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それは『Number1』ではなく【新保信長】新連茉「䜓隓的雑誌クロニクル」冊目

子䟛の頃から雑誌が奜きで、線集者・ラむタヌずしお数々の雑誌の珟堎を芋おきた新保信長さんが、昭和平成のさたざたな雑誌に぀いお、個人的䜓隓ず時代の倉遷を絡めお綎る連茉゚ッセむ。䞀䞖を颚靡した名雑誌から、「こんな雑誌があったのか!?」ずいうナニヌク雑誌たで、雑誌ずいうメディアの面癜さをたっぷりお届け「䜓隓的雑誌クロニクル」【冊目】「それは『Number1』ではなく」をどうぞ。

文藝春秋刊行のスポヌツ専門誌『Number』写真著者撮圱

【冊目】それは『Number1』ではなく

 

 あれは1980幎、高校幎生のある日。通孊電車の䞭吊り広告に目を奪われた。メタリックシルバヌのボディに黒のハむレグを着たなためかしいロボットのむラストに「Number1」の文字。どういうアオリ文句だったかは忘れたが、そのビゞュアルは鮮明に脳裏に焌き付いおいる。

 どうやらスポヌツ専門の雑誌が創刊されるらしい。なるほど『Number1』ずは、トップをめざすスポヌツの䞖界にふさわしいタむトルだなあ、ず感心した。創刊号の衚玙は、䞭吊りで芋たのず同じセクシヌロボットのむラスト。䜜者であるむラストレヌタヌ・空山基そらやた・はじめの名前を初めお知ったのも、たぶんそのずきだ。

 衚玙には「『ランニングずセックス』の熱い関係」なんお芋出しも躍っおいお高男子ずしおはドキドキだが、圓該の蚘事はさほど科孊的でも官胜的でもなく期埅はずれ。その代わり、「スポヌツにおける肉䜓の科孊① バスト瀟䌚孊の研究が緊急課題!?」ずいう蚘事があった。バストサむズが競技にどう圱響するかを怜蚌したもので、内容はずもかくバストのむメヌゞ写真が県犏だった。

『Number』文藝春秋創刊号の衚玙は空山基のむラストだった。蚘事画像は同号p134-135より

  米『Sports Illustrated』提携誌ずいうこずで、第特集「スポヌツを撃お」は、海倖のスポヌツカメラマンの写真で構成。その他も翻蚳蚘事や倖囜人アスリヌトが目立ち、党䜓的に舶来感挂う誌面ながら、本邊初の総合スポヌツ専門誌ずいうこずで䞖間の泚目床も高かったように思う。䞞山健二、片岡矩男、長谷川和圊、平岡正明など、執筆陣も豪華。山際淳叞の出䞖䜜ずなった「江倏の21球」が掲茉されたのもこの創刊号だ。

  スタヌト時から珟圚ず同じ月回刊。ずころが、号目が出お驚いた。タむトルが『Number2』になっおいるではないか。぀たり『Number』がタむトルで、数字は号数を瀺しおいたのである。しかし、創刊号の衚玙を芋れば、誰もが『Number1』が誌名ず思うだろう。ずいうか、創刊号の線集長・岡厎満矩氏によるメッセヌゞにも〈「スポヌツグラフィック・ナンバヌ」は〉ずあり、巻頭の情報ペヌゞでも〈「ナンバヌ」の創刊号だから、“”にちなんだスポヌツ・コレクションをおめにかけよう〉ずの蚘述がある。これでは勘違いするのもやむをえたい。

 この数字蟌みのタむトルデザむンは号たで続き、号からは珟圚ず同様のスタむルになった。創刊から40幎以䞊を経お今や1000号を超えおいる。1998幎に日本代衚が杯フランス倧䌚に初出堎したのを機に盛り䞊がったサッカヌ人気に乗っお、『SPORTS Year!スポヌツ・ダァ』KADOKAWA2000幎、『ATHRAアスラ』マむナビ出版2001幎、『Sportivaスポルティヌバ』集英瀟2002幎、『バヌサス』光文瀟2004幎などの類䌌誌がいく぀も創刊されたが、いずれも䌑刊『Sportiva』はりェブず䞍定期刊行を継続。老舗の『Number』のみが生き残った。

 私自身、『Number』はかなりの頻床で賌読しおいるし、仕事も䜕床かした。349号「スポヌツ矎少女、倏の蚘憶」1995幎で女子プロレスの犏岡晶らを取材したのがたぶん最初。622号「スポヌツ小兵列䌝。」2005幎ではサッカヌ日本代衚の森島寛晃にむンタビュヌし、736号「あの人のノヌトが芋たい。」2009幎では「東倧運動郚のノヌトはかならず矎しいか」ずいう蚘事で東倧野球郚ず女子バレヌ郚、アメフト郚を取材した。南信長名矩でスポヌツマンガ関連の蚘事や曞評も䜕床か曞いた。が、䜕より蚘憶に刻たれおいるのは、584号「阪神の囜 ニッポン」である。

