>>33
私自身、末法荒凡夫なのに、誰が悟りを得たとか言えるわけありません。
「あー、あの人もしかして悟り得たんじゃない?」とか、「あの人、まだちょっと悟りが足りないんじゃない。」とか言えるわけありません。もし、真顔でそんな事を言う人がいたら完全な詐欺師です。(笑
仏の智慧や境涯を凡夫が推し量ろうとすること自体、恐れ多いことです。
なんたって、法華経方便品第二には、こう説かれています。
「爾時世尊。従三昧。安詳而起。告舎利弗。諸仏智慧。甚深無量。其智慧門。難解難入。一切声聞。辟支仏。所不能知。」
(にーじせーそん。じゅうさんまい。あんじょうにき。ごうしゃりほつ。しょぶつちえ。じんじんむりょう。ごちえもん。なんげなんにゅう。いっさいしょうもん、ひゃくしぶつ。しょふのち。)
<通解>
爾(そ)の時に世尊、三昧より安詳として起って、舎利弗に告げたまわく、諸仏の智慧は甚深無量なり。其の智慧の門は難解難入なり。一切の声聞・辟支仏の知ること能わざる所なり。
この中に出てくる、舎利弗とは釈迦の弟子の中でも「智慧第一」と呼ばれた弟子で「小釈迦」と呼ばれるほど、天才中の天才のお弟子さんです。
その舎利弗を前にして、「お前ごとき知恵では仏の悟りなど知ることは出来ない!」というわけです。
その後、釈尊は永遠の生命観を説き、過去遠遠劫よりこのかた、無数の諸仏に親近し修行をしてきた事を明かします。
そんなわけで、悟った人は誰か?とか菩薩は悟りの一歩手前とか、そういうレベルの話じゃないと思います。
あなたの不安は、この仏法を修行して、一生の内に果たして仏と同じ悟りを得ることが出来るのか?という事なんでしょうか?