真偽は知らないがあの近辺はセメント輸送の拠点だからうなずける話。
美濃赤坂支線の存在意義と同じ。
[DJANGO]
北アルプスの乗り入れ用の線路(鵜沼あたりの)は、まだあるのかな?
[まさし]
岐阜駅前に走っていた、名鉄の路面電車の「岐阜市内線」は数年前まで走っていたのが懐かしい。
名鉄岐阜駅前の道路の真ん中に、昔のホ−ム跡が、わずかに残っていまつ。
[マイク]
あの辺りは混雑で簡単に工事できないから当分残りそうでつな。
上芥見のホームも金かけて撤去する意味が無いから健在。
松森とかは遊歩道になりつつホームは健在。
[DJANGO]
そういえば鵜沼駅自体が改修されて新しい駅舎になってまつ。
名鉄との連絡橋も架け変えてさらに遠くなりますた。
[DJANGO]
【福岡】「風を切って走る爽快感を楽しんでほしい」…JR廃線をトロッコが“臨時運行”、28日に嘉麻市でトロッコフェスタ
JRの廃線をトロッコが駆ける「トロッコフェスタ」が28日午前10時から午後3時まで、嘉麻市熊ケ畑の市山田活性化センター
そばの格納庫を発着点に開かれる。昨年秋には一部車両を改装し最大乗員数が増加。主催するフェスタ実行委の谷川正守
会長(72)は「風を切って走る爽快感を楽しんでほしい」と話している。
1966年に石炭輸送を目的に造られ、88年に廃線となった旧JR上山田線のレールを使用。フェスタが始まった96年から
2009年までは秋のみの開催だったが、参加者から「もっとトロッコに乗る機会を」と要望があり、3年前から春と秋の年2回
実施している。
線路は片道約1キロで、3両編成のトロッコが5、6分で往復する。昨秋に1両目の車両を改装したことで、最大乗員数が
約20人から約25人に増えた。
料金は小学生以下100円。中学生以上200円。市山田活性化センターでは同日、恒例のつつじ祭りも開かれる。
ソース(西日本新聞)
[匿名さん]
碓氷峠で架線盗難
1 : 【北陸電 80.6 %】 @関電φ ★:2013/05/09(木) 05:28:19.06 P
JR信越線の廃線となった横川(群馬県安中市)−軽井沢(長野県軽井沢町)間で、上下線合わせて約11キロにわたり
架線の銅線や通信ケーブルが切断され、盗まれていたことが8日、分かった。安中市が明らかにした。
市によると、両駅間にある複数のトンネル内から主に盗まれていた。碓氷峠交流記念財団の職員が4月下旬、
除草作業のために訪れて見つけた。
この区間は、長野新幹線開業に伴い平成9年に廃線となった。安中市は近く安中署に被害届を出す方針。
小林史夫安中市商工観光課長(59)は「大切な鉄道遺産が盗まれて残念」とコメントした。
ソース:msn産経ニュース
[匿名さん]
都内にも廃線、廃駅たくさんあるんだな…東武墨田公園駅、京成博物館動物園駅、最近では常磐線金町駅から出ていた貨物線が遊歩道になってた
[匿名さん]
都営浅草線の馬込工場って更地になってたな…工場への引き込み線の踏切近辺も…全国的にも珍しい地下鉄の廃線跡
[匿名さん]
田町〜品川間の幻の複々線用に作られた高架…再開発あるけど残るかなぁ
[匿名さん]
あれは休止中なんだっけ?汐留が再開発され、浜松町は駐車場になってる…線路は高架とトンネルで新幹線大井の車庫への回送線と平行してるから撤去も難しい。架線は撤去されてるな。
昔カートレインが浜松町から出てたんだよな…
[匿名さん]
【群馬】「線路を歩こうツアー」(わたらせ渓谷鉄道主催) せせらぎや大岩に感動
[匿名さん]
【鉄道】かしてつ交流の懸け橋 車両と40年ぶり「再会」 富山の元運転士らが茨城を訪問 1957年製「キハ432」
1 :アヘ顔ダブルピースφ ★:2013/06/17(月) 11:41:47.95 ID:???
