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2024/06/07 12:07
爆サイ.com 北部九州版

神道・仏教





NO.5522203

結局「空海」は悪魔崇拝者だったんですよね?
合計:
#2912017/06/06 00:53
>>289

>>仏教の両輪 智慧と慈悲の完成です

なるほど、知恵と慈悲ですか。これは分かりやすいですね、もっと早くこれを書いてくれればいいのにw

ところで、人間(自分)=宇宙=大日如来 とのことですが、大日如来の前には生き物はすべてが平等(同じ)って意味ですよね?大日如来ってどんな神様なんですか?そこを知りたいです。

あと、大日如来の経典も良かったら出してもらえませんか?

私が聞いた話では、法華経は「悪魔に許しを請うもの」と聞いております。これは違いますか?

[0]

#2922017/06/06 01:15
>>自分が宇宙と同じと気付きます

これの意味が分かりません
宇宙ってスケールでかすぎませんか?

[匿名さん]

#2932017/06/06 01:26
>>289

>>理趣経は衆生を差別なく救う菩薩の為の

経典なのです。

これはあなたの見解ではなく本当のことなんですね?
なぜ菩薩の救いが「性的なことを推奨すること」につながるんですか?

ホームレスだろうが犯罪者であろうが、平等に性的なことはやってよろしいって意味ですか?

どう差別なく救うのか意味が分からないです

[匿名さん]

#2942017/06/06 02:57
>>291

仏様は三身と言いまして

法身 報身 応身と三つに分けられます。

大日如来様は法身になります。
法身は姿 形が見えなくて法そのもの(宇宙そのもの)です。

なので衆生を救う時は
不動明王などに化身します。
密教の高僧は不動明王が見えて話を聞く事が出来ます。

報身は阿弥陀如来様や薬師如来様や観音菩薩様や地蔵菩薩様など 多くおられます。
この仏様も修行を積んだ高僧は把握出来ます。

応身は お釈迦様になります。
密教的には元々 仏様が法を説くために肉体を選んで生まれたと解釈します。

だから大日如来様は宇宙そのもので貴方も大日如来の一部です。

人は仏性(大日如来)と言って心の奥の奥の真ん中に仏性が有り
その回りを煩悩が覆い被さって心が出来ています。

我々の宗派は理趣経と観音経、般若心経と短めの御経と真言がメインです。
高野山真言宗系なので
他の宗派も大体同じと思います。

<私が聞いた話では、法華経は「悪魔に許しを請うもの」と聞いております。これは違いますか?>

全く違います。
マイナス100点の解釈です
あきれてものも言えません!
法華経も一切が平等で全ての人を救おうという
菩薩の経典です。

そういうソースからは離れるべきと思います。

[匿名さん]

#2952017/06/06 03:04
>>292

悟ると宇宙と一体になるようです。

高僧の話や高名な医者
登山中に体験した方もおられます。

7000000000人いますので10人位いても おかしくないと思います。

[匿名さん]

#2962017/06/06 03:19
>>290
同感。説教されてるようで貴方の話を聞いていたら仏教が嫌いになってきた。

[匿名さん]

#2972017/06/06 03:22
本人の出してるエネルギーが 粗い所以かも。説く人間により伝わるものさえ印象が変わる

[匿名さん]

#2982017/06/06 03:31
>>293

性的なことを推奨するのでは無くて

悟りを ある程度ひらいて
人を救おうと現実を見たときに

欲望のおもむくままに生きている人ばかりだと

しかし理趣経の教えを説けば

欲望を取り除き 地獄に堕ちる事もなく
光の世界に導くと。

元々、我々は大日如来の現れですから。

経典では

★世にあるすべてのものは皆、
その本性(もと)なべて清らなり。
かくて人々 聞けよかし、
智慧の眼を見開きて、
世にあるすべてを 眺むれば、
智慧の境地に至りつき、
われ、ひと、共に清まらん。
金剛手菩薩、聞けよかし、
すべてのものの 清らなる、
般若の教え 耳にせば、
障りすべて(煩悩全て)は 消え去りて、
光の道場(にわ)に 入りぬらん★

だから

世の中 全ての欲望の元の元は清浄なり

差別なく般若理趣経の教えを説いて

欲望を取り除こう!

