1000
2020/08/10 01:30
爆サイ.com 北東北版

🐮 岩手雑談総合





NO.8615172

右翼全盛期の現代日本において左翼はいかに闘うか
合計:
報告 閲覧数 243 レス数 1000

#2512020/07/06 20:02
机上の論理だらけだろな

[匿名さん]

#2522020/07/06 20:05
>>250
そうなんだがなw
でもさ誰だって戦争行きたいと思わんだろ

[匿名さん]

#2532020/07/06 20:12
まぁな
覚悟決めたら逃げる事はしない

[匿名さん]

#2542020/07/06 20:27
小池都知事は新自由主義者だったんですね

[匿名さん]

#2552020/07/06 20:29
>>231
粘着引きこもりジジイ、その人は応スレ主ではない

あんたもその存在を正式に認めざるを得なくなった、応スレ主への同調者さんだ

あんたは60近くにもなって政治関連スレに意見ひとつできない、社会経験ゼロの引きこもりだとバレバレだよ

あんたは無関係 失せろ

[匿名さん]

#2562020/07/06 20:40
>>247
そうかね?
けっこう従軍慰安婦じたいが捏造、全否定してるバカをよく見かけるけどな
実際に兵士として戦場に行った兵士たちが証言してるし手記や軍人手帳にメモしてるし日記もあるし、証拠はいくらでもある
それでも全否定するやつが現にいるんだから

[匿名さん]

#2572020/07/06 20:53
>>256
慰安婦は居ただろ
強制の証拠ってだけじゃない?
ライダイハンみたいな

[匿名さん]

#2582020/07/06 21:34
以前も同じ説明したが、応スレ主は岩手雑談総合以外のもっと人の多い人気スレッド複数に沢山カキコしてるが、そのスレの住人に

擁護カキコの多くが、応スレ主一人の手によるカキコだとは全然気付かれずにおるわ!!

複数人による擁護カキコだとスレの住人全員が信じ込んでるわ!!

しかもそれは政治関連スレだ

そのスレの住人は粘着引きこもりジジイ、あんたより遥かに頭が良く見識の高い人ばかりだよ

だが応スレ主一人による擁護カキコが多いとは、誰一人気付かずにおるわ!! ←これ最重要

[匿名さん]

#2592020/07/06 21:44
>>257
従軍慰安婦はいた
しかも日本軍が組織的に関与していたのは明白
実際に兵士たちが慰安所に行くローテーションを上官から指示されたことを兵士が記録している
未成年の少女が、いい働き口があるからと騙されて南方の慰安所に連れてこられて、逃げ帰るすべもなくて毎日何十人もの兵士の相手をさせられたいたことも兵士が証言している
それなのにネトウヨたちはあいつらは商売女だ、売春婦だとひどい侮辱の言葉をコメントし続けている
あのような恥ずかしい連中こそ日本人の品位を汚す売国奴、国辱であり、やつらを煽る櫻井よしこ以下の似非保守のやからを駆逐しなければならない

[匿名さん]

#2602020/07/06 21:46
自分で考えて納得したなら
そのまま生きればいい
騙されるなら騙される
俺は自分の考えで日本を守る

[匿名さん]

#2612020/07/06 21:52
>>259
志願した人はいい
国、親に売られた人もいるのは知ってる
全てが強制か?

[匿名さん]

#2622020/07/06 22:30
>>261
女子挺身隊だ、って言われて行ってみたら慰安婦だった、という例も多い
そんな過酷な経験をした人に対して、あまりに日本人は無慈悲じゃないか、と思わないか?
そんな辛い経験をして、誰にも言えないままできて、死ぬ前にやっとその経験をはなした老女を侮辱するような恥ずべき態度をとってるんだよ
櫻井よしこを代表とする連中は
あいつらには「美しい国 日本」なんて言ってもらいたくない
あいつらこそ日本を汚している

[匿名さん]

#2632020/07/06 22:40
>>262
日本代表で謝るよ…

ってか嫌いな日本語使っていいの?
脱日本でしょw
そんなに嫌いなのに変だよ?

