欧米列強が小国を植民地支配する際、現地の支配者と併合条約を締結しているが、日本が琉球を併合する際、大日本帝国と琉球の間で併合条約は締結されていない。
例えば香港は、アヘン戦争の講和条約である南京条約で、清国からイギリスへの割譲が定められた。
また、日清戦争の講和条約で、台湾の「割譲」と朝鮮の「独立」を定めたが、琉球の帰属については何も決めていない。
いま中国が沖縄の領有権を主張しているのも、琉球を日本領とする国際条約がないことや中国が琉球への宗主権を放棄したとする条約がないからだ。
[匿名さん]
日本政府は戦時中、沖縄を外地と見ていた。
だから法的に戦争が終結した日にちが日本の内地と外地の沖縄では違う。
戦時中、外務大臣を務めていた重光葵が日本政府を代表して米軍艦船のミズーリ号で降伏文書に調印したのは1945年9月2日。
一方で、沖縄に配備されていた南西諸島守備隊の代表が降伏文書に調印したのは1945年9月7日である。
その南西諸島守備隊は外地の台湾に所属する帝国陸軍第10方面軍の所属だったことからも分かるように、戦時中の日本政府と軍部は沖縄を外地扱いしていた。
だから日本政府はこれまで一度も「沖縄は日本固有の領土」と言ったことがない。
[匿名さん]
法律上の用語として「植民地」という用語に代わって「外地」という用語を用いるようになったのは、1929年の拓務省の設置を契機とするとの指摘がある。
主として朝鮮の官民が植民地扱いされることを喜ばなかった。
[匿名さん]
第二次世界大戦(太平洋戦争)で日本政府と軍部は、自国の皇土を守るために外縁部(外地)で戦うことを決めていた。
「皇土」とは、天皇の国土、すなわち日本本土(内地)のことで、当時の軍部は日本本土(内地)のことを皇土と呼び、いかにして皇土を守るかが最重要課題とされていた。
一方、「外縁部」とは、フィリピンやガダルカナル島など、いわゆる南洋諸島を意味する。
日本政府と軍部は沖縄を皇土(内地)とは考えず、南洋諸島と同じ外縁部(外地)という位置づけだった。
そのことを東京大学の歴史学者である加藤陽子教授が数年前、朝日新聞の紙面で語っていた。
つまり、沖縄は当時の日本政府や軍部に捨て石として扱われたのである。
1945年2月、当時の近衛文麿首相が昭和天皇に対して早期の終戦を進言したにもかかわらず、昭和天皇は「もう一度戦果を上げてからだ」「沖縄戦を見てからだ」と答え、近衛首相の進言を退けている。
昭和天皇が沖縄を本土防衛の捨て石と考えていたのは言うまでもない。
[匿名さん]
現在の沖縄県は日本に必要不可欠な
都道府県の一つである。
[匿名さん]
日本政府は1879年に先島諸島を含む琉球諸島を併合したにもかかわらず、その翌年には国益の引き換えとして自国の領土と決めた琉球諸島の一部である先島諸島を他国に割譲することを日本政府自らが決定したという驚くべき歴史的事実がある。
当時の日本政府が日清交渉で先島諸島(宮古諸島、八重山諸島)を清國に譲り渡すことを閣議決定した歴史的事実は、今の日本政府にとって触れられたくない不都合な真実
からゆきさんを生み出したぐらいだからなこいつら
[匿名さん]