という事ですかね。

これは私の解釈で仏説ではありません。

3回読めば欲望を肯定して無いのが分かるはずです。

[匿名さん]

#2992017/06/06 05:41
あと チベット仏教の高僧の法話が有りますので
夕方に載せます。

いかに欲望を滅却するのが大事か説いてます。

やっぱり凄いです。

[匿名さん]

#3002017/06/06 12:12
でも、所詮中国文化の沢山入った中国仏教ですね

[匿名さん]

#3012017/06/06 12:14
>>300

チベットはインドから直接入ったから中国は関係無いですよ♪

[匿名さん]

#3022017/06/06 18:00
チベット仏教 高僧 法話


人生における過ちと不満は、自らの激しい煩悩による。
(煩悩=社会的価値観の縛り)

煩悩の原因は統制されない心にあり、鋭い注意力によって、再び正しい状態に戻さなければならない。

特に欲情を起す対象を観想し、五つからなる構成体に識別せよ。

(五蘊=色:物質および肉体、受:感受作用、想:表象作用、行:意思・記憶、識:認識作用・意識)

まずは身体より分析することから始めよ。

肉、血、骨髄、脂肪、内蔵、四肢、感覚器官、大便、小便、寄生虫、体毛、爪など、身体の不浄なる部分を識別せよ。

これらの部分を構成要素や感覚領域にまで、分類し類別せよ。

次にこれらをこれ以上分割することが出来ない、微粒子にまで分解し、分析せよ。

執着が起ころうが起こるまいが、ただ不浄のものに過ぎないとこの身体を見よ。

身体は汚い組織、管と汚物の塊。またぶくぶくした泡の如しと念ずるべし。

この洞察の流れが止んだとき、受・想・行・識の、それぞれの本質に対しても、細かく分解し、分析せよ。

泡や蜃気楼、芭蕉、魔法の幻影の如しと、対象を見るとき、それらに対する欲望は起こらないであろう。

つまり欲望が消え去るまで、洞察の流れを保っておくこと。

欲望が消え去れば、その対象への考察をやめ、ほかの像へ次々と移り、それを試すこと。

[匿名さん]

#3032017/06/06 18:01
このようにして、誤認された知覚のすべては、実態のない構成体であるとわかる。

(五蘊・皆・空=すべての存在に実体がない)

これらの実体のない構成体に着目し、ただ瞬時に消滅するものとして、立ち起こる現象を見ることが、

正しい黙照といえる。
(黙照=照見 自己をありのままに見る。)

生じたものはついには滅する。

過去だけでなく現在と未来の世界も。

必然的に消滅することに、気づくべきである。

条件付けられた存在こそが、苦しみの原因であると知れ。

(条件は誰かの言った言葉で縛られた思い、こうすべきだ・・・云々)


いかなる生き物も突然に、孤独に死ぬために生まれてくる。

(死神を背負っていない人間はいない)

世間のいかなる形態(色)も、移ろい行く(空)ことを理解したとき、存在の織りなす無常を見る。

(諸行無常)

つまり、いかなる形態が存在しようと、黙照という心の力によって、存在の無常が感得される。

いかなる欲望の対象が形成されようとも、稲妻の光、泡、雲のように、揺らめくものと観、

その欲望が消え去るまで、この洞察の流れを保っておくこと。

[匿名さん]

#3042017/06/06 18:02
その後、この多くの部分よりなる集合体に対し、

苦しみの実相、あるいは、必ず、次の苦しみとなるであろう快楽が、

はかない、刹那的状態にあることを見よ。

人類すべての苦しみと、その基盤である心身の仕組みが、いかに大きいかを黙照せよ。

(無:眼・耳・鼻・舌・身・意識)

心身は本質的な欠陥を有するがゆえに、複雑に絡みあう苦しみの堕落から、逃れられる可能性は、針一本の隙間さえない。

ゆえに心身は苦しみの源、不浄なる道、燃え盛る地獄、共食いの島であるといわれる。

(諸法無我)