[匿名さん]

#2642020/07/06 23:00
W 私が
H 変な
O おじさんです

[匿名さん]

#2652020/07/06 23:45
>>258


岩手日報 ⑩


#999 2020/07/06 23:21
>>997
その件なら前にも説明済みだろうがよ!!

あんたみたく、自分で自分にレス返すあからさまな自作自演など全くしとらんとな!!

自演などひとっつもしとらんが、そこのスレ住人全員が、擁護カキコが複数人によるカキコだと勝手に信じ込んでるのだと過去にも説明済みだわ!!

と切り返したら、あんたはぐうの音も出なくなって逃げ去っただろうがよ!!

その時のログがバッチシ残ってるぜ!! もはや言い逃れできねえぜ!!
その時のログがバッチシ残ってるぜ!! もはや言い逃れできねえぜ!!

自分に都合よく捻じ曲げんじゃねえよ!! あんたが逃げ出しとっくに決着済みの件、蒸し返すんじゃねえよ!!

[匿名さん]

#2662020/07/06 23:50
捏造された歴史を信じるおめでたい方がおられますね。

[匿名さん]

#2672020/07/06 23:53
すみません。
女子挺身隊と慰安婦を混同しておりました。
でもって20万人もの慰安婦がいたと言ってしまいました。
こんなバカで ゴメンなさい

[匿名さん]

#2682020/07/07 01:30
小池百合子氏、新宿の一等地に税金で作ろうとしていた韓国人学校を白紙にする

・東京都の小池百合子知事は5日、会見に臨み、舛添要一前知事が打ち出した
新宿区内に韓国人学校(約6100平方メートル)を作る計画を白紙にした。

[匿名さん]

#2692020/07/07 05:13
>>268
日本会議だからな、小池百合子は

[匿名さん]

#2702020/07/07 05:15
>>266
櫻井よしこ一派の情報操作にのせられるバカがね

[匿名さん]

#2712020/07/07 05:25
自分の見たくない過去を「捏造」の名前で切って捨て、事実から目をそむける反知性主義が安倍晋三を代表する自民党、それを応援する櫻井よしこを代表とする日本会議や神社本庁などのウヨ界隈
こいつらが劣化したバカを糾合して日本を貶め、さらには日本を後進国のような節度なき縁故主義の法律無視のめちゃくちゃな国にしている

[匿名さん]

#2722020/07/07 05:53
中国が尖閣諸島を「我が国の領土」と主張していて、それに対して日本政府が「尖閣諸島は我が国固有の領土」と主張し「尖閣諸島は沖縄県に属する」とも主張している。
であるなら日本政府は「沖縄は日本固有の領土」とも主張できるはずだが、日本政府はただの一度も「沖縄は日本固有の領土」と主張したことがない。
日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張できないのは141年前の1879年3月27日に、当時の日本政府が軍隊を動員して武力的威嚇のもと沖縄の前身である琉球王国を併合したからにほかならない。
日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張してしまうと、「沖縄は日本が併合するまでは琉球王国という別の国だったじゃないか?」と国内外から追及されることになるし、日本政府もそのように追及されたら反論できないから「沖縄は日本固有の領土」とは絶対に主張できない。

[匿名さん]

#2732020/07/07 06:19
恐怖の共産主義

[匿名さん]

#2742020/07/07 08:21
>>273
いつもワンフレーズだけwww
共産主義がなんなのか知らんやろ

[匿名さん]

#2752020/07/07 08:35
おまえは もっと嫌い

[匿名さん]

#2762020/07/07 09:09
2020年7月5日、韓国・ニュース1によると韓国の元慰安婦・李容洙(イ・ヨンス)さんが「もっと多くの慰安婦像を各地に設置しなければならない。最後には日本の中心にも設置し、行き交う人たちみんなが謝罪できるようにしてほしい」との趣旨の発言をした。

