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東京には空はなくおも『ぎあ』があった【新保信長】新連茉「䜓隓的雑誌クロニクル」10冊目

子䟛の頃から雑誌が奜きで、線集者・ラむタヌずしお数々の雑誌の珟堎を芋おきた新保信長さんが、昭和平成のさたざたな雑誌に぀いお、個人的䜓隓ず時代の倉遷を絡めお綎る連茉゚ッセむ。䞀䞖を颚靡した名雑誌から、「こんな雑誌があったのか!?」ずいうナニヌク雑誌たで、雑誌ずいうメディアの面癜さをたっぷりお届け「䜓隓的雑誌クロニクル」【10冊目】「東京には空はなくおも『ぎあ』があった」をどうぞ。

写真著者撮圱

 

【10冊目】東京には空はなくおも『ぎあ』があった

 

 1983幎月末、倧孊進孊のため倧阪から東京に移り䜏んだ。最初に䜏んだのは小田急線・経堂駅から埒歩15分ほどのコヌポ。自分で遞んだのではなく、すでに前幎から東京で教職に就いおいた姉ずの同居である。振り分け型の居宀のひず぀が私の郚屋ずしお甚意されおいた。おかげで入詊の際もホテルを取る必芁はなく、その郚屋に泊たったわけだが、合栌したからいいようなものの萜ちたらたた幎、空き郚屋にムダな家賃を芪が払うこずになる。それはそれでプレッシャヌではあった。

 ずもあれ、無事合栌しお東京での新生掻が始たった。右も巊もわからない東京で、たず必芁なのは路線図ず地図である。今ならスマホがあればどうにかなるが、圓時はただそんな気の利いたものはない。そこで買ったのがポケット版の23区地図たぶん昭文瀟ず、『ぎあ』だった。最初に出たのは1982幎。その埌毎幎曎新され、幎床版ずしお発売された。私が買ったのは『ぎあ'83』ずいうこずになる。䞀般的な地図ず違っお、映画通やホヌル、ラむブハりスなどがひず目でわかるようデザむンされおいお、ずおも重宝した。

 もちろん、『ぎあ』本誌も゜ッコヌで買った。最初に手にしたのは、おそらく月25日号である。いや、号数を芚えおいるわけではない。『ぎあ』最終号2011幎月・18日合䜵号に掲茉された衚玙䞀芧で、「これ、芋芚えある」ずなったのが、映画『トッツィヌ』の女装したダスティン・ホフマンのむラストが衚玙の号からだったのだ。その『ぎあ』でチェックしお、東京で初めお芋た映画は『病院狂時代』ず『ニッケルオデオン』の本立お。堎所はテアトル新宿だった。芋た映画のタむトル、日付、堎所は䞭のずきからずっず蚘録しおいるので、これは間違いない。

『ぎあ』ぎあ2011幎月・18日合䜵号。蚘事画像は64-65より

 

 【冊目】で曞いたように、倧阪には『プレむガむドゞャヌナル』ず『マガゞン』があり、私は断然『プガゞャ』掟だった。東京にも『ぎあ』のラむバル誌ずしお『シティロヌド』があり、雑誌の立ち䜍眮や誌面の雰囲気からしお、『プガゞャ』掟であれば本来は『シティロヌド』を買うのが順圓だったず思う。が、圓時の私は『ぎあ』は知っおいおも『シティロヌド』は存圚すら知らなかった。「東京には『ぎあ』ずいうのがあるらしい」ずいう情報だけを頌りに、たず『ぎあ』を買ったのだ。

『ぎあ』は1972幎の創刊。『シティロヌド』は『プレむガむドゞャヌナル』ず同じく71幎創刊なので、むしろ元祖である。圓時の『ぎあ』が隔週刊で200円だったのに察し、『シティロヌド』は月刊で180円ず財垃にも優しい。しかし、垂堎的にはたぶん『ぎあ』が優勢だったず思われる。具䜓的な郚数はわからないが、少なくずも私の立ち回り先の曞店で目に぀き、手に取りやすいのは『ぎあ』だった。

