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2020/10/10 08:50
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政治総合





NO.8853371

総括された「南京」の捏造③
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#7012020/10/02 07:06
>>687
最初はどうあれ、最終的に金を出したという事は勝算があるという事

[匿名さん]

#7022020/10/02 07:08
>>689
選挙制度があり、議会制が守られてる以上、権力を掌握したとまでは言えない。

[匿名さん]

#7032020/10/02 07:09
>>691
ただの建前上の大義名分だ。金儲けの為に戦争をやるなんて光源出来る訳ねーだろが

[匿名さん]

#7042020/10/02 07:10
>>703
❌光源→⭕️公言

[匿名さん]

#7052020/10/02 07:12
>>693
満州の利権を列強で分け合う為だろ?

[匿名さん]

#7062020/10/02 07:16
>>694
日本を無理矢理ナチスドイツと同じだと思わせる印象操作をする為のパヨクの作文だ

[匿名さん]

#7072020/10/02 07:25
>>696
それまで日本は外交的努力は重ねていた。中華民国の侵略行為に介入しない見返りに中国の利権を獲得する目論みのある列強はこれを蹴り続けた

>>外務省は広東政府と何度も話し合いを行うなど国際協調を重視した幣原外交を行った。当時の外務省の見解として幣原喜重郎外相は✳️「支那人は満洲を支那のものと考えているが、あれはロシアのものだった。牛荘の領事を任命するには、ロシアの許諾が必要だった。日本がロシアを追い出さなければ、満洲は清国領土から失われたことは間違いない。しかし、日本は領土権は主張しない。日本人が相互友好協力の上に満洲に居住し、経済開発に参加できればよいのであって、これは少なくとも道義的に当然の要求である。また、中国がかりそめにも日本の鉄道に無理強いするような競争線を建設できないことは、信義上自明の理である」と述べている。幣原外相は英米との国際協調により中国政府に既存条約を尊重することを求めようとし、アメリカのマクマリー駐中国公使も同様の方針を本国政府に訴えていたが、国務省内の親中派のホーンベルク極東部長によって日本との協調路線は退けられた。

[匿名さん]

#7082020/10/02 07:31
>>696
日本の国家としては攻撃されたから反撃しただけ。日本人の陰謀だったと分かったのは後の事。それまで日本は外交的努力は続けていた

[匿名さん]

#7092020/10/02 09:06
日本は性善説に立つ国で、下記のように人権や人道、国家主権などを重んじる数少ない国である。明治以来のこうした積善が認められ、世界で尊敬される国の上位にランクされ続けてきた。

 その第1は奴隷の釈放である。

 アブラハム・リンカーン米国大統領は1862年9月に奴隷解放を宣言したが、大陸横断鉄道建設などで依然として奴隷を使っていた。

 ペルー船「マリア・ルス号」が横浜港に立ち寄った折に中国人苦力(クーリー)を輸送していることを知った副島種臣外務卿(外務大臣)は、奴隷運搬船と判断し国際裁判で勝利する。奴隷解放宣言から10年しか経っていない時である。

 第2は人種差別撤廃である。

 第1次世界大戦後の1919年、パリ国際会議に参加した日本代表団は国際連盟規約に人種差別撤廃条項を盛り込むように再三にわたって提案する。

 しかし壁は厚く、「提案が連盟で採用されるまで主張し続ける」といって引き下がらざるを得なかった。黒人系のバラク・オバマ大統領誕生は2009年のことであった。

 第3は植民地解放である。

 日本は東南アジアの植民地解放の必要性を訴えて大東亜戦争を戦う。有史以来の敗戦という惨めな結果となり未曾有の困難に直面したが、多くの独立国家が誕生して〝植民地解放″の目的は果たされた。

 この大東亜戦争の前半が支那事変で、1937年7月7日、日本軍が攻撃された盧溝橋事件に始まる。

 北京周辺の日本軍駐屯は1900年の北清事変(義和団の乱が発端)の結果として認められていた。

 日本は不拡大方針をとるが、広大な領土に引き込んで疲弊させ、あるいは上海に構築した強力な防衛線で日本軍の粉砕を企図した中国は停戦どころか、拡大させていった。

 こうして起きたのが南京攻略戦であり、大虐殺の汚名を着せられる。多くの日本人は信じられなかったが、最も驚いたのは現地で戦っている日本軍であった。

 現場で虐殺などの状況は見られないが、上海などの南京外から暴虐の情報が聞こえてくるので、〝どの部隊がどこで悪行を働いているのか″、〝日本軍がそんなことをするはずはないだろう″と疑心暗鬼に捕らわれたという

