>>12
そのとおりだと思います。勉強になります。やはり、勝算があるとすれば、
秀吉が帰って来ない場合のみ。まるですべてを知っていたかのように、
金をばら撒き、ニンニクをかじりながら血まなこで帰ってきた秀吉。
毛利の外交僧・安国寺恵瓊は、本能寺の10年ほど前から織田家と交渉。
義昭の処遇などにおいて、京都奉行だった秀吉や光秀公と親交があった。
そのさい、秀吉のカリスマ性・才気を見抜き、織田ブラック信長の人としての危うさを
察知しています。おそらく恵瓊は、織田各方面軍に専従の間者を潜入させて
その動向を探るため、張り付かせて分析していたと考えます。
特に、瀬戸内海沿いを本拠とする小早川隆景に信頼された安国寺恵瓊は、
秀吉と早くから通じており、本能寺直後のスピーディーな停戦と、追撃作戦の中止で
秀吉の大返しをサポートしています。したたかな秀吉は、明智軍団には反織田の吉川が守る
山陰道で囮になって苦戦してもらい、自らはその間に、山陰道の秀長・蜂須賀・宮部を合流させ、
信長到着前に一気に蹴りを着けるつもりであったろうと(小早川家のみ存続)。
「秀吉の援軍に向かえ」という信長の命令が光秀公に下だされた時点で、秀吉側の
情報はすでに明智不穏を察知し、黒田官兵衛は姫路にお金と兵糧を準備していた。
長文、失礼しました。