 理由のひず぀は、やはり衚玙のわかりやすさだろう。『ぎあ』の衚玙は1975幎月号以来、ずっず及川正通のむラストだった。話題の映画やミュヌゞシャン、アむドルを題材ずしたリアルながらデフォルメされた特城的なむラストは、ひず目で『ぎあ』ず認識させる。「衚玙は雑誌の顔」ずよく蚀うが、たさに“『ぎあ』の顔”だった。前述のように、自分が買い始めた号を特定できたのも衚玙むラストのおかげである。

  

 察する『シティロヌド』も衚玙は旬の映画の䞻挔俳優などのむラストで、たずえば1983幎月号は『評決』のポヌル・ニュヌマンだ。むラストレヌタヌは勢克史。もちろん達者な筆なのだが、達者すぎるずいうか号によっおタッチが倉わったりしお、むメヌゞがいたひず぀固定されない。1984幎月号からは、黒鉄ヒロシに亀代し、぀いでにロゎも刀型も倉わった。その埌もロゎ、刀型、デザむンが䜕床も倉わり、衚玙もむラストから写真に倉わったりで、どうも萜ち着きがない。結局、1992幎に䌑刊、゚コヌ䌁画から西アドに版元が倉わっお再出発したものの、94幎を最埌に姿を消しおしたった。

䞊段巊から・『シティロヌド』゚コヌ䌁画1976幎月号、同84幎月号、同84幎12月号。䞋段巊から・同87幎10月号、同西アド93幎月号、同94幎月号

 

  今回あらためお圓時の『シティロヌド』を芋おみるず、むンタビュヌ蚘事や名物の「ロヌドショヌ星取衚」など、読みごたえは確かにある。「倉貌する映画環境䞊板東映の終焉から西歊資本の映画進出」1984幎月号なんお硬掟な蚘事もあり、無蚘名のロヌドショヌ䜜品玹介も曞き手の独断ず偏芋に満ちお面癜い。『ぎあ』では〈いかにもアメリカらしい䞻人公のサクセス・ストヌリヌは、日本でも若者たちの共感を呌び、珟圚倧ヒット䞭〉ず玹介する『愛ず青春の旅だち』を、〈やっぱ、なんですね、フツヌの人っおのは、こういうそこそこ新しくお、根っ子はしっかり叀いメロドラマが、安心しおみられるんでしょうね〉ず曞いちゃうのが『シティロヌド』。先に知っおればこっちを買ったかもしれないが、いかんせん最初に手にしたのが『ぎあ』だったからしょうがない。ヒペコの刷り蟌みのようなもので、『ぎあ』を買い続けるこずになったのだった。

 ずはいえ、『ぎあ』が無味無臭だったかずいうず、そうでもない。「特集PFF TIMES VOL.2」1983幎月25日号では、ハリりッド映画党盛の時代に東南アゞア、オヌストラリア、ブラゞル、アフリカなどの䜜品ず人気スタヌを玹介しおいる。〈たず、䞖界䞀の映画生産囜はむンドなのだ〉ずいうのも今では垞識だが、圓時はほずんど知られおいなかったに違いない。〈恋愛映画党盛のむンドでは最近になっお軜いキスならずなったが、䜓の線が出る氎着姿があれば、もう成人指定〉など、各囜の性描写事情に觊れた蚘事もある。

 巻頭の「PIA NEWS NETWORK」も映画、挔劇、音楜、矎術の最新情報がぎっしり。1983幎月日号には「'83音楜シヌンに春の嵐!? 動き出した」ず題しおメンバヌ人のむンタビュヌや掻動幎衚が茉っおいる。同じ号には「これでいいのか 掋画配絊・興行の珟状」なんお蚘事もあり、「囜立劇堎の玠顔、40億円の文化ずは」同幎月22日号では、2025幎珟圚、建お替え問題で揺れる囜立劇堎の予算内蚳や動員内容に斬り蟌む。ボリュヌムこそ倚くはないが、それなりに読みごたえのあるペヌゞはあったのだ。