[匿名さん]

#7102020/10/02 10:25
>>696
背景にあるのは中華民国の侵略行為に欧米列が介入しないという見返りに中国大陸の利権を分け合うという少数民族の人権を無視した白人と漢民族の差別的謀略

[匿名さん]

#7112020/10/02 18:04
>>698
大正デモクラシーが進展した結果、1925(大正14)年、加藤高明内閣で普通選挙法(日本)が成立したが、それと同時に治安維持法も制定された。国体(天皇制)の変革や、私有財産制の否定を目的とした結社とその運動を禁止することを法律として可能とした。具体的には、はじめは共産党(1922年結成)などの社会革命をめざす運動を取り締まるものであったが、次第に政府の政策を批判する自由な発言も取り締まりの対象となり、穏健な自由主義者や労働運動なども取り締まりの対象となっていった。また1928年の田中義一内閣は、勅令で最高刑に死刑を加え、軍部に対する反対運動や反戦活動を厳しく弾圧する手段とされた。

[匿名さん]

#7122020/10/02 18:07
>>708
外交的努力をことごとく潰したのは関東軍ですけど。

[匿名さん]

#7132020/10/02 18:10
>>709
アジア各地で、侵略戦争をおこない 731や慰安婦など とても人種差別の撤廃や植民地解放などと
言えない。現にビルマやフィリピンでも反日運動が激化していた。

[匿名さん]

#7142020/10/02 18:23
>>708
盧溝橋事件と柳条湖事件を混同している。 柳条湖事件は満州事変であり
鉄道爆破事件である。
板垣と石原による謀略であったことがGHQによって明らかにされている。
日本軍は計画的に満洲侵略を開始したということ

[匿名さん]

#7152020/10/02 18:26
>>707
そもそも、中国への侵略行為にたいし 国際世論から圧倒的非難を浴びていた

[匿名さん]

#7162020/10/02 18:26
>>706
歴史的事実です(笑)

[匿名さん]

#7172020/10/02 18:41
>>700
世論の後押しなど関係ない。表現の自由も制限されてる時代である 
天皇側近にいた米英協調派は殺害され、陸軍内は「統制派」に一元化しました。事件直後の3月、陸軍は広田弘毅内閣の組閣に干渉し、複数の閣僚候補を「自由主義的だ」として排除させます。さらに、政府は陸海軍大臣の任用資格を現役の大将と中将に限定する制度を復活させました。この後、軍が首相の人選や内閣の命運を左右することになります

[匿名さん]

#7182020/10/02 18:42
>>698
大日本帝国は帝国主義。大日本帝国の主権は天皇。
どこが民主主義なのか

[匿名さん]

#7192020/10/02 18:48
>>710
21か条の要求を忘れてる(笑)

[匿名さん]

#7202020/10/02 18:51
>>709
これは、日本会議系の勢力が主張している 偏った歴史観からくるもので
正史として認められない
何度もいうが 日本は東京裁判を受け入れている

[匿名さん]

#7212020/10/02 20:21
>>711
それがどーした。選挙制度があり議会制が守られてる限りそれは全て国民の民意だ。成熟度の差こそあれ紛れもない民主主義だ

[匿名さん]

#7222020/10/02 20:25
>>712
日本の外交的努力を無下に蹴り続けたから日本国内の協調派が発言力を失い強硬派の発言力が増したんだよ。マスゴミもそれを煽り続け国民の民意を間違った方向へと煽動した。

[匿名さん]

#7232020/10/02 20:28
>>713
お前はパヨクがネット上に撒き散らした反日プロパガンダの残骸をコピペして、それをさも自分の主張のようにしてるだけ。

[匿名さん]

#7242020/10/02 20:30
>>718
それはお前個人の主観でしか無い。民主主義の定義の要件は満たしてる。成熟度の差はあれど紛れも無く日本は明治以降ずっと民主主義の国だ