これが消え去るまで、この洞察に出来る限りとどまるよう。

苦しみを捉える最後の洞察としては、

「われ」をあらしめていると思うものに対しても、はかない塊として、この集合体を分析し、自己を空性なるものとして捉えよ。

滝や雨が降るように、また空き家のように、観て、それが消え去るまで、この確心の状態にとどまれ。

この認識が薄らぐときには、先のように段階的に試みよ。

[匿名さん]

#3052017/06/06 18:07
前の修行を忘れてしまったときには、一つの対象についてさまざまな分析をするように。

何度も繰り返しこの意味を考察するために、

時には他者の心身構造を観、時には自身の心身構造を調べ、

時にはすべての条件付けられた存在を考察せよ。

(条件付け=言葉で切り取られた)

このようにして、すべての執着は滅する。要するに、すべての思考を捨て去り、

多、無常、苦、空性の考察という、この四つの分析修習の輪を、常に転ずるべし。

多少分析らしいことが巧みになっても、さまざまな対象をはっきりと知るまでは

猛威をふるう草原の炎の如く、絶え間ない、分析修習の完成に努めること。

あらゆる前生の間に、歪められはっきりとせず、

散漫としたこの「われ」は、白昼夢と誤解の傾向によって創られたこの妄想は落ち着きによって、再び元に戻されなければならない。

散漫な気が衰えて、計らいが静まり、いかなる煩悩も心の中に起こらなくなるとき、

心の静寂の中でくつろぐ。

精神活動が再発したら、前のような分析を続けよ。

常に対象を明確に思い起こし、曇りなく知る認識力を保ち続けよ。

忘れやすくなり、煩悩が起こるときこそ、敵に対する剣として、分析を試みよ。

[匿名さん]

#3062017/06/06 18:08
暗闇の中に差し込む光のように、注意深い考察の修行は、

有害な欲情の痕跡さえ、跡形もなく滅し去る。

不完全性を理解し、条件付けられた存在の真相を、深く見るほどに、

絶対的な安らぎと、はるか彼方まで透き通るほどの清浄さを、知ることであろう。


自他の心身や、条件付けられた存在の、多、無常、苦、空性を、

絶え間なき反復を通して、認識せよ。
労することなく、心は完全なる理解力によって満たされる。

視覚は幻であると知れば、欲望の源は静められる。

欲望という破壊者より解き放たれ、心は静まり、晴れやかとなる。

自己を制した清らかさに触れるとき、平和な静寂の三昧が成し遂げられる。

(三昧=サマーディー:心が統一され安定した状態)

三昧は鋭い洞察力を、呼び起こす。

これは三乗に共通する道の入り口である。

(三乗=小乗仏教・大乗仏教・密教:金剛乗)

相互依存性として起こり、幻の如く見えるすべての事象は、
(相互依存=因縁生起=実体はない=ご縁により生起する)

本来、不生。

本質は空。

実体的基盤は何も存在しない。

それは一、もしくは多などという、相対性から離れている。
(非言語概念世界=空性)

[匿名さん]

#3072017/06/06 18:10
如来蔵である、相対性のない絶対的領域。

それを覚るならば、生と死の辺際を越えて、大いなる無住処涅槃に到達する。

最勝なる清浄と至福は、大いなる無為と呼ばれる。

それは大いなる「われ」の特性であり、無上の波羅蜜、奥深き核心である。

(波羅蜜=智慧の完成)

マハーヨーガ、アヌヨーガ、アティヨーガのタントラにおいて、先天的に備わる大楽の境地は、

自然(じねん)に生じる知恵によって開かれる。

ここにおいて、すべての教えが極まる。

仏陀の具現である、上師(ラマ)の導きに従い、ゾクチェンの自然なる解脱の伝統において、

大乗の顕教と密教の両方に、共通する前行として修行する。

この妙観察なる最勝道により、条件付けの当惑から退くことが出来る。

最初に分析の功徳によって、欲情反応はもはや起こらなくなる。

次に、心身の空性を確信することにより、三界に対するすべての欲望は滅せられる。

徐々に、すべての迷いの痕跡は、空性の静寂の中に消え去り、何ものをも望むことなく、

「われ」や「我がもの」というすべての執着から、遠く離れ去る。

何ものにも固執することなく、慈悲を抱き、恐れることなく、

法界の大空を飛ぶ鳥の如く、人生を飛翔する仏子は、法雲地へとたどり着く。

[匿名さん]