李さんは「正義記憶連帯(正義連)」理事長など元慰安婦支援団体の活動家らと面会し、今後の慰安婦人権運動の方向性について議論した。
韓国では最近、李さんの告発により正義連とその前理事長である与党「共に民主党」議員の尹美香(ユン・ミヒャン)氏をめぐる支援金流用疑惑などが波紋を広げていた。

さらに「慰安婦像設置運動は東京の真ん中に設置される日まで続けなければならない」とし、「慰安婦像を守ってほしい」と訴えたという。

[匿名さん]

#2772020/07/07 09:14
慰安婦ビジネス

[匿名さん]

#2782020/07/07 15:14
>>276
そりゃあんな辛い経験したら当たり散らしたくなるのは理解できるやろ
もちろんだまって耐えてるお婆さんもいる

脳みそ腐ったネトウヨは「惻隠の情」という感情がわかんないだろ
むかしの日本人はみんな備えていたもんだ

[匿名さん]

#2792020/07/07 17:43
>>276
慰安婦は充分なお金頂いていた商売です。
稼げるのでみんな進んで手を挙げたのです。

[匿名さん]

#2802020/07/07 18:55
>>274
マルクス・レーニン主義から言えばいいのか?
今の中国や北、旧ソ連見りゃ 273が素直な感想だわな。
香港1国2制度って国際公約じゃね?このぶち壊し方がまあ、用意周到。
領有権争いしてる南沙諸島に勝手にシマ作って有無を言わせず自分のモノにしちゃうんだぜ。
共産主義コワイ((((;゚Д゚)))))))

[匿名さん]

#2812020/07/07 19:02
>>278
>辛い体験
当時の敵国アメリカの国立公文書館へ行って日本軍の慰安婦文書見てきたらどうだ?
命がけで戦っている軍の将校より高い給料もらっていて、金が貯まればさっさと止めて故郷へ帰ったり、旅行に行ったり、自由気ままな生活を謳歌していたと書いてあるそうだがな

[匿名さん]

#2822020/07/07 19:04
朝鮮慰安婦など虚像の寄生虫です

[匿名さん]

#283
この投稿は削除されました

#2842020/07/07 19:10
>>281
バーカ
おまえはアメリカ公文書館に行ったのか?
そんな百田尚樹や高須克弥のフェイクを信じてんのか?
かなりおめでたいやつだなw

[匿名さん]

#2852020/07/07 19:22
>  同じことは慰安婦問題についてもいえる。2万人とも5万人以上ともいわれる慰安婦の存在について、「金をもらって日本軍を慰安した商売女」などの極論が最近は拡散される傾向が強くなった。一方で、騙されたり、強制連行されるなど、意に反して使役させられた慰安婦が多くいたことも歴史的な史実であり、これも客観的事実と心情論とのせめぎ合いの問題といえよう。
 共通するのは、現在生きるわれわれの、祖先である父や祖父の世代が戦争に巻き込まれ、戦地で残虐な行為を行ったかどうかという問題だ。しかも性処理というセンシティブな問題と関わっている。
 もともと慰安婦問題は、90年代初頭に韓国発で社会問題化したこともあり、朝鮮半島でどうだったかということばかりがクローズアップされてきた。だが、朝日新聞の誤報に見られるとおり、当時日本が植民地支配していた朝鮮半島では、強制連行を示す公文書などの客観的な証拠は確かに見つかっていない。
 それでも中国やフィリピン、インドネシアなどの占領地では、強制連行された事例は枚挙にいとまがなく、植民地の実態とは明らかに様相を異にする。
 インドネシアでは、オランダ人女性を日本軍の慰安婦にするために捕虜収容所から強制連行したスマラン事件が有名だし、ほかにも多くの事例がオランダ政府作成の報告書(公文書)によっても明らかにされている。

[匿名さん]