かしてつ交流の懸け橋 車両と40年ぶり“再会”
富山の元運転士ら訪問 小美玉
【写真説明】車両を保存する小川南病院の諸岡信裕さんの話を聞く富山県加越能鉄道の元運転士ら=小美玉市小川
富山県のローカル私鉄・加越能鉄道加越線の元運転士らが16日、加越線を走り、
その後鹿島鉄道に渡った気動車「キハ432」を見学しようと、
車体が保存されている小美玉市小川の小川南病院を訪れた。
気動車は鹿島鉄道廃線時、鉄道ファンである同病院長の諸岡信裕さん(65)が購入。
“かしてつ”が懸け橋となり、富山と茨城の鉄道ファンが交流を深めた。
訪れたのは、訪問を企画した加越線資料保存会の善光孝さん(50)をはじめ、
元加越能鉄道の元運転士や駅員、整備士、鉄道ファンなど、富山県内の22〜84歳の18人。
気動車は加越線が1972年に廃止された際、鹿島鉄道の親会社である関東鉄道に譲渡され、
その後“かしてつ”車両として活躍してきた。
昨年、加越線廃止40年を迎え、加越線の気動車を所有する諸岡さんが、
富山県内で行われた廃線記念シンポジウムに招かれ講演。
元運転士らが、状態良く保存されている気動車があることを知り訪問を企画、諸岡さんが応えた。
茨城新聞 2013年6月17日(月)
[匿名さん]
豊橋鉄道柳生橋支線…R259を歩いてみたが何も残ってない…
[匿名さん]
国際空港に残る「廃線跡」…? 「動く歩道」を備えた連絡通路に役割を譲り、9月26日限りで「廃止」された、成田空港第2旅客ターミナルの本館とサテライト(別館)を結んでいた「シャトル」。廃止から約2カ月が経ったが、乗り場跡などには現役時代の面影が残っている。
シャトルは1992年の第2ターミナル開業時、本館とサテライトを結ぶ移動手段として登場。黄色い新交通システム風の車体だが、実際は水平に走る「エレベーター」で、車両の下から空気を吹き出して浮上し、ワイヤーで引っ張る仕組みの乗り物だった。約300mを1分ほどで結んだが、旅客数の増加に伴い待ち時間が長くなるなどの問題が指摘され、動く歩道に切り替えられた。
「シャトル」の軌道跡は新たに設置された連絡通路に挟まれ、展望デッキからは観察できず、出国審査後に利用する乗り物だっただけに「廃線跡」探訪はなかなか困難。今回、海外訪問の際に現在の様子を観察してみた。
以下こちらで
ttp://response.jp/article/2013/11/12/210497.html
[匿名さん]
幻の鉄道として知られる奈良県の「五新鉄道」用地を活用したバス専用道が、9月30日限りで閉鎖されることになった。専用道経由の路線バスを運行している奈良交通は、昔ながらのボンネットバスで専用道を走破するツアーを企画。8月下旬に実施する。
いわゆる五新鉄道(五新線)は、和歌山線の五条駅(奈良県五條市)から奈良県南部の山岳地帯を縦断し、紀勢本線の新宮駅(和歌山県新宮市)までを結ぶ国鉄線として計画された。現在の五條市域となる五条〜城戸〜阪本間約22kmのみ「阪本線」として1936年に着工が決定。戦争による中断を経て、1959年までに吉野川橋りょうを除く五条〜城戸間約12kmの路盤がほぼ完成した。
[匿名さん]
廃線に走れ、夢と笑顔乗せて テツ団結、観光活性化
柳谷政人2014年8月12日14時03分
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レールを手作業で枕木に固定する鉄道ファンら=岡山県美咲町
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利用者が減って廃線となった線路や鉄橋をそのまま生かし、地元住民やファンらが「鉄道」を走らせている。地元で親しまれてきた鉄道の風景を残したい思いからだが、取り組む人はみんな笑顔。観光の活性化を見込み、自治体の支援も手厚くなってきた。
■岡山・片上鉄道
カーン、カーン。レールを犬クギで枕木に打ち付けるハンマーの甲高い音が響く。隣では、汗だくの男性たちがショベルで土や砂利を掘り続けていた。
岡山県美咲町にある旧「同和鉱業片上鉄道」。1923(大正12)年開業の私鉄で、鉱石と沿線住民を運んできた。91年に廃止された路線で今、線路の延伸工事が進んでいる。担い手は、全国から集まった筋金入りの鉄道ファンたちだ。
[匿名さん]
京成白髭線の廃線跡を探索してみた…
…何も線路跡と思われるものは見つからなかった…
[匿名さん]
廃線となった鉄道で新駅が開業 ── そのワケは? 鉄道ライター・伊原薫
いま、日本のローカル線は大変厳しい状態が続いています。今年5月にはJR北海道の江差線で一部区間が廃線となったほか、2010年7月の土砂災害により運休となっていたJR岩泉線は復旧されることなく2014年4月に廃止されました。2012年4月に十和田観光電鉄や長野電鉄屋代線が廃線となったのも、鉄道ファンにとっては記憶に新しいところでしょう。
関西の鉄道ファン騒然、阪急電車が阪神の線路を走行?