#3082017/06/06 18:22
尊い伝統の教えでは、止観の前行である、心の分析浄化は、

(止観=止:意識を呼吸に置く冥想、観:全身を観る冥想法)

三乗の道において、きわめて重要なものである、と説かれている。

(三乗=小乗・大乗・金剛乗:密教)

心の分析浄化の考察を、繰り返すほどに、煩悩は小さくなり、

ほんのわずかな欲望にも、気づくことが出来るようになる。

徹底的考察は平静さを容易にする。火によって錬金された黄金が、柔らかく順応性に富むように、

欲望から解き放たれた心も、そのようなものとなる。

無数の聖なる経典には、神々の数千年に及ぶ、

三宝へのあらゆる供養の功徳も、指をはじく一瞬ほどに得た、

(三宝=仏:覚りの智慧 法:教え 僧:修行者)

(功徳=仏法僧に供物を捧げることによって得たメリット。)

無常、空性、無我の分析による功徳には及ばない、と説かれている。
(四法印=諸行無常・諸法無我・一切行苦・涅槃寂静)

仏陀曰く、

大乗の教えをまとめた詩頌の吟唱は、八万四千の法門を覚ることに等しい。

この教えの意味をよく反復していくと、百千万の経典も、要訣はみな同じであることに気づく。

それゆえ行者は、修行に専念することにより、奥深く広大な智慧の蔵を、労することなく手に入れ、

速やかに解脱に導かれていく。

この論釈の善と、出離がもたらす甘露の力を持って、
(出離=出家して仏門に入ること)

末法の世で苦しむ一切の衆生が、安らぎの境地に達せられますように。

[匿名さん]

#3092017/06/06 18:42
>>295
身体を持ち現世を生きているのは約60億以上だが
身体を持たない魂は数に入れないのかい?

[匿名さん]

#3102017/06/06 18:59
〔龍の血を継ぐものよ…〕って意味わかりますか?

[匿名さん]

#3112017/06/06 19:09
五戒の破壊、宗教の規定した善悪の破壊、つまり″一切清浄″が明記された最初の経典である。
 
仏教、儒教、キリスト経などの宗教が善悪を規定しなくてはならない背景、それが成立する時代には、絶対権力者による無秩序な残忍な処刑の横行があり、それにより民衆の反発を受けて権力者自体も殺されるという悪循環があった。
 
そして″五戒″(殺さない、姦通しない、盗まない、嘘をつかない、酒を飲まない)を守る事は、程よく国を納める事や民の平安を築くために必要であった。
 
そもそも″仏陀の悟り″とは、一切平等と縁起であり、人間が地球の循環(食事と排泄、呼吸)が生きる目的であり、地球循環を支える他の生物と変わらない、そして人間がいなくても変わりがいる存在、『万人万物の働きは、平等で地球循環を支えるために生きている』という″気づき″である。これは、地球が惑星である事も明らかでない時代には画期的な発見で、誰もが理解できる時代ではなかった。

[匿名さん]

#3122017/06/06 19:09
秘密集会タントラは、仏教成立から千年以上経過して成立した。成立時期とは、時代背景も価値観も全く変わった。
 
すると今度は、″五戒″を基礎とし、様々な戒律が規定され、宗教的な善悪がはっきりとした反面、善悪が固定概念を産み、″善人″と″悪人″という差別を産み、″一切平等″という″悟り″から離れてしまう事になった。
 
新しい時代の″悟り″のために″宗教的な善悪を破壊する目的で″秘密集会タントラ″は成立する。
 
そして、″悟り″のための手段が″五甘露(人糞、人尿、精液、経血、人肉)を食す事″である。これは、錬金術とも共通する部分で、賢者の石は人糞の塩と人尿の塩で精製できるとされている。
 
″五甘露を食す″事は、人間の本能による最大の嫌悪であり、最大のタブーである。その行為は、根強く意識に埋め込まれた宗教的善悪の固定観念すらもいとも簡単に破壊してしまう。
 