#2862020/07/07 19:24
>>285
 また中国では日本軍による常習的な強姦行為が広く知られているものの、その延長として兵士が村の女性を強制連行して監禁し、強姦を繰り返した事例は数多い。
 これらに対し、日本政府の態度は、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」(2007年 答弁書)というもので、消極的に否定しているにすぎない。
 だが、占領地における上記のような「強制連行」は、日本の司法の最高機関である最高裁判所でもすでに中国人、オランダ人など30人以上が認められており、外国政府の報告書やさまざまな資料を加えると、すでに「確定」しているといって差し支えのないものである。
 最近は、確たる証拠が存在するにもかかわらず、客観的証拠をあえて無視し、「強制連行はなかった」などと、自分の見たい歴史を見ようとする人々が増えてきた。根底にあるのは、自分たちの先祖の過去の行動が、間違ったものであってほしくないとの自己愛に近い心理にすぎない。だがこうした態度が、過去の事実と正面から向き合う姿勢でないことは明らかだ。

[匿名さん]

#2872020/07/07 19:25
大体にして、学習障害、脳みそ腐った欠陥者なんて言葉を発する時点でお察し

[匿名さん]

#2882020/07/07 19:31
国で交わした約束を破る時点で
「最終的かつ不可逆的な解決」
おかしいよなぁ
所でオタクら謝罪とか賠償したの?

[匿名さん]

#2892020/07/07 19:34
1.外務次官発警視総監・各地方長官他宛「不良分子ノ渡支ニ関スル件」(1938年8月31日付)

2.群馬県知事発内務大臣・陸軍大臣宛「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」 (1938年1月19日付)*

3.山形県知事発内務大臣・陸軍大臣宛「北支派遣軍慰安酌婦募集ニ関スル件」(1938年1月25日付)*

4.高知県知事発内務大臣宛「支那渡航婦女募集取締ニ関スル件」(1938年1月25日付)

5.和歌山県知事発内務省警保局長宛「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件」 (1938年2月7日付)*

6.茨城県知事発内務大臣・陸軍大臣宛「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」 (1938年2月14日付)

7.宮城県知事発内務大臣宛「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」 (1938年2月15日付)

8ー1.内務省警保局長通牒案「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」(1938年2月18日付)**

8−2.内務省警保局長発各地方長官宛「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」 (1938年2月23日付)

9−1.内務省警保局警務課長「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件伺」(1938年11月4日付)**

9ー2.内務省警保局長発大阪・京都・兵庫・福岡・山口各府県知事宛「南支方面渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」(1938年11月8日付)**

10.「醜業婦渡支ニ関スル経緯」(内務省の内部メモ、日付不明)

 これらの内務省史料はその作成時期と内容から、次の二つのグループに分けることができる。

[匿名さん]

#2902020/07/07 19:35
>>289
【第1グループ】

 2〜8と10。1937年の末に慰安所の開設を決定した中支那方面軍の要請に基づいて日本国内で行われた慰安婦の募集活動に関する一連の警察報告と軍の要請に応じるために中国への渡航制限を緩和し、慰安婦の募集活動の統制を指示した内務省通牒の起案文書である。
  この一連の警察報告により、従軍慰安婦をめぐる論争によって周知のものとなった次の二つの通達・通牒が、どのような背景のもとで成立したのかが、より一層明瞭になった。その反面、この二つの通達・通牒の史料解釈に少しばかり修正をほどこす必要のあることも判明した。