廃線となった鉄道のその後は様々です。2008年に廃線となった兵庫県の三木鉄道では、三木駅跡に当時の駅舎を模した「三木鉄道記念公園」が建設され、また廃線跡は一部が遊歩道として整備されています。3両の車両はそれぞれ樽見鉄道・北条鉄道・ひたちなか海浜鉄道へ移籍し、いずれも元気に活躍中です。茨城県の鹿島鉄道や日立電鉄の廃線跡は、一部がバス専用道として整備され、鉄道代行バスが走っています。
一方、廃線跡の敷地や車両を観光に利用するところもあります。岐阜県の神岡鉄道では、線路の上を走行できる「レールマウンテンバイク」が運営されていて、観光客に人気を呼んでいます。他にも廃線跡を遊歩道やサイクリングロードとして整備したり、駅舎や当時の車両を保存する例は多くあり、その地に鉄道があったという歴史を伝えています。
[匿名さん]
■廃線になった鉄道が月1回「復活」
[写真]保線作業も保存会メンバーが行う。技術も精度もプロ並だ
その「鉄道」とは、岡山県にある旧・同和鉱業 片上鉄道線。かつて日本最大の硫化鉄鉱山であった柵原鉱山から、産出した鉱石を片上港まで輸送していましたが、柵原鉱山の閉山と共に1991年7月に廃線となりました。廃線後は大部分の線路跡がサイクリングロード「片鉄ロマン街道」として活用され、国内だけでなく台湾などからも訪れる人がいるとのこと。そしてもう一つ、旧吉ヶ原駅跡に「柵原ふれあい鉱山公園」が整備され、柵原鉱山の歴史資料の展示と共に、旧・片上鉄道線の車両たちが保存されています。そして、この車両たちは今でも月1回、実際に線路の上を走るのです。
保存を担当しているのは「片上鉄道保存会」の皆さん。地元の方をはじめ、岡山や大阪・広島などから約30名が集まり、車両の運転や整備、そして線路の保守など列車を走らせる全ての作業をボランティアで引き受けています。毎月第1日曜日に行われる「展示運転」では、旧吉ヶ原駅を起点に片道約300mの距離を走行。かつての本線を、当時と同じようにエンジン音を響かせて列車が走ります。列車の運転だけでなく、駅員や踏切の係員も全て会員が行っており、旧・片上鉄道線時代の制服・制帽を着用するなど、当時の雰囲気をそのまま伝えています。
[匿名さん]
■観光資源としての価値が認められ、新駅開業へ
[写真]月1回の展示運転には、大勢の人がつめかける
この展示運転が始まったのは平成10(1998)年。以来16年間、途中で線路の保守を徹底的に行うためのお休みを1年ほど挟みながら、月1回の展示運転は続けられてきました。そして今回「柵原ふれあい鉱山公園」の整備に伴い、展示運転の線路が延伸。かつての終点・柵原駅方向へ160m伸び、その先に新駅が開業することになったのです。駅名は公募で選ばれ、柵原鉱山で栽培されている特産品「黄ニラ」や、町をあげてPRしている「たまごかけごはん」の黄色にちなんだ「黄福柵原(こうふくやなはら)駅」と名付けられました。
ちなみにこの延伸、公園の整備の一環ということで、敷地の整地や駅舎建設は町が行ったのですが、その後の工事、バラストを撒き枕木を並べ線路を敷くまでは全て保存会が担当。1年以上、会員たちが毎週集まって工事を行いました。数人で力を合わせてレールを運ぶ、その中には女性の姿も見られました。「片上鉄道線OBや現役の鉄道会社社員に教えてもらいながら、本物の鉄道と同じ精度を確保しています」(保存会業務担当の森岡さん)とのこと。ショベルカーやバラストを運ぶ軌陸車(レールの上を走れる特殊なトラック)はなんと会員の個人所有で、信号機の取付から踏切整備までも自前でこなすなど、その技術力には驚くばかりです。
[匿名さん]
■保存活動が町の活性化に貢献
[写真]新駅・黄福柵原駅では、開業へ向け試運転が続いている
