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正確には大栗組長の浪費癖が原因で組織からバックれ倉持や矢吹が中心となりクーデターを起こし何も知らない若い衆まで巻き込むが弘道会執行部の説得によって残留
大栗組長の怒りは爆発し倉持は数発殴られる
数ヶ月後、破門されるが倉持は大道を裏切り名古屋の高山組に相談し影の部隊として生きる選択を選び倉持組を引き連れ舎弟盃を交わす。ただし弘道会本部に登録せず準構成員としての活動を許されシノギ等で高山組の名称を出すことを許され栃木に舞い戻った。
倉持の名が繁華街で知れ渡ったのは住吉会羽黒一家の坂井をフルボッコにした事件だ
倉持の蹴りや拳はこれまでの不満や怒り憎しみで坂井本人に恨みはなく、倉持からしたら相手は誰でも良かったのだ。坂井はアスファルトに倒れ全治2週間であった。
この事件で倉持は破門中であるがバックに高山組がいるぞと地元の不良達にアピールできたのだ。
倉持がなぜ修羅となり組織にこだわるのか?理由は栃木抗争で身体をかけ服役中である舎弟村上がいるからだ。