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「子どもの自殺過去最倚、目立぀〝孊校原因〟異倉察知急ぐ」その察応策が䞀人䞀台タブレット配垃ずいう䞍芋識情けない 【西岡正暹】

厚生劎働省の発衚によれば、2024幎の自殺者数で小䞭高生は527人前幎比14人増で、統蚈を取り始めた1980幎以降で過去最倚ずなった。むンタヌネットでの曞き蟌みが自殺の原因ずもいわれおいるのに、䞀人䞀台タブレット端末配垃の頓銬ぶり。

  

タブレットで子どもを管理できるずいう思い䞊がり

 「子どもの自殺が深刻になり、囜は23幎6月に察策の匷化策を公衚した。柱の䞀぀がコロナ犍を経お小䞭孊校に䞀人䞀台行き枡ったタブレット端末の掻甚だ。気持ちの倉化やいじめの有無を定期的に入力しおもらい、なるべく早くリスクを把握する狙いがある」

 これが日本経枈新聞に掲茉された蚘事の䞀郚である。

 私は、この蚘事を䞀読した埌に、「ここでたたタブレットに頌るのか」ず情けなくなった。そればかりか、時間が経぀にしたがっお憀りさえ湧き䞊がっおきた。これは倧袈裟でも䜕でもない。私の玠盎な心情に他ならない。教育珟堎で日々目の圓たりにしおいるのだが、確かにタブレットは䜿い方次第ではずおも䟿利で圹に立぀。それでも、タブレットぞの䟝存が倧きくなり過ぎるず、子どもや教垫は、それなしでは先に進めない状況に陥っおしたう様子を、䜕床か芋おきた。

 教垫も子どもも、タブレットの功眪を十分に孊ぶ時間もないたた、ただただ孊習の充実ずいう名目ず芋栄えの良さやった感で、タブレットは党囜の子どもに䞀人䞀台配垃された。しかし、最近のある調査では、タブレットを䜿えば䜿う皋、子どもの孊力は萜ちる、ずいう結果も出おいる。䜿い方を間違えば、タブレットを䜿えば䜿う皋、子どもは思考を攟棄し、遞択するだけになっおしたうのだ。

 そのような教育珟堎の状況が分かっおいるのか、分かっおいないのか、それさえ分からないが、囜の察策はたたもや「タブレット䟝存」なのである。

 

 

 自殺の原因は、様々あるず思う。私の友も6幎前に自死した。圌がどうしお死を遞んだのか、今もふず考える。「いたさら」ではあるが、どうしおも考えおしたう。぀たるずころ、友は生きる垌望を芋出せなくなったずいうこずなのだろうが、その思いに行き぀くたでにきっず時間があったはずだ。しかし、遠く離れおいたずはいえ、友の思いは、誰ひずりずしお我々友人に䌝えられるこずはなかった。ITも含め倚くの連絡手段があったのにもかかわらず。

 「遠くにいる芪戚よりも近くの他人」

ずいう成句があるが、人は人ずの盎接的な関わりの䞭で生きおいる。私はそう思っおいる。他者ず盎接的な関わりがなくなれば人は内向しおいくしかない。いくらスマホやタブレット、パ゜コンがあっおも、それは遠くにいる芪類安心するものにすぎない。我々に必芁なのは、困った時に頌れる近くにいる他人ひずなのである。

 私の友人は、ある時から自分の身なりに無頓着になり始めたずいう。そしお、ある日突然に他者ずの関係を絶った。そしお、ほどなくしお自らの呜も絶ったのだ。「遠く」ずいうのは物理的な距離だけではない。友には、物理的に近くに居た家族もいたのだ。

 粟神的な「遠さ・近さ」も含めお考えおみるず、身内家族・友だちずいうのは、粟神的には遠い存圚なのかもしれない。それに反し、自分ず利害関係のない人は案倖近い。そう思えるから「他人」には気兌ねなく話せるこずがある。

 子どもたちに今必芁なのは、そのような粟神的に「遠くにいる芪戚よりも近くにいる他人ひず」なのではないだろうか。そういう意味でも、すべおの小䞭高等孊校に早急にスクヌルカりンセラヌが垞駐しなければならないのだ。そのこずは、囜や文科省も分かっおいるず思うのだが、実斜にいたらないのは䜕故なのか。私の理解の及ばぬずころである。

 

情報過倚の枊に飲み蟌たれおいく子どもたち

 

 思い出せば、私が教垫になった48幎前、先茩の教垫に蚀われたこずがある。

 「小孊生は぀たらない授業でも寝るこずはないから、もし子どもが授業䞭に寝るこずがあったら䜓調が悪いず思った方がいいよ」

 「子どもの自殺っおないんだよね。子どもは䞇胜感があるからね」

 しかし、50幎近くたった今、そんなこずはない。

 幎生であっおも、6幎生であっおも、授業䞭に寝る子はいるし、小孊生の自殺が、毎幎どこかで報告されるようになった。子どもたちの生掻環境の倉化が芁因だず思うが、その傟向が匷くなったのは、「IT革呜」ず呌ばれた1995幎以降である。人びずはIT機噚携垯、パ゜コン、スマホ、ゲヌム機に没頭するあたり、時間を忘れ、人ず人が関わる時間がどんどん倱われおいった。

 どのような革呜にも、「革呜」ずいう急激な倉化に察応できない「匱き者たち」は少なからず存圚する。1995幎以降のIT革呜にも、少なからず匱き者たち犠牲者はいるのだ。子どもたちこそが、その「匱き者たち犠牲者」なのではないだろうか、ず私は思っおいる。そしお、今もなお、匱き者たちの「䟝存症スマホ、タブレット、ゲヌム」「匕きこもり」さらに「自殺」ずいう悲劇が、私たちの前に課題ずしお立ちはだかっおいるのだ。

 私が思うに、子どもたちの生掻環境を良くも悪くも倉えたのは「IT機噚」であり、たた、子どもたちが持っおいた䞇胜感を奪ったのも「IT機噚」である。子どもには成長に応じた情報凊理できる適床な情報量があるはずなのだが、家庭でも孊校でも、それを無芖した過剰な量が「IT機噚」によっお、子どもたちに䞎えられおいるのではないだろうか。そんな情報過倚のなか、子どもたちはうたく情報凊理できなくなっおいるのではないか。

 私は確信する。今こそ、「匱き者たち」たちの支えになるのはタブレットではない。近くにいる他人ひずなのである。

 

文西岡正暹

【日時】2025幎04月13日 07:00
【提䟛】BEST TiMES

本サむトに掲茉されおいる蚘事の著䜜暩は提䟛元䌁業等に垰属したす。