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『モノ・マガゞン』ずいう発明【新保信長】新連茉「䜓隓的雑誌クロニクル」冊目

子䟛の頃から雑誌が奜きで、線集者・ラむタヌずしお数々の雑誌の珟堎を芋おきた新保信長さんが、昭和平成のさたざたな雑誌に぀いお、個人的䜓隓ず時代の倉遷を絡めお綎る連茉゚ッセむ。䞀䞖を颚靡した名雑誌から、「こんな雑誌があったのか!?」ずいうナニヌク雑誌たで、雑誌ずいうメディアの面癜さをたっぷりお届け「䜓隓的雑誌クロニクル」【冊目】「『モノ・マガゞン』ずいう発明」をどうぞ。

撮圱著者

【冊目】『モノ・マガゞン』ずいう発明

 

 時に1988幎。そこしか内定取れなかったので遞択の䜙地なく就職した教材系出版瀟を10カ月で蟞めお、新聞に求人の出おいた線プロに転職した。新卒で入った䌚瀟を10カ月で蟞めるような人間を、よく採甚しおくれたものだず思う。たあ、その分若かったし、線プロ的には「東倧卒」の肩曞が珍しく「ずりあえず採っずくか」ず思ったのかもしれない。

 その線プロは、䞻に『モノ・マガゞン』ワヌルドフォトプレスの特集や別冊を請け負っおいた。䞭途採甚であるからしお、圓然すぐさた珟堎に投入される。最初にやった仕事は『モノ・ビゞネス』ずいう別冊のワヌプロ性胜比范衚の䜜成だ。スマホでもパ゜コンでもなくワヌプロずいうずころが時代を感じさせる。資料を基にスペックをたずめただけだったが、自分の䜜ったものが初めお雑誌に茉った喜びは栌別だった。

 『モノ・マガゞン』本誌の仕事をしたのは、1988幎月日号の特集「ワヌプロ進化論」が最初だったず思う。ワヌプロ特集が重なったのはたたたただが、自分自身すでにワヌプロナヌザヌだったので、内容的にはやりやすかった。猪瀬盎暹、富野喜幞珟・由悠季、枡蟺えり子珟・えりずいった、圓時はただそれほど倚くなかったワヌプロ愛甚の著名人を取材した蚘憶がある。

 同幎12月日号では特集䞞ごず担圓した。題しお「カヌド倧䜜戊」。クレゞットカヌドを䞭心に、圓時党盛だったテレフォンカヌドなどのプリペむドカヌド、各皮䌚員カヌド、カヌド電卓やカヌドラゞオ、カヌド文具などを、いろんな切り口で玹介する。旅行やドラむブ、ショッピング、゚ンタメなどシチュ゚ヌション別のカヌド利甚法をストヌリヌ仕立おで芋せるペヌゞでは、わざわざ倖囜人モデルを䜿ったむメヌゞ写真を撮ったりもした。いろんなカヌドを拡倧カラヌコピヌしお、これたた圓時流行のシステム手垳のリフィルに芋立おた衚玙写真は、我ながらナむスアむデアだったず思う。

『モノ・マガゞン』ワヌルドフォトプレス1988幎12月日号。蚘事画像は同号p68-69より

  実はこの1988幎は、モノ情報誌創刊ラッシュの幎でもあった。䞖はたさに右肩䞊がりのバブル景気真っ只䞭。新補品を出せば売れるし広告もバンバン入る。そんな時代の波に乗っお、『Vice』近代映画瀟、『ビヌツヌル』ナツメ出版䌁画、『グッズプレス』埳間曞店、『ビギン』䞖界文化瀟、『ギア・マガゞン』孊習研究瀟ずいった雑誌が盞次いで登堎。『ビヌツヌル』は文房具専門、『Vice』ぱンタメやホビヌに軞足を眮いおいたが、『グッズプレス』『ビギン』『ギア・マガゞン』の誌は『モノ・マガゞン』ず同じ垂堎を狙っおいたず思われる。

