初期の週刊プロレスに何故かマイティ井上宅へ訪問したカラーグラビアが載っていたのが忘れられない。
二人目?の奥さんとのラブラブショットやマイカーまで公開していた(ナンバーを晒していたおおらかな時代だ)。
[匿名さん]
映画「トラック野郎」に制服警官役で出演したことがあり、菅原文太と乱闘を繰り広げた。
レスラーとしては小柄だが、服を着て一般人と並ぶとゴツくて大きかった。
[匿名さん]
ギャラが高かったのだろうね。
三沢のことだから全日本時代と同じ額を払っていたのかも。
[匿名さん]
インタージュニア王者時代にはオースイスープレックス。
[匿名さん]
当時としてもかなり小柄175㎝(実際170前後)でエースを張ったの立派。
[匿名さん]
ジャンボ鶴田とのシングルマッチで30分引き分けたのは凄い!
[匿名さん]
オープン選手権の時ですよね。
同時期には、武道館でマツダのNWA世界ジュニアにも挑戦と。
[匿名さん]
上から目線の態度と、自分勝手な試合運びが嫌いなんじゃないかな。
[匿名さん]
オーストラリア式の原爆固め。
決まった形はタイガースープレックスだが、投げるのではなく、両腕を固めて倒れ込んだ後からブリッジで跳ね上げる。
[匿名さん]
今なら新日本の実力中堅に機会を与えたとなるかもですが、当時にそういう余裕は無かったわけで。
[匿名さん]
マイティ井上の執筆での国際・全日本・ノア関係の発刊を期待します。
[匿名さん]
昭和の国際プロレスが遠くに感じる。国際時代の同僚が殆ど他界してしまった今、64歳の過っての花形レスラーは何を思う。
[匿名さん]
いつもサインを頼むと快く応じくれた。
それに対して、国際プロレスの某レスラーはサインを頼むと色紙を弾かれ手であっちへ行けと睨まれた。
[匿名さん]
サマーソルトドロップ?
あれ出す時「あ〜あ〜あ〜!」てやたらうるさい
[匿名さん]
東映映画の当時人気シリーズ「トラック野郎」に警備員の役で出演した際に、台本では飛び込んできた主役の菅原文太に滅茶苦茶にやれるはずだったが、プロレスラーがそれでは様にならないと現場で鈴木則文監督に直訴 して、飛び込んできた菅原文太を逆に滅茶苦茶にやつけると云う設定に変更させた。
[匿名さん]
マイティ井上(マイティいのうえ、1949年4月12日 - )は、国際プロレス・全日本プロレスの元プロレスラー、元レフェリー・解説者である。本名は井上 末雄(いのうえ すえお)。大阪府大阪市福島区出身。リングネームの「マイティ」の由来は、新人時代のコーチ、 ..
[匿名さん]