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明を建国した朱元璋(しゅげんしょう:1328年から1398年)は重税に苦しむ極貧の農家に生まれた。しかも両親が早くに死亡したため、若くして流浪の托鉢生活を強いられた過去がある。
この時代の経験が皇帝になってからの朱元璋の行動に大きな影響を与えている。
貧困時代の朱元璋は末端の官吏に苦しめられていたようである。その記憶が染みついているために、朱元璋は官員の不正に対して非常に厳しかった。
朱元璋は官員・官僚を処刑する新たな刑をいくつも考案している。それらは狂気をも感じさせるあまりにも残酷な刑であった。
抽腸(ちゅうちょう)はあまりにも残酷な刑であったため、刑を発明した朱元璋自身が廃止したと言われている酷刑だ。抽腸の執行には次のような装置が使われたと言われている。
装置の全体は巨大な天秤の形をしている。天秤の一方には大きな鉄製のカギがあり、もう一方には大きな台がぶら下がっている。
この天秤のカギを受刑者の肛門に無理やり挿入した後に、もう一方の台に石を積んでゆくのだ。言うまでもなく受刑者はこの時点で生きている。
受刑者の体は固定されているため、カギが付いた天秤の一端が持ち上がると腸が腹から引き抜かれる。
腸が引き抜かれた受刑者は苦しみながら絶命したというから非常に残酷な刑なのである。
明末の農民反乱の首領である張献忠(ちょうけんちゅう:1606年から1647年)は捕えた明の官僚に対して似たような刑を執行したと言われている。
張献忠は肛門の周囲をえぐって大腸を引き出し、それを馬に繋いでから馬を走らせたという。このようにすることで大腸から小腸、そして胃袋までが引き出され無残な死に方をしたというから、朱元璋の抽腸よりもさらに残酷な刑であったといえよう。
作家魯迅に「明は皮剥ぎに始まり、皮剥ぎに終わる」という言葉があるが、「明は抽腸に始まり、抽腸に終わる」とも言えるかもしれない。