[匿名さん]

#7252020/10/02 20:40
>>719
それは話し合いの結果10ヶ条まで縮小されて中国も承認している。日本の協調派の努力により譲るところは譲る外交的努力は行っている

その後の展開として

>>締結直後の6月22日に中華民国は懲弁国賊条例を公布した。これは日本人に土地を貸したものは公開裁判なしに死刑に処すもので、土地商租権は調印と同時に早くも空文と化し、中国は条約に違反した。中国の門戸開放(Open door)を唱えるアメリカは、日本の対中政策との妥協点を求め、1917年に石井・ランシング協定を結んだ。1919年、大戦後のパリ講和会議でも日本の要求が認められた。

 中国の侵略行為による人権侵害と、中国の利権が欲しいだけの欧米列強の二枚舌外交だけが際立つ

[匿名さん]

#7262020/10/02 20:42
>>713
反日パヨクの作文に過ぎない

[匿名さん]

#7272020/10/02 20:45
>>715
欧米列強の植民地支配により属国だらけの当時の世界には現代の国際世論と呼べるようなモノなどない。欧米列強の意思=国際世論だ。

[匿名さん]

#7282020/10/02 20:46
>>716
パヨクがネット上にばら撒いたコピペだけを根拠に史実だと言われてもなぁwww

[匿名さん]

#7292020/10/02 20:49
>>720
お前はパヨクがネット上に撒き散らしたプロパガンダをコピペして自分の主張だと言い張ってるだけ。

東京裁判が不当な物であることに変わりは無い

[匿名さん]

#7302020/10/02 21:39
>>717
制限したのは世論だ。当時、反戦の意思のある少数の人間の声を封じ込めたのは軍や政府の圧力では無く、圧倒的な世論の圧力であった事は明らか。

[匿名さん]

#7312020/10/02 21:41
>>730
だからこそ外国人勢力はその国の世論工作に力を入れるのだ。

[匿名さん]

#7322020/10/03 01:11
>>720
東京裁判が不当な物である事は解っているのに、それを認めればパヨクの主張する事の根拠が根本から崩れる。だから「受け入れた」とか「無効にならない」とか論点をずらして逃げてる

[匿名さん]

#7332020/10/03 04:00
論点は全くずらしていない。まず不当なものであると言っても 国際的に確定してるものではないし
単に国内の保守派の面々が騒いでるだけである
東京裁判を受け入れて 戦後の日本がスタートしたのに
勝手に不当だといって歴史を捻じ曲げているだけである
パヨクの主張もなにも 国は東京裁判を否定していない

[匿名さん]

#7342020/10/03 04:06
>>721
犬養毅首相の暗殺(五・一五事件)で政党内閣時代は終わりをつげると、斉藤内閣は選挙法取締り強化の大改正を行い、その一貫としてつぎの岡田内閣は、昭和10(1935)年5月に選挙粛正委員会令を公布して、官民共同の全国運動へと発展させていきました。


選挙粛正委員会は各道府県につくられ知事が会長となり地方有力者が委員に任命すると、選挙粛正運動は在郷軍人会、青年団、部落会・町会・婦人会を組み込んで戦時協力体制を構築する推進力となっていきます。


さらに、東條内閣は、各界代表33名による翼賛政治体制協議会(会長は元首相の阿部信行陸軍大将)を結成して候補者の推薦制による総選挙の実施を閣議で決定すると、翼賛選挙貫徹運動へと発展させていきました。

戦前は一部の人にしか選挙権が与えられておらず 東条内閣では翼賛体制を強化するための選挙になっている とても民主主義とはいえない

[匿名さん]

#7352020/10/03 04:07
>>722
外交的努力を壊していったのは 軍部であって 2.26以降 軍部が権力を掌握したことが原因です。
つまり責任は日本ですよ。

[匿名さん]

#7362020/10/03 04:08
>>724
そもそも、大日本帝国は帝国主義であり 大日本帝国の主権は国民ではなく天皇である

[匿名さん]

#7372020/10/03 04:10
>>725
欧米の二枚舌外交もなにも 根本的に日本は中国を侵略したんですよ(笑)

[匿名さん]

#7382020/10/03 04:12
>>730
お前はバカか。 制限したのは軍や政府が決めた治安維持法だ。 国民は被害者である

[匿名さん]