これの経典は、密教の入り口にしか過ぎない。何故なら、自然には善悪は存在しない。つまり、″五戒″は本能ではなく、単なる刷り込みに過ぎない。自然の善悪感は、″欲″と″畏怖″である。

[匿名さん]

#3132017/06/06 19:10
本能としての善悪の破壊こそ、次なるステージである。それが母タントラ経典へと続く。本能を破壊する事は無限の創造を可能にする。神を超えるとでもいおうか。
 
東洋では、時輪タントラ成立を最後に密教は滅びる。しかし、西洋でタントラは錬金術から科学へと発展し、現在に至る。
 
西洋のタントラは、医療に集約され、それは神を超える思想を受け継ぐ。つまり、不老不死を実現させようと日々進歩している。

[匿名さん]

#3142017/06/06 19:10
一言で言えば、これまでの善悪の観念を壊すために、徹底的に「悪」を行って悟りを開きましょう、というわけです。
 
で、本能的欲求をむさぼり、「糞・尿・精液・経血・肉体」を飲食し、さらには十二歳と十六歳と二十五歳の女性とセックスをしなさい、というわけです。

[匿名さん]

#3152017/06/06 19:22
貴方は自分でしか理解していないことを並べ立てて知らぬ者に伝えることで

自己満足の世界に浸っているだけなのです

仏教を学ぶ以前に倫理観を学びなさい

今の貴方にとってその方が賢明でしょう

[匿名さん]

#3162017/06/06 19:47
>>315

論破されて悔しいですか?

ヘビみたいに しつこいですね。

[匿名さん]

#3172017/06/06 19:56
私は、「悟り」に至るには、人それぞれのやり方というものがあると思うんです。
少なくとも、宗教そのものに拒否反応を示す人間に無理矢理教え込むものではないと考えています。

ただ、間違えてはいけないのは、ここのスレッドは基本的に仏教について語ることが多くなるスレッドなので、拒否反応を示す人は、無理に全部を読む必要はないと思います。

これだけの資料を集めて、読める文章として現代語に翻訳するだけでも大変ですよ。

>>315
仏門にて修行している人間とは思えない言葉ですね。
少なくとも、倫理観を学ぶのはあなたの方だと私は思います。

[へたれP◆OTFkY2E3]

#3182017/06/06 20:01
>>279

取り合えず理趣経の説明とチベット仏教の高僧の法話で 誤解が解けたと思います。

チベット仏教の高僧は凄いですね
お釈迦様の説法のようです。

いかに個人ブログがメチャクチャか分かって頂けたと思います。

[匿名さん]

#3192017/06/06 20:08
>>316
えっ論破?意味不明

[匿名さん]

#3202017/06/06 20:09
>>317
貴方の思考が笑えます

[匿名さん]

#3212017/06/06 20:10
>>317
不思議な人だ

カキコミガできる者に対して人間と思えないとは情けない人です

じゃあ人間で無いなら何だと思います

[匿名さん]

#3222017/06/06 20:14
へたれPさん ありがとうございます(^^)

[仏陀の弟子]

#3232017/06/06 20:21
>>322
さすがブッタの弟子(笑)ナイスフォロー
ヨイショが最高です

[匿名さん]

#3242017/06/06 20:22
>>323

どん亀か?

[匿名さん]

#3252017/06/06 20:56
>>316
どうも失礼しました

ブッタがどうのこうのと御大層なことを言ってはいますけどね

結局はあなたもその程度の返し方しかできないのですよ

残念ながらそれが本当のあなたなんですよ

[匿名さん]

#3262017/06/06 22:05
>>325
それだけは言ってはいけませんよ。
仏は地獄にいると言われます。
なぜなら、救う必要があるのは悪人だからです。
人を天国へ導くことを諦めてしまったら、それはもう宗教家ではありません。

>>321
人間は人間です。
ただ、私とあなたで見えているものが違うだけですよ。
別の人間ですから、視点も深さも違うのは当然のことですが。

そして、人より物事が深く見えることが優れていることとも私は思いません。
幸せになれなくなりますから。

[へたれP◆OTFkY2E3]

#3272017/06/06 23:26
>>294

仏様は三身と言いまして

法身 報身 応身と三つに分けられます。

大日如来様は法身になります。
法身は姿 形が見えなくて法そのもの(宇宙そのもの)です。

なるほど、ありがとうございます。
何となくですが、密教のことが見えてきました。
1つ質問があるのですが、密教の中で人間が神になれるというような教えはありませんか?
宇宙=神 という意味ではないですよね?