そして特筆すべきは、この保存活動が町の活性化に貢献しているということ。毎月行われる展示運転には、全国から多くの人が押し寄せます。廃線となった後も、こうして鉄道は生き続け、観光資源として大きな役割を担っているのです。そしてまた、それを町や地元が認識しているからこそ、新駅が開業することになったのです。
線路の延伸と新駅・黄福柵原駅の開業は11月2日。また、通常の毎月第1日曜日に加え、11月23日には臨時の展示運転も行われます。柵原ふれあい鉱山公園は、大阪市内からも車で約2時間30分と、日帰り旅行にも最適。懐かしい昭和の雰囲気と、美味しいたまごかけごはんを味わいに、訪れてみてはいかがでしょうか。
(文/伊原薫/鉄道ライター)
[匿名さん]
北斗星で行く広尾線・りくべつ鉄道・上白滝駅(ツアー)
「北斗星」(イメージ)
「北斗星」(イメージ)
びゅうトラベルサービスは、「『北斗星』で行く廃線施設を活用した観光名所と秘境駅『上白滝駅』を訪ねる」(ツアー)を開催。出発日は、2014年11月14日(金)、18日(火)で、各4泊5日。1日目は寝台特急「北斗星」に乗車し、上野(19:03発)〜札幌(翌11:15着)を移動(車中泊)。2日目は「スーパーおおぞら」にて、札幌〜帯広間を移動後、国鉄広尾線の愛国駅、幸福駅をバスで周遊。3日目はふるさと銀河線りくべつ鉄道でトロッコ乗車体験など実施後、北見〜遠軽〜白滝〜上白滝間を列車で移動。4日目は旭川〜札幌〜銭函間を列車で移動後、小樽市総合博物館などを見学。5日目は小樽〜長万部〜函館〜新青森間を移動後、東北新幹線にて東京駅に帰着(19:30〜20:30)。旅行代金は「北斗星」の席種により異なり、大人135,000円〜146,000円。「愛国駅→幸福駅」記念きっぷ、銭函駅の入場券つき。事前申し込みが必要。申込はインターネットにて。
[匿名さん]
大誉地駅舎解体へ 旧ふるさと銀河線
2014年11月21日 14時38分
【足寄】旧ふるさと銀河線の廃止に伴い廃駅となった足寄町内の大誉地駅舎(大誉地本町20)について、町は早ければ2015年1月にも解体する。2006年4月の同線廃止以降、地域での利活用策を模索してきたが、具体化しないことから撤去を決めた。
解体される旧ふるさと銀河線の大誉地駅
同駅は1910年に国鉄網走線(当時、後の池北線)が開業した3年後の13年10月に開設。54年12月に現駅舎に改築された。木造平屋建て約90平方メートル。
年間乗降人数は15年に約1万1000人、33年に約3万1000人、駅舎改築年の54年には約12万6000人が利用し、地域の往来拠点としてにぎわった。以降は地域の人口減少に伴い利用が減り、86年には無人駅となった。現在、同地区市街地は34戸。地域住民が駅舎周辺の草刈りなどを行っているが、内部への立ち入りはできない。
[匿名さん]
銀河線跡に木道350メートル整備 置戸町が着手 「歩いて街並み見て」
[匿名さん]
コピペばっかり…ツマラん…アホの自己満足が満載だな(笑)
[匿名さん]
津市が区画整理中の津駅北側の地中から、
鉄道用とみられる古いレールが見つかった。
すぐ近くには半世紀以上前に廃線となった
近鉄伊勢線の「部田駅」のプラットホームが昨年まであったことから、
鉄道ファンは「伊勢線のレールでは」と想像を膨らませている。
[匿名さん]
長野)小海線の歴史、写真で 全線開通80周年 南牧
桜庭泰彦
2015年4月30日03時00分
写真・図版
塚本和也さんと、塚本さんが撮影した蒸気機関車C56の雄姿=南牧村の美術民俗資料館
JR小海線が今年で全線開通80周年になるのを記念した写真展「美しき郷土 小海線よ永遠に」が29日、南牧村の美術民俗資料館で始まった。約50年間、小海線を撮り続けてきた写真家の塚本和也さん(82)=東京都杉並区=が講演、「小海線と、沿線の美しい風景を残して」と呼びかけた。