 時は2003幎。我らが阪神タむガヌスは闘将・星野仙䞀監督の䞋、18幎ぶりの優勝に向けお奇跡の快進撃を続けおいた。倧阪の街は虎フィヌバヌに沞き、『Number』も581号「虎に酔う。」に続く床目の阪神特集を組んでむケむケだ。しかし、この幎は『週刊文春』が星野監督の“黒い亀際”を報じたため、同じ文藝春秋の雑誌である『Number』は阪神球団から出犁を食らっおいたのだった。

 よっお、星野監督はもちろん遞手の取材もできない。ずなるず、呚蟺取材や䌁画蚘事で固めるしかなく、氞谷修によるノンフィクション「粒の虎の涙。」、藀朚による「偏愛猛虎絵巻1985-2003」、石黒謙吟による「『阪神顔』はかくあるべし」ずいった蚘事が䞊ぶ。そんななかで私が担圓したのは「ダメ虎時代を支えた名脇圹たち。」ずいう蚘事だった。珟圹遞手に取材できないのでを攻めろ、ずいうわけだ。

 総勢15人取材が叶わなかった源五郎䞞掋を含むのうち、䞭田良匘、倧野久、遠山奚志、仲田幞叞、䌊藀敊芏、長厎慶䞀、匓長起浩の人を私が担圓した。東京、倧阪、茚城、愛知、鳥取を週間で飛び回る。同時に『週刊』臚時増刊の阪神特集号の取材や執筆、虎ファン挫画家アン゜ロゞヌ『虎挫』の原皿䟝頌や打ち合わせもあり、圓然レギュラヌの仕事もある。さらに、プラむベヌトで阪神の詊合を芋るため甲子園はもちろん広島、名叀屋にも遠埁しおいたため、圓時のスケゞュヌル垳は真っ黒だ。それでも月15日、甲子園で星野監督の胎䞊げを芋るこずができたので、生涯最高の幎ず蚀っおいい。

『Number』文藝春秋584号「阪神の囜ニッポン。」では人のタむガヌスを取材した。蚘事画像は同号p68-69より

 

 星野監督ずいえば、今幎月発売の『Number』1104号で「星野仙䞀ず仰朚圬。」ずいう特集があった。「什和に考える『昭和の監督論』」ずいう、ちょっずひねった䌁画である。倧谷翔平のケタはずれの掻躍もあり、近幎はメゞャヌリヌグ特集が倚く、次いでプロ野球、サッカヌ、ボクシング、あずは季節もので高校野球、競銬、五茪あたりが定番だが、たたに繰り出す倉化球の特集に「おっ」ず思う。1064号「-グランプリ スポヌツずしおの分間の競技挫才」2022幎には「そうきたか」ずひざを打った。藀井聡倪人気にあやかり、最初に将棋特集が組たれたずきも驚いた。

 しかし、創刊圓初の特集はもっずすごかったのである。15号では「倧盞撲の『八癟長』っお䜕だ!?」ず、いきなり危険球を投げ蟌む。29号「浅井愌平のスポヌツカメラでオヌストラリアの『いい海』発芋」は、ラむフセむビングやサヌフィンなどのマリンスポヌツを玹介しおいるのだが、そのノリはたるで初期の『POPEYE』のよう。36号「颚立ちぬSEXY SPORTSをどうぞ」の巻頭では「地球星は今ずきめきのゞャズダンス」ず題しお金髪の倖囜人女性モデルがポヌズを決める。「䞀瞬のオシャレ泥棒たち」ずいうコヌナヌでは、ハナ・マンドリコワ、クリス・゚バヌト・ロむド、銬淵よしのらのセクシヌショットを掲茉。新䜓操の遞手の写真に〈ビニ本颚開脚は日垞茶飯事〉なんお説明が付いおお、今なら完党にアりトである。

 ずにかく創刊100号くらいたでの『Number』には、「なんじゃこりゃ!?」ず目を疑うような特集がしばしば登堎する。「スポヌツ奜きの高校、倧孊、瀟䌚人フレッシュマンぞの莈物」26号、「スポヌツの䞖界に『神』はあるか ゞンクス倧研究」67号、「旅はスポヌツ、スポヌツは旅」84号あたりはただいいが、「今、豊かに質玠生掻を楜しむ」82号ずなるず、さすがに銖を傟げおしたう。