内務省警保局長発各庁府県長官宛「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」(右の8−2と同じもの)(1938年2月23日付)
陸軍省副官発北支方面軍及中支派遣軍参謀長宛「軍慰安所従業婦募集二関スル件」(1938年3月4日付)(いずれも吉見編『従軍慰安婦資料集成』所収)
  Aには「醜業ヲ目的トスル婦女ノ渡航ニ際シ身分証明書ヲ発給スルトキハ(中略)婦女売買又ハ略取誘拐等ノ事実ナキ様特ニ留意スルコト」なる一項が含まれ、またBの通牒には「支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為、内地ニ於テ之カ従業婦等ヲ募集スルニ当リ、(中略)募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於イテ統制シ云々」とある。
  そこで一方においてはこれをもって、軍の要請を受けた募集業者が拉致誘拐などの非合法的方法で慰安婦を集めていた事実を示す動かぬ証拠とみなす解釈があり、他方では逆にそういった手段による強制連行がおこらぬよう、軍と警察が注意をし、厳しく取締を指示していた証拠であるとの反論が出された。
  しかし、詳しくは後述するが、日本国内での慰安婦募集活動についての一連の警察報告2から7を前提において、A、Bの資料を読み直してみると、両文書の意図が「略取誘拐」の取締にあったのではないと結論せざるをえないのである。

[匿名さん]

#2912020/07/07 19:37
>>290
【第2グループ】

  9−1と9−2、この二文書は、1938年11月に第21軍参謀と(広東作戦のため編成された南支派遣軍)と陸軍省徴募課長の要請を受けて、内務省警保局が決定・指示した慰安婦400名の調達と輸送に関する通牒の案文であり、慰安婦の徴募と輸送に軍と警察が深く関与したことを示す驚くべき史料である。内務省は大阪、京都、兵庫、福岡、山口各府県に徴募人数を割り当てたうえで、現地で慰安所の経営にあたる適当な業者を選定してこれに引率させ、台湾経由で中国に送るよう手配を命じたのであった。なお、この400人とはべつに台湾総督府が300人の女性を華南に送る手配済みとも記されている。

  これらの警察資料が公開されるにいたった経緯を簡単に紹介しておく。これらの資料は元内務省職員種村一男氏の寄贈にかかるもので、警察大学校に保存されていた。前述の2度にわたる政府調査の際には、その所在がつかめなかったようである。
  ところが、1996年12月19日に参議院議員吉川春子氏(共産党)の求めに応じて、警察庁がこの資料を提出したことにより、その存在が明るみに出た。1992年以来、従軍慰安婦問題を国会で追及してきた吉川議員は1996年11月に敗戦直後のアメリカ軍向け慰安所問題を国会で取り上げ、その設置を指示した内務省通達の提出を政府に要求したところ、警察庁総務課長が要求の文書は見つからなかったが、かわりに警察大学校でこれが偶然見つかったとして持参したものが、この内務省文書であった(『赤旗』1996年12月20日付、吉川春子『従軍慰安婦−新資料による国会論戦−』あゆみ出版、1997年)。

[匿名さん]

#2922020/07/07 19:38
>>291
 そのうちの一部については、『赤旗評論特集版』1997年2月3日号の八木絹「旧内務省資料でわかった「従軍慰安婦」の実態」において史料紹介と解説がなされ、また吉川氏の前記著書にも、八木氏の解説を元にした紹介論文と、原史料を活字に起こしたものが巻末資料として収録されている。上のリストで*印のついているのは、吉川氏の著書に収録済みのものであり、**は八木論文と吉川前掲書の両方に全文が掲載されている文書である。また、第2グループの文書については、これによって慰安婦の徴集に関して軍出先、軍中央、内務本省、地方警察の指示系統がはっきりしたと注目する吉見義明氏が、再三の言及を行っている(吉見「歴史資料をどう読むか」『世界』1997年3月号、同「「従軍慰安婦」の歴史的事実」『従軍慰安婦と歴史認識』新興出版社、1997年、同「「従軍慰安婦」問題−研究の到達点と課題」『歴史評論』576号、1998年4月)。
  史料の欠落を埋める重要文書を発掘された吉川氏にはあらためて敬意を表しておきたいが、八木、吉川両氏の紹介や吉見氏の言及において論者の関心は前記二つのグループのうち、もっぱら第2グループの資料にむけられており(内容が内容だけにそれも無理はないのであるが)、第1グループについては8ー1や3、4の内容が簡単に紹介されるだけで、本格的な分析がなされるまでにはいたっていない。少なくとも、私がこれらの史料から読みとりえた知見は先行の業績ではふれられていない。せっかく苦労して発見された新史料である。それを十全にいかすためにも、私なりの解釈を提示すべきであると考え、あえて筆をとった次第である。
  そういう事情なので、第2グループの資料については、八木、吉川両氏の詳しい紹介と吉見氏の研究にゆずり、ここではとりあげないことにする。それらの業績を参照していただければ幸いである。