 

 『ギア・マガゞン』はタむトルからしお䌌おいるし、誌面の構成やデザむンも䌌通っおいた。『グッズプレス』はサブタむトルが「䞖界のモノ情報」で「モノ」に「MONO」ず『モノ・マガゞン』の略称を思わせるルビを振り、「日本䞀のモノ情報量で創刊」ず謳っおいるあたりに『モノ・マガゞン』ぞの察抗心がうかがわれる。『ビギン』は、のちに『レオン』を創刊する岞田“ちょいワル”䞀郎氏が線集長を務めただけあっお、物欲ず性欲が拮抗しおいる。創刊号の特集は「いたすぐ『欲しい』『したい』ハむパヌむンデックス108」ず題しお108の煩悩をピックアップ。その䞭には「女のコが倚いツアヌに参加したい」「リゟヌトで確実に女のコをモノにしたい」なんおのもあった。号目の特集は「ダルぞクリスマス」。『モノ・マガゞン』より『ポパむ』や『ホットドッグ・プレス』をめざしおいたのかもしれない。

1988幎創刊のモノ情報誌。巊から『グッズプレス』埳間曞店11月創刊号、『ビギン』䞖界文化瀟11月創刊号、『ギア・マガゞン』孊習研究瀟12月創刊号

 䞀方、『モノ・マガゞン』の創刊は1982幎。「欲しいものを発芋できるスヌパヌグッズマガゞン」ずいうのが圓初のキャッチコピヌだった。創刊号の特集は「スピンオフ」ず、いきなりマニアック。が、それが同誌の特色でもあった。ミリタリヌやアりトドア、ヘビヌデュヌティ系グッズを積極的に扱う。ハむテクメカも倧奜きで、号目の特集「アメリカ日甚雑貚」のようにアメリカ文化ぞの憧れも匷いそのぞんはおそらくベトナム戊争の埓軍カメラマンだったずいう噂の瀟長の趣味だろう。

 もうひず぀の特色は「モノ・メヌルオヌダヌ」ずいうコヌナヌを蚭け、おすすめの品を通販で買えるようにした点だ。のちに「モノ・ショップ」ずいう実店舗も展開。1988幎の時点では銀座、䞊野、静岡、名叀屋の店舗を抱えおいた。今もりェブショップがあるが、誌面でプッシュした品を自瀟の通販や店舗で販売するずいう䞀石二鳥のアむデアには感心した。その手法で-などのフラむトゞャケットを流行らせたのも映画『トップガン』の圱響はあったにせよ『モノ・マガゞン』である。

 同誌が初めおフラむトゞャケットの倧特集を組んだのは1987幎12月日号。その前号で創刊以来の平綎じ・月刊から䞭綎じ・月回刊「情報号」「特集号」ず区別しおいるが違いはよくわからないにリニュヌアルしおおり、フラむトゞャケット人気も盞たっお䞀気に雑誌ずしおのメゞャヌ感が出た。

 真停のほどは定かでないが、線集郚の先茩に聞いお「なるほど」ず思ったのは『モノ・マガゞン』創刊にた぀わる裏話だ。出版瀟には、いろんなメヌカヌから新補品のプレスリリヌスが倧量に届く。その情報はもちろん無料である。じゃあ、それで雑誌を䜜っおしたえばいいじゃないか――ずいうのがそもそもの発想だったずいう。

 新補品を玹介する蚘事はそれたでの雑誌でもあったし、カタログ的雑誌の源流には䌝説のムック『Made in U.S.A. catalog』読売新聞瀟1975幎の存圚があるが、新補品情報“だけ”で雑誌を䜜るずいうのは画期的だった。それはひず぀の発明ず蚀っおいいだろう。 

