛元䌁業等に垰属したす。