[匿名さん]

#2932020/07/07 19:39
>>292
 前記資料番号5の和歌山県知事発内務省警保局長宛「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件」(1938年2月7日付)なる文書中に、長崎県外事警察課長から和歌山県刑事課長に宛てて出された1938年1月20日付の回答文書の写しが参考資料として添付されている。さらにその長崎からの回答文書中には、在上海日本総領事館警察署長(田島周平)より長崎県水上警察署長(角川茂)に宛てた依頼状(1937年12月21日付)の写しが収録されている。
 まず、その依頼状の全文を引用する(句読点を適宜補った)。

   皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件
 本件ニ関シ前線各地ニ於ケル皇軍ノ進展ニ伴ヒ、之カ将兵ノ慰安方ニ付、関係諸機関ニ於テ考究中ノ處、頃日来当館陸軍武官室憲兵隊合議ノ結果、施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ左記要領ニ依り設置スルコトトナレリ。   

 領事館
(イ)営業願出者ニ対スル許否ノ決定
(ロ)慰安婦女ノ身許及斯業ニ対スル一般契約手続
(ハ)渡航上ニ関スル便宜供与
(ニ)営業主並婦女ノ身元其他ニ関関係諸官署間ノ照会並回答
(ホ)着滬【上海の別称:永井】ト同時ニ当地ニ滞在セシメサルヲ原則トシテ許否決定ノ上直チニ憲兵隊ニ引継クモトス
 
 憲兵隊
(イ)領事館ヨリ引継ヲ受ケタル営業主並婦女ノ就業地輸送手続
(ロ)営業者並稼業婦女ニ対スル保護取締

 武官室
(イ)就業場所及家屋等ノ準備
(ロ)一般保険並検黴ニ関スル件

[匿名さん]

#2942020/07/07 19:42
>>293

 右要領ニヨリ施設ヲ急キ居ル処、既ニ稼業婦女(酌婦)募集ノ為本邦内地並ニ朝鮮方面ニ旅行中ノモノアリ。今後モ同様要務ニテ旅行スルモノアル筈ナルカ、之等ノモノニ対シテハ、当館発給ノ身分証明書中ニ事由ヲ記入シ、本人ニ携帯セシメ居ルニ付、乗船其他ニ付便宜供与方御取計相成度。尚着滬後直ニ就業地ニ赴ク関係上、募集者抱主又ハ其ノ代理者等ニハ夫々斯業ニ必要ナル書類(左記雛形)ヲ交付シ、予メ書類ノ完備方指示シ置キタルモ、整備ヲ缺クモノ多カルヘキヲ予想サルルト共ニ、着滬後煩雑ナル手続ヲ繰返スコトナキ様致度ニ付、一応携帯書類御査閲ノ上御援助相煩度、此段御依頼ス

  前線陸軍慰安所営業者ニ対スル注意事項
 前線陸軍慰安所ニ於テ稼業スル酌婦募集ニ赴キ、同伴回滬セムトスルトキハ、予メ左記必要書類ヲ整ヘ、着滬ト同時ニ当館ニ願出許可ヲ受クベシ。若シ必要書類具備セサル場合ハ許可セサルト共ニ、直ニ帰京セシムルコトアルベシ。

[匿名さん]

#2952020/07/07 19:42
>>294

 一、本人写真二枚添付セル臨時酌婦営業許可願各人別ニ壱通(様式第一号)
 一、承諾書(様式第二号)
 一、印鑑証明書
 一、戸籍謄本
 一、酌婦稼業者ニ対スル調査書(様式第三号)