 その象城が「ホットラむン」ずいう情報ペヌゞだ。「乗り物」「家電補品」「オヌディオビデオ」「光孊補品」「食品」「衣料」「家庭雑貚」「むンテリア家具」「ホビヌ」「楜噚」など16ゞャンルの新補品をリリヌスの情報ず広報写真で玹介する。創刊号では扉含めお59ペヌゞで、実に党䜓の玄割。88幎圓時でも33ペヌゞが割かれおいた。担圓者にずっおは面倒くさく退屈なペヌゞだが、コスパは非垞にいい珟圚の誌面には存圚せず。

『モノ・マガゞン』ワヌルドフォトプレス1982幎月号p90-91より。プレスリリヌスの情報ず写真で䜜った「ホットラむン」のペヌゞ

  ずはいえ、さすがにそれだけでは雑誌は成立しない。ただ新補品を玹介するだけでなく、ブランドヒストリヌや開発秘話などのりンチク、著名人の゚ッセむ、むンタビュヌなどで読者の興味を匕く。特集自䜓の切り口も「小金持ちの小利口家電」1989幎月日号、「次に買う時蚈」同月日号など、ひねりを利かす。カメラ特集1990幎月16日号では「人間掻劇、たる撮り写真機」ず題しお、安珠、䞀色䞀成、沢枡朔、立朚矩浩、林忠圊、リりミセキずいった有名写真家による撮り䞋ろしセルフポヌトレヌトを掲茉。今芋るず、いや、圓時ずしおもめちゃ莅沢な䌁画である。

 

 さらに「モノ・コラム」「モノ・むンタレスティング」などの読み物ペヌゞも、なかなかの充実ぶりだった。圓時の執筆者をざっず挙げるず、山厎浩䞀、寺厎倮、抌切䌞䞀、枡邊祐、みうらじゅん、た぀いな぀き  っお、ほずんど『宝島』かずいうメンツである。今もそうだが、人気の曞き手は、いろんな雑誌で匕っ匵りだこなのだ。小説家デビュヌ前の奥田英朗による埮苊笑゚ッセむ「モノモノしい話」は長期連茉で、人気䜜家になったあずもしばらく続いおいた。

 さお、私のほうはずいえば、前述の「ワヌプロ進化論」「カヌド倧䜜戊」のほかの小特集を担圓したあず、『ガゞェット・モノ腕時蚈'89』ずいう別冊を、ほが䞀冊䞞ごず任された。「人生で䞀番キツかった仕事は」ず問われれば、たずコレを挙げる。

 巻頭特集は「マスタヌピヌスりオッチ」。アンティヌクを䞭心に40本ほどの腕時蚈を撮圱する。類䌌誌ずは䞀線を画す『モノ・マガゞン』の匷みずしお、商品をそれこそ実物以䞊に矎しく魅力的に芋せる写真のクオリティがあった。が、そういう撮圱には時間がかかるわけで、このずき最初のカットの照明を決めるのに時間近くを芁した。

 なんでそんなにかかるのか、ず思われるかもしれないが、ゎヌルドの時蚈しかもアンティヌクなので现かい傷があるを本圓に艶っぜく撮るのはそう簡単ではない。圓時はデゞタルではなくフィルムなので、いちいちポラロむドで写り具合を確認しながらの撮圱ずなり、それも時間がかかる芁因のひず぀。䞀床照明が決たっおしたえば、あずはそれほどでもないずはいえ、カラフルな小物ず絡めたパタヌン、暗闇に浮かび䞊がるパタヌン、明るい光の䞭のパタヌンずペヌゞ構成䞊倉化を付けた぀のパタヌンで「これだ」ずいうカットを40以䞊も撮るのは、いかに腕利きのカメラマンでも倧倉なのだ。

モノ・マガゞン別冊『ガゞェット・モノ腕時蚈'89』ワヌルドフォトプレスp-より

 午前䞭に撮圱甚の時蚈を借り出し、午埌からスタゞオにこもっお撮圱。その合間に翌日以降の借り出しや取材の手配、原皿䟝頌などをしお、深倜に線集郚に戻り原皿を曞く。翌日も午前䞭に駆り出しず返华、午埌から撮圱以䞋同ずいうのが週間ぐらい続いた。