#7392020/10/03 04:13
>>728
パヨクもなにも 歴史的事実(笑) 教科書にも載っている。

[匿名さん]

#7402020/10/03 04:16
>>730
大正デモクラシーが進展した結果、1925(大正14)年、加藤高明内閣で普通選挙法(日本)が成立したが、それと同時に治安維持法も制定された。国体(天皇制)の変革や、私有財産制の否定を目的とした結社とその運動を禁止することを法律として可能とした。具体的には、はじめは共産党(1922年結成)などの社会革命をめざす運動を取り締まるものであったが、次第に政府の政策を批判する自由な発言も取り締まりの対象となり、穏健な自由主義者や労働運動なども取り締まりの対象となっていった。また1928年の田中義一内閣は、勅令で最高刑に死刑を加え、軍部に対する反対運動や反戦活動を厳しく弾圧する手段とされた。日本の天皇制軍国主義体制を支える立法であった。

これが民主主義なんていえるか

[匿名さん]

#7412020/10/03 04:24
>>725
第一次大戦のドサクサに日英同盟を理由に参戦し、ヨーロッパ戦線に兵力を取られて手薄な東アジアのドイツの拠点を楽に制圧し、
ついでにそれも含めて自国に有利な条件を(列強がヨーロッパ戦線に気を取られている隙に)中国に押し付けたのが21か条の要求。
でも後に中国から列強にちくられて、圧力かけられて駄目になって、それを逆恨みしたのが第2次大戦の原因の一因になる。

全体像を全く理解していないと思われる。

[匿名さん]

#7422020/10/03 04:28
>>731
治安維持法も成立しているのに あの当時に外国人勢力が日本の世論を誘導していたなど
妄想レベルですよ(笑) 

[匿名さん]

#7432020/10/03 04:30
>>727
第一次世界大戦後に決められた不戦条約を破ったのは日本だって。

[匿名さん]

#7442020/10/03 07:44
>>733
論点は不当な物であるかそうで無いかだバカ

[匿名さん]

#7452020/10/03 07:51
>>738
パヨクの撒き散らした嘘を鵜呑みにするデュープスが笑わせるわwww

その方針に日本のマスゴミや世論は反発力したのか?反対運動があったか?軍や政府が国民を抑圧的した事実があるか?何もねーよ。

強い世論の後押しがあったのは事実だ。社会全体が国民の言動を制限したんだよ。

[匿名さん]

#7462020/10/03 07:53
>>739
世界中の歴史教科書なんてプロパガンダの道具でしか無い。オメデタイ頭してんなお前はwww

[匿名さん]

#7472020/10/03 08:04
>>742
無かったと思ってるお前が無知なんだよ。古くは江戸時代から宗教など外国の工作は存在する。あの頃の日本の社会は政府に抑圧されてるような空気など無い。戦争を反対するような言動をすれば「非国民」と罵られ叩かれた。

これは政府や軍が強要してやらせた訳では無い。マスゴミに煽られた日本国民が自主的にやっていた行動であり、これこそが国民の言動を制限した世論の圧力という物だ。

[匿名さん]

#7482020/10/03 08:10
>>743
その条約に関してアメリカもイギリスも自衛戦争や自国の利益に関わる戦争は侵略では無いと言ってるが?www

>>アメリカの条約案は自衛権を決して妨げるものではなく、あらゆる条約は自衛権を含意しているとした。そして侵略の定義については、無法者にとって定義を悪用するのは容易であるからとして、敢えて曖昧な状態にした[3]。条約批准に際し、アメリカは、自衛戦争は禁止されていないとの解釈を打ち出した。またイギリスとアメリカは、国境の外であっても、自国の利益にかかわることで軍事力を行使しても、それは侵略ではないとの留保を行った。

[匿名さん]

#7492020/10/03 08:20
>>743
当時の条約なんぞ、どれもこれも欧米列強の利益を守る為に他国の行動を縛る目的の物でしか無い。アメリカとイギリスは好き勝手な解釈をしてやりたい放題

[匿名さん]

#7502020/10/03 08:22
>>745
❌反発力→⭕️反発
❌抑圧的→⭕️抑圧

[匿名さん]

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