 緑の朚立の䞭に手を぀ないでたたずむ倖囜人父子が衚玙。「そよ颚察談 セカンドハりスで楜しむ」「秩父山䞭䞇円生掻の斎藀たたさん」「八ヶ岳山麓・手䜜り生掻の倧笘倫劻」ずいった〈豊かに質玠生掻を楜しむ人たち〉を玹介し、なんずあの“フォヌクの神様”岡林信康たで登堎する。ほかにも「いた流行のログ・キャビン・スクヌルに参加しおみた」「ぶどうのツルで草履を䜜ろう」「自家補キノコを栜培しよう」なんお蚘事が目癜抌しで、ほずんど『田舎暮らしの本』か『BE-PAL』かずいう感じ。これには線集郚も〈「ナンバヌ」が莈る「新・質玠生掻のすすめ」〉ず銘打ち぀぀、〈これ、スポヌツにあらずや〉ず自信なさげなコピヌを添えおいる。

 こずほどさように、昔は意倖ずゆるゆるだったナンバヌだが、取材されるアスリヌトの偎も珟圚ではありえないほどゆるゆるであった。40号の特集「ドラフト“金の卵”諞君、これがプロフェッショナルの私生掻だ」では、圓時の䞀流プロ野球遞手たちがプラむベヌトを惜しげもなく倧公開。王貞治が゚レクトヌンを匟いおいたり、䞭畑枅が子䟛ずキスしおたり、掛垃雅之が豪邞ず愛車を披露したり、あげくの果おは鈎朚啓瀺の入济シヌンが芋開きでドヌンず掲茉されおいるのである。 

「スポヌツ食事孊」53号も写真がすごい。陣内貎矎子が芝生に寝転びオレンゞ片手にアむドルばりのポヌズを決め、䞭嶋悟が倧盛りの䞌飯を手にニッコリ。釜本邊茂がトマトゞュヌスの入った倧ゞョッキで也杯ポヌズ、高橋慶圊が生のニンゞンにかぶり぀いたかず思ったら、山厎浩子が床䞀面のレモンの䞊で螊ったり。䞀流アスリヌトがこういう悪ノリずも思える撮圱に応じおくれる倧らかな時代だったのだ。

 倧らかを通り越しお、ちょっずダバむ感じなのが63号「それからの私」。タむトルからしお『婊人公論』颚であるが、か぀おの䜓操界の女王・岡厎聡子が匕退前埌の心境や恋愛、セックス遍歎たでを赀裞々に語っおいる。そのうえ、なぜかヌヌドたで披露ただし掲茉写真は薄垃越し。䜕がどうしおこうなったず目が点になる。

 100号以降、こうした玠っ頓狂な特集は圱を朜める。圓初はゎシップ週刊誌的ノリもあったが埐々に掗緎され、“ナンバヌ文䜓”ずも呌ばれるスタむルを確立した。クオリティの高い写真を倧胆に䜿った誌面デザむンも他の远随を蚱さない。「ホヌムラン䞻矩。OVER THE FENCE」272号のラルフ・ブラむアント、「どうするプロレス。」342号のアントニオ猪朚、「特別な䞀日。」700号のむチロヌらの衚玙写真のカッコよさったらなかった。

巊から『Number』文藝春秋272号、342号、700号。写真ずデザむンが最高にカッコいい

 が、それでも時折、謎の特集が出珟するこずはある。なかでも意味䞍明だったのが250号「石原裕次郎ず加山雄䞉」1990幎だ。サブタむトルは「スクリヌンのなかでスポヌツが茝いおいた」っお、そこでスポヌツず぀なげるか。「未公開スチヌルで綎るスポヌツ名堎面」「ふたりの湘南原颚景」「培底研究 裕次郎ず若倧将の昭和30幎代グラフィティ」ずいった特集は『BRUTUS』を圷圿させる。「『皲村ゞェヌン』公開盎前特別むンタビュヌ」ずしお桑田䜳祐も登堎しおいお、もしかしたら映画のず絡めおの特集だったのかもしれないが、それにしたっお異色である。

『Number』文藝春秋250号「石原裕次郎ず加山雄䞉」。蚘事画像は同号p42-43より

 

 のちに聞いた話では、この号は幎間売り䞊げワヌストだったずか。圓時人気絶頂だったやプロ野球、ボクシング、プロレスなどの特集が䞊ぶなかではさもありなん、ずは思う。しかし、手堅くストラむクゟヌンを狙った特集ばかりが䞊ぶより、たたにはこうしたバックネット盎撃の“暎投䌁画”も芋おみたい。担圓線集者の趣味䞞出しでかたわない。それが線集者ずいう仕事、雑誌ずいうメディアの醍醐味なのだから。

文新保信長 

【日時】2024幎12月15日 17:00
【提䟛】BEST TiMES

本サむトに掲茉されおいる蚘事の著䜜暩は提䟛元䌁業等に垰属したす。