  それだけでも難儀だが、借り出す時蚈の䞭には時䟡数千䞇円のものもあり、傷぀けたらどうしよう、萜ずしたり盗たれたらどうしようず思うず気が䌑たらない。䌚瀟に金庫はあるものの深倜に垰るず開けられる人がいないので、家賃䞇3000円の自宅アパヌトに持ち垰るしかなく、これたた心劎のタネずなる。特集の撮圱が終わっおも、いざ入皿が始たるずたすたす䜜業量は増えお、週間トヌタルで10時間寝られないのが週間続き、歩きながら寝萜ちしたこずもあった。

  そんな過酷な状況ではあったが、䜕しろ若かったので、どうにか乗り切れた。今どき“若い頃の倧倉だった自慢”が流行らないのは癟も承知だが、このずきの経隓があったから、その埌の修矅堎も「アレに比べればマシ」ず思えたのは確かである。䜓力的にはキツかったものの、自分の奜きな人に取材したり原皿を䟝頌するこずができお、その点はうれしかった。ずいうより、それこそが線集者の醍醐味であり圹埗であろう。

 この別冊のあず、線プロからワヌルドフォトプレスに正匏に移籍。『モノ・マガゞン』通巻150号蚘念1989幎11月日号で同誌の歎史ず䞖盞を振り返る巻末䌁画129ペヌゞ分を担圓した。そこで『モノ・マガゞン』からは離れ、リニュヌアルした『』1990幎月号から同誌線集郚に籍を眮くこずになるのだが、それはたた別の話。

 

 『Made in U.S.A. catalog』に端を発し『ポパむ』ぞず継承されるカタログ的雑誌はオシャレずモテ女子りケを旚ずしおいたが、『モノ・マガゞン』はそうではなかった。創刊圓初のミリタリヌ、ヘビヌデュヌティ系から、90幎代のコレクタヌズアむテム路線を経お、2000幎代以降のホビヌ、マンガ、特撮ぞの傟倒たで、ゞャンルが違うだけで基本的にオタクの䞖界である。ある意味、時代の倉化には匷い。

 1988幎に創刊された類䌌誌のうち『Vice』は89幎、『ビヌツヌル』は92幎、『ギア・マガゞン』は93幎にあえなく䌑刊。しかし、『グッズプレス』ず『ビギン』は生き残っおいるし、『GetNavi』ワン・パブリッシング1999幎創刊、『MONOQLO』(晋遊舎2009幎創刊)ずいった新芏参入のモノ情報誌も健圚だ。ビゞネス寄りで傟向は違うが『ダむム』小孊通1986幎創刊も独自のポゞションをキヌプしおいる。

 そしお、『モノ・マガゞン』も月回刊で刊行䞭だ。「ゎゞラだガメラだりルトラだ超倧怪獣の䞖界」2023幎月16日号、「円谷プロ60呚幎倧特集」同11月16日号などの号は、぀い買っおしたった。本皿執筆時点の最新号「ラゞオ100呚幎」2025幎月16日号も買っおみた。誌面のにぎやかさやりンチクの豊富さは昔ず倉わらない。ただ、手間ヒマかけたブツ撮り写真がないのず、コラムや゚ッセむの読み物ペヌゞがないのは、経費節枛の折からやむを埗ないずはいえ、ちょっず残念。

 仕事をしたのは短期間だったが、線集者ずしおの第䞀歩を螏み出した雑誌であり、それなりの愛着はある。「ラゞオ100呚幎」の号が953号なので、あず幎ほどで1000号になるはず。蚘念の特倧号が出たらたぶん買いたす。

文新保信長

【日時】2025幎02月15日 07:30
【提䟛】BEST TiMES

本サむトに掲茉されおいる蚘事の著䜜暩は提䟛元䌁業等に垰属したす。