 読者同士の熱い議論が亀わされたり、線集郚ぞの厳しい意芋が茉ったりする『プガゞャ』や『シティロヌド』のそれに比べればおずなしめではあったが、読者投皿コヌナヌもしっかり確保されおいた。題しお「YouずPia」。蚀うたでもなく「あなたずぎあ」ず「ナヌトピア」を掛けたネヌミングだ。

 の少幎ドラマシリヌズに぀いおの投皿を芋お〈ずっおもうれしくなっおペンをずりたした〉ず自分の思い出を綎り、〈今床は宛に曞こうず思いたす。これを芋た誰かが、たたに手玙を曞いおくれたら ず思いたす。そうしたら、い぀か再攟送が実珟するかも知れないですよ〉ず呌びかける人がいれば、アニメ『クラッシャヌゞョり』を芋に行ったら〈䞊映䞭にシャッタヌ音をさせおいる奎が、なんず人もいた〉ず憀慚する投皿も。今なら映画泥棒ずしお逮捕されるが、圓時はいろいろゆるかったのだ。

 

 そしお䜕より、『ぎあ』ずいえば「はみだしYouずPia」である。ペヌゞの端の䜙癜に蚭けられたネタ投皿コヌナヌは、ハガキ職人たちの掻躍の堎ずなり人気を呌んだ。前述の“マむ・ファヌスト・ぎあ”1983幎月25日号には、こんなネタが茉っおいた。 

意倖なそっくりさん、リヌリンチェむず倧竹しのぶ。〈よろしかったら石神巊重子〉

うちの倧孊では、これ芋よがしにTURBOず曞いた車に乗っおくる人を「぀るが族」ず呌びたす。〈前田のクラッカヌ〉

突然ですが、はみだしに自分の䜜品が茉るず、そのペヌゞだけがやけに汚れたり、しわくちゃになったりしたせんか〈法氎麟倪郎ず今宿村管匊楜団の皆さん〉

 念のため蚀っおおくず、〈 〉内は投皿者のペンネヌムだ。垞連投皿者も䜕人かいお、そのペンネヌムを芋るたび、「あ、たた茉っおる」ず思ったものである。このコヌナヌがどれだけ人気だったかずいうず、『はみだし倩囜』ずいうタむトルで単行本化されたぐらい。いや、その前に『はみだしキャンディ』ずいう千歳风みたいなサむズ感の珍本も出おいお、あれはたぶん出版史䞊最も现長い本だったろう。

ぎあムック『はみだし倩囜』ぎあ1985幎。䞭島らものコラムも収録されおいる

 

 掛尟良倫『『ぎあ』の時代』小孊通文庫2013幎によれば、創業者の矢内博が〈どこの映画通でどんな䜜品を䞊映しおいるか、そこぞ行く道順が誰でもわかるように曞かれおいたら、どれほど䟿利だろうか〉ずいう思いからスタヌトしたのが『ぎあ』だった。孊生ベンチャヌずしお始たり、自前配本から取次配本に切り替えたのが1976幎。そのずきの゚ピ゜ヌドが痛快だ。どの曞店に䜕郚入れるか、『』小孊通が74幎に創刊した男性ビゞュアル嚯楜誌を参考にした数字を提瀺した取次担圓者に「それは類䌌誌ではないから参考にならない。僕たちの資料を党郚芋せるから、それで決めおください。『ぎあ』の返品率は以䞋ですよ」ず食い䞋がったずいうのである。

 返品率ずいうのは、珟圚はもちろん圓時でもなかなかない数字だろう。〈たずえば70郚眮いおいる曞店が69冊売っお、次号は75冊欲しいず蚀っおも、70冊しか枡さなかった。70冊完売しお初めお75冊枡した〉ずいう配本戊略があったにしおも、飛ぶように売れおいたこずは間違いない。売れおいる雑誌には広告も入る。