同展では、人や野菜を運び、沿線住民の生活を支えてきた鉄道の歴史を、写真で振り返ることができる。
小海線は、小諸市の小諸駅と山梨県北杜市の小淵沢駅間78・9キロを結ぶ。1935年11月29日に全線が開通した。国内では最も標高の高い地点を走る鉄道として知られている。
[匿名さん]
「幻の大仏鉄道」 散策マップが完成
2015年05月18日 08時35分
明治時代に奈良市と京都府木津川市間の9・9キロを結び、わずか9年で廃線となった「大仏鉄道」の遺構や周辺の見所を紹介するガイドマップ(A3判)を、両市が共同で作った。
仲川元庸奈良市長は「今後は両市で連携してウォーキングイベントも開きたい」と意気込んでいる。
大仏鉄道は1898年、鉄道会社「関西かんせい鉄道」が、加茂駅(木津川市)と大仏駅(奈良市)を結ぶ支線「大仏線」として開業。翌年には現在のJR奈良駅にまで延びた。
大仏駅は東大寺などへの玄関口としてにぎわったが、勾配が急な黒髪山などの難所を通ることもあり、1907年に平坦たんな路線(現在のJR関西線)が開通すると、廃線になった。営業期間が短く「幻の鉄道」とも呼ばれている。
遺構を巡るルートが、鉄道ファンだけでなく、観光客らの人気のウォーキングコースとなっていることを受け、両市は昨年夏からマップ作りを開始。遺構の保存などに取り組む市民団体「大仏鉄道研究会」や地元自治会、観光ボランティアの会なども協力した。
地図には、全13キロ、所要3〜4時間のコースを掲載。農業用水路を通すために造られた石組みのトンネル「鹿川隧ずい道」(奈良市)や、JR関西線の線路を支える橋台と並んで立つ「観音寺橋台」(木津川市)などの遺構が写真付きで紹介され、飲食店やトイレの場所なども記されている。今後、各遺構に案内板を設置するという。
マップは両市役所や支所、出張所などで配布。問い合わせは奈良市観光振興課(0742・34・5135)。(西川眸)
[匿名さん]
廃止1年の旧江差駅、今も人気 町は取り壊し方針 活用望む声も
北海道新聞 5月25日(月)8時45分配信
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廃止1年の旧江差駅、今も人気 町は取り壊し方針 活用望む声も
旧江差駅舎前で記念撮影する観光客
【江差】廃止から1年がたったJR江差線の旧江差駅が今も鉄道ファンらの人気を集めている。かつての駅舎やホームなどは安全確保の面から立ち入りが禁止されているが、地域の発展を支えた“歴史遺産”の魅力に誘われてか、休日中心に見物人が後を絶たない。江差町は駅の跡地を活用するため、駅舎を取り壊す方針だが、ファンや町民からは残念がる声も出ている。
<動画>江差線 万感の終着 地域と78年 町民惜別
5月の大型連休中、町陣屋町の旧江差駅前では、駅舎を背景に記念写真を撮影する家族連れなどの姿が見られた。川崎市から家族4人で訪れた鉄道ファンの山田盛太郎さん(38)は「駅舎に入れないのは残念だけど、廃線になった終着駅の独特の雰囲気が感じられていいですね」と感想を話した。
同駅は昨年5月11日のJR江差線木古内—江差間の廃止に伴い閉鎖された。旧駅舎の看板などは取り外されていて、江差駅だったことを示すのは町内の建築士グループが廃止前に建てた木製の記念標柱くらいだ。
それでも、廃止以降、継続的に同駅を訪れる鉄道ファンらが散見される。同駅前の住民によると、休日の多い日で1日10人程度が見物や写真撮影をしていくという。実際、同駅そばの和菓子店には土産を買い求めに来る人も。同店経営の金沢光範さん(64)は「大型連休期間中は15人くらい立ち寄っていった」と話す。
[匿名さん]