  昭和一二年一二月二十一日
                   在上海日本総領事館警察署

----------------------------------------------------------------
(様式第一号) 臨時酌婦営業許可願
  本籍
  現住所
  営業場所
       家号
       芸名
       本名
                   生年月日
 右者今般都合ニ依リ前記場所ニ於テ臨時酌婦営業致度候条、御許可相成度、別紙承諾書、印鑑証明、戸籍謄本、調査書並ニ写真二枚相添抱主連署ノ上、此段及奉願候也
  昭和  年  月   日
               右本ノ何某 印
               抱主 何某 印
 在上海
   日本総領事館  御中
--------------------------------------------------------------------
(様式第二号)    承諾書
  本籍
  住所
               稼業人
                     生年月日
 右ノ者前線ニ於ケル貴殿指定ノ陸軍慰安所ニ於テ酌婦稼業(娼妓同様)ヲ為スコトヲ承諾仕候也
   昭和 年 月 日
              右戸主又ハ親権者    何 某 印
              稼業者         何 某 印
--------------------------------------------------------------------
(様式第三号) 酌婦稼業者何某ニ対スル調査書(調査書)
 前居住地及来 年月日
 現住所
 教育程度経歴
 酌婦稼業ヲ為スニ至リタル理由
 刑罰ニ処セラレラレタル存否
 両親又ハ内縁ノ夫ノ有無其ノ職業
 別借金額
 参考事項
 備考

[匿名さん]

#2962020/07/07 19:44
餃子でも食ってろ

[匿名さん]

#2972020/07/07 19:44
>>295
冒頭に、「之カ将兵ノ慰安方ニ付、関係諸機関ニ於テ考究中ノ處、頃日来当館陸軍武官室憲兵隊合議ノ結果、施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ左記要領ニ依り設置スルコトトナレリ」とあるように、この依頼状から、1937年の12月中旬に上海の総領事館と陸軍武官室と憲兵隊の三者間で協議がおこなわれた結果、前線に陸軍慰安所を設置することが決定され、その運用に関して三者間に任務分担の協定が結ばれたことが判明する。
  ここで言及されている陸軍武官室とは、正式には在中華民国大使館付陸軍武官とそのスタッフを意味するものと思われる。その長は大使館付陸軍武官の原田熊吉少将であり、1938年2月には中支特務部と改称される。参謀本部派遣の情報将校ではあるが、同時に軍事面での渉外事項や特殊な政治工作をも担当する陸軍の出先機関であった。上海戦がはじまってからは、上海派遣軍や中支那方面軍司令部の隷下にある陸軍特務機関として、第三国の出先機関・軍部との交渉、中国の親日派に対する政治工作、さらに上海で活動する日本の政府機関や民間団体との調整窓口の役割をはたしていた。なお、当時の上海総領事は岡本季正であった。
 軍慰安所の設置が軍の指示、命令によるものであったことは、この間の慰安所・慰安婦問題研究により明らにされており、今では広く受け入れられている事実といってよい。この在上海総領事館の依頼状は、すでに定説となっていることがらを再確認したにとどまるがともいえるが、軍の定めた慰安所規則などを別にすれば、日本の政府機関と軍(在上海陸軍武官室、総領事館、憲兵隊)によって慰安所の設置が決定されたことを直接的なかたちで示す公文書は、現状ではほとんど見あたらない。少なくとも日中戦争の初期段階においてはそうである。その意味では、この依頼状のもつ資料的価値はきわめて大きい。

[匿名さん]

#2982020/07/07 19:45
>>297
  もっとも陸軍慰安所開設の決定そのものは、陸軍武官室や憲兵隊、領事館の権限だけでよくなし得るわざとはとうてい思われない。軍という組織のありかたからすれば、陸軍武官室と憲兵隊の双方に対して指揮権を有するより上級の組織、この場合は中支那方面軍で決定がなされ、それを受けてこの三者間で慰安所制度の創設と今後の運用のための細目協定が結ばれたと解すべきであろう。
 吉見氏および藤井忠俊氏の研究(吉見義明、林博史編著『共同研究日本軍慰安婦』大月書店、1995年)によれば、上海・南京方面での陸軍慰安所の設置に関する既存史料には次のようなものがある。(これ以外にも、慰安所を利用した兵士の日記・回想があるが略す)。