煩悩や己の欲を捨て去り、修行の果てに悟ることは百千万の経典も、要訣はみな同じであることに気づく、それは四法印=諸行無常・諸法無我・一切行苦・涅槃寂静であると。そして、その知恵をもとに慈悲深い心を持ちなさいということですね?

いやー、これが密教の本質であれば素晴らしい教えだと思いますよ。一度図書館でも行って、密教について本でも読んでみますね。

何かお勧めとかありますか?

[0]

#3282017/06/06 23:55
>>294

もともと密教の誕生したインドでは、ヒンドゥー教シャークタ派のタントラなど女性器信仰の影響を強く受けて誕生したものなんですね。
日本の特に空海が唐から持ち帰った、密教思想はこれとは全く異なるものであると断言していいんですか?
性交によって仏と一体化し、呪術的な能力を発揮することができると考えられるようになったとあるのですが、空海はそのような儀式は一切行っていないんですね?
もしそうであれば、なぜあなたはそう断言できるのですか?

[匿名さん]

#3292017/06/06 23:58
>>327

こんばんは。

宇宙は神ではありませんよ!

自分の垣根が無くなるという事です。


<煩悩や己の欲を捨て去り、修行の果てに悟ることは百千万の経典も、要訣はみな同じであることに気づく、それは四法印=諸行無常・諸法無我・一切行苦・涅槃寂静であると。そして、その知恵をもとに慈悲深い心を持ちなさいということですね?>

はい そうです!貴方の方が分かってらっしゃる。

付け加えるなら

★三昧は鋭い洞察力を、呼び起こす。
これは三乗に共通する道の入り口である★

三昧は仕事を一生懸命やっても三昧です。
日常生活もそうです。

本は申し訳有りませんが持ってません。
住職から聞いた事を話しております。
テキストは貰いました。


図書館なら高そうなので、まず間違い無い
仏教本だと思います。

ですが実際に般若心経を唱えてみて下さい。
チベット仏教の高僧の法話は般若心経そのものです。

一分ですから僕なんかは仕事しながら唱えてます。

[匿名さん]

#3302017/06/07 00:15
>>328

だって高野山は女人禁制ですよ
1906年まで、1000年以上も。

空海様は自分の母親も入山させなかったのですから。

釈迦教団もHしたら教団追放。

スポーツじゃ無いんだから

[匿名さん]

#3312017/06/07 00:23
>>309

動物や虫や霊など数えた事が有りませんので見当も付きませんm(__)m

[匿名さん]

#3322017/06/07 00:36
>>328

付け加えるならチベット仏教は正当な密教です。

法話を聞いても分かると思います。

個人ブログの訳の分からない方々は
立川流やオウムみたいな特殊な例を取り上げて

面白おかしく書いて有るだけです。

私も見たんですが馬鹿馬鹿しくて話になんないのですよ。

例えるならばイチローのバッティングを猿が批判してる感じです。

ハァー( -。-) =3アホらし
どう言ったらいいの

[匿名さん]

#3332017/06/07 00:42
>>326
例えばです。おかしな質問をしますけど

ヘビみたいにしつこいです。

といわれていますがヘビが本当にしつこいと思われますか?

もし本当にヘビはしつこいと思われるならどのようにしつこい

と思いますか?

答えられるのが煩わしいと思うなら返事は結構です

[匿名さん]

#3342017/06/07 14:35
>>333
ちゃんとした語源を知っているわけではないので、推測になります。

蛇というと、日本ではアナコンダクラスの蛇はいません。
大蛇と呼ばれるものでも2メートルくらいです。
おそらくですが、「巻きつく」という要素が抽出されて、「振り払ってもなかなか振り払えない」という意味で使われているのではないでしょうか?