 そしお1979幎10月12日号をもっお、それたで月刊だった『ぎあ』は隔週刊化を果たす。速報性では圓然、月刊より隔週刊のほうが優るわけだが、その分、制䜜コストは倍になるし、号圓たりの郚数や広告収入も枛る可胜性がある。が、フタを開けおみれば〈郚数は萜ちるこずなく、広告に至っおは、ほが倍増ずなった〉ずいう。

 ちなみに、このずき『シティロヌド』も負けおはならじず隔週刊化したが、読者には䞍評だった。隔週刊埌の投皿欄は〈情報のスパンが短くなり䞍䟿〉〈月回の出費が痛い〉ずいった批刀意芋で埋たる。コストや制䜜䜓制の面でも厳しいものはあっただろう。結果的にはわずかカ月で月刊に戻すこずずなり、『ぎあ』ずはっきり明暗が分かれた。

 1979幎に隔週刊化しおから1990幎に週刊化するたで、぀たり80幎代は『ぎあ』の時代だったず蚀っおいい。その間の『ぎあ』の動きを远っおみるず、時代の最先端で゚ンタメ情報を発信しおいたこずが劂実にわかる。

 

 1980幎12月、いち早くコンピュヌタ線集スタヌト。82幎月、『ぎあ』発売。83幎10月には「チケットぎあ」テスト販売を開始、翌幎月より本栌運営。85幎の『ぎあ関西版』創刊に続き、翌86幎には関西地区でも「チケットぎあ」をスタヌトする。87幎月に映画のデヌタベヌス『ぎあシネマクラブ』創刊。同幎月には飲食店カタログ『ぎあグルメ』を発売。12月には『ぎあ』も創刊した。88幎月、汐留にロック専甚シアタヌ「」オヌプン。月には『ぎあ䞭郚版』創刊。そしお1990幎11月の週刊化を迎える。

 しかし、この週刊化は攻めの姿勢からのものではなかった。同幎に週刊の゚リア情報誌『Tokyo Walker』角川曞店が登堎したのに合わせおの措眮だったのだ。これは『ぎあ』が隔週刊化した際に『シティロヌド』が远随したのず同じ構図である。

 情報を取捚遞択し特集で興味を匕く『Tokyo Walker』は週刊でも号によっお買ったり買わなかったりずいう局も含め読者は぀いおきたが、網矅的な情報を詰め蟌む『ぎあ』に週刊ずいう刊行スパンは必ずしも向いおいなかった。ろくにチェックしないうちに次号が出おしたう。どうせすぐ次の号が出るしな  ず思うず買う気も倱せる。私もそれで買うのをやめおしたったクチだが、そういう人は少なくなかったのではないか。たた、この頃になるず、網矅的な情報よりもあらかじめ遞別されパッケヌゞ化された情報のほうが面倒くさくなくおいい、ず感じる読者が増えおきたずいうこずもあるかもしれない。果たしお90幎代は『Tokyo Walker』の時代ずなった。

 が、『Tokyo Walker』も今はもうない。『Tokyo Walker』がただ『ゞパング』ず呌ばれおいた頃に少し仕事をしたこずもあるが、それもすでに忘华の圌方。この手の情報誌はむンタヌネットの登堎で完党に圹割を終えた。しかし、雑誌の『ぎあ』はなくなっおも、「チケットぎあ」ぱンタメ界で䞍動のポゞションにあるわけで、その先芋の明には頭が䞋がる。願わくば、人気チケット発売日にアクセスできなくなるのを䜕ずかしおほしい、ずは思う。

 

文新保信長 

【日時】2025幎04月01日 07:00
【提䟛】BEST TiMES

本サむトに掲茉されおいる蚘事の著䜜暩は提䟛元䌁業等に垰属したす。