[匿名さん]

#2992020/07/07 19:46
>>298
飯沼守上海派遣軍参謀長の日記(南京戦史編集委員会編『南京戦史資料集Ⅰ』偕行社、1993年)
1937年12月11日の項「慰安施設の件方面軍より書類来り、実施を取計ふ」
1937年12月19日の項「迅速に女郎屋を設ける件に就き長中佐に依頼す」
上村利通上海派遣軍参謀副長の日記(同『南京戦史資料集Ⅱ』偕行社、1993年)
1937年12月28日の項に「南京慰安所の開設に就て第二課案を審議す」
山崎正男第十軍参謀の日記(同上) 
1937年12月18日の項に「先行せる寺田中佐は憲兵を指導して湖州に娯楽機関を設置す」
在上海領事館警察の報告書(前掲吉見編『従軍慰安婦資料集成』)
1937年12月末の職業統計に「陸軍慰安所」の項目
常州駐屯の独立攻城重砲兵第二大隊長の状況報告(同上)
1938年1月20日付「慰安施設は兵站の経営するもの及び軍直部隊の経営するもの二カ所あり」
元陸軍軍医麻生徹男の手記によれば、1938年の2月には上海郊外の楊家宅に兵站司令部の管轄する軍経営の陸軍慰安所が開設されていた(高崎隆治編『軍医官の戦場報告意見集』不二出版、1990年)。また、1938年1月に軍の命令を受け、上海で奥地へ進出する娼婦(朝鮮人80名、日本人20名余り)の梅毒検査を実施した(麻生徹男軍医少尉「花柳病ノ積極的予防法」1939年6月26日、高崎編同上書)。

[匿名さん]

#3002020/07/07 19:47
>>299
今回さらにこれに、

在上海総領事館警察発長崎県水上警察署宛「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」(1937年12月21日付)
が新たに加わったわけである。
  これらを総合すれば、1937年の遅くとも12月中旬には華中の日本陸軍を統括する中支那方面軍司令部レベルで陸軍慰安所の設置が決定され、その指揮下にある各軍(上海派遣軍と第10軍)に対して慰安所開設の指示が出されたと考えてまずまちがいない。
  それをうけて各軍で慰安所の開設が進められるとともに、関係諸機関(特務機関、憲兵隊、領事館)が協議して任務分担を定め、領事館は慰安所の営業主(陸軍の委託を受けて慰安所の経営をおこなう売春業者)および慰安所で働く女性の身許確認と営業許可業務、渡航上の便宜取り計らい、内地・植民地の関係諸機関との交渉にあたり、憲兵隊は営業主と従業婦の前線慰安所までの輸送手配と保護取締、特務機関が慰安所用施設の確保・提供と慰安所の衛生検査および従業酌婦の性病検査の手配を分担することになったのである。
 さらにこの依頼状が示しているのは、慰安所で働く女性の調達のために、軍と総領事館の指示を受けた業者が日本および朝鮮へ従業酌婦の募集に出かけたこと、および彼等の募集活動と集められた女性の渡航に便宜をはかるよう、内地の(おそらく朝鮮にも)警察にむけて依頼がなされたという事実である。
  この募集活動によって、実際に日本内地および朝鮮から女性が多数上海に連れられてきたことは、6の麻生軍医の回想から裏付けられる。なお、麻生に集められた女性100名の性病検査を命じたのは、「軍特務部」であり、その命令は1938年1月1日であった(麻生徹男『上海から上海へ』石風社、1993年)。この記述は、上記依頼状にみられる軍・憲兵隊・領事館の任務分担協定が現実に機能していたことを傍証するものといえよう。 

[匿名さん]

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