他にも、古代日本で蛇というと川を意味することがあります。
ヤマタノオロチ退治が、川の氾濫を鎮める治水工事を意味していたという説がありまして。
太古の昔から、治水事業というのは日本では大きな問題となってきました。
どんなに対策しても、何度対策しても、大きな雨が降れば川の氾濫が発生し、大小の被害は出るというわけですね。
そういう意味で、「退治しても退治しても付きまとってくる災難」という意味で、「しつこい」ものの代名詞とされているのかもしれません。

蛇自身は臆病な性格の生物で、地面を棒などで叩きながら歩いていると、逆に逃げてしまいます。
蛇に襲われるというのは、春先に牙の生え換わりの際に噛みつかれるのと、人間が意図してか意図せずか、蛇を攻撃してしまった時の反撃くらいなものです。
蛇の側から人間を執拗につけ狙うのではなく、人間が蛇を追いつめた結果として反撃されるのを、人間の側が勘違いしたというケースはあるかもしれません。

もう一つは、その言葉が海外から伝わってきたか、ですね。
海外、特に西洋では蛇は基本的に悪者扱いで、大小様々な怪物として創作されています。
私はあまり詳しくはないんですが、もしかするとその中に積極的に人を付け狙い襲う蛇というのがいるのかもしれません。

[へたれP◆OTFkY2E3]

#3352017/06/07 14:57
>>331
うまくかわしたね
俺の問いは人間をやっていた魂のことなんだが
まあいいや

[匿名さん]

#3362017/06/07 15:19
欲を捨てろって人間捨てろってことですか?機械と同じになれと

[匿名さん]

#3372017/06/07 15:27
>>334

古代蛇は邪悪な生き物で人々から忌み嫌われてましたよ。聖書でも蛇は悪魔として描かれています。嘘の象徴です。
ところで話は変わりますが、神社とかの入り口にしめ縄ってあるじゃないですか?あれって蛇を現わしてるって知ってましたか?神社の作りも女性器を現わしてるって聞いたことあります。

[匿名さん]

#3382017/06/07 15:35
確かに人間は「欲」があるから苦しむんだろうけど、その欲がないと人生つまらんでしょ?そうは思わないの?

[匿名さん]

#3392017/06/07 17:45
>>336

違いますよ。

小欲知足、質素な生活です。

何事もホドホドに。

美味いものばっかり食べると病気になる。

ギャンブルに、はまると借金地獄になる。

グルメは餓鬼道

ファッションも餓鬼道

これは仏説です。

[匿名さん]

#3402017/06/07 17:54
>>337
西洋では蛇は邪悪の象徴でしたが、東洋では龍のように蛇を取り込んだ神聖な創作生物も少なくありません。
そして、アメリカ大陸中部から南部の神話に登場する最高神は「ケツァルコアトル」、意味は「羽のある蛇」です。
多分ですが、世界中で見て善性しかない、悪性しかない生物というのはいないと思いますよ。

注連縄が蛇を表すというのは知られているというか、割と有名なんじゃないかと。
日本神道や神社仏閣についてある程度詳しい人なら、大体知っているんじゃないでしょうか。

女性器を表すというのは、どこまで正確に見立てたのかによって意味がかなり違ってくると思います。
子宮や卵巣まで表したとすれば、解剖した様子を見ていないと知ることはできないでしょうからね。
ただ、日本神話に「生弓矢」、「生太刀」があることを考えると、無い話ではないのかなとも思います。

先程の蛇の話にも戻るんですが、白い蛇を化身とする大国主命は因幡の素兎の話にある通り、医療技術が評価されたことで一時は主神となったと言われています。
上記2つの神器は、大国主命の所有物とされており、高い医療技術の象徴とも言われます。
ということは、中国辺りから早い時期に高い医療技術が入ってきていた可能性というのはあるわけですね。

ついでに言えば、蛇の皮は漢方薬で、ギリシア神話でへびつかい座と言えば医療の神アスクレピオスを指します。

私は特に専門家でもないので、このくらいしか知りませんが。

[へたれP◆OTFkY2E3]


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