※ハイジャック対策リモートコントロール技術開発中で民間航空化する前のJAL123便がターゲットに為る。 ゆっくり山岳地帯にコースを逸脱させられる。
18:18:33「日本航空123便、現在位置からシーパーチ迄の直航を許可します」
「了解、これよりシーパーチに直行する」
SEA PERCHとは
北緯34度13分、東経138度01分付近
御前崎の南南西約25マイル付近。
W27と言う航空路が大島から真っ直ぐ 串本(潮岬)を結んでいた地点。
SAKITと焼津(NDB) を結んだ時W27を横切る地点。
200度の線上には三浦半島や、垂直尾翼の欠損部分が発見された海域が存在します。
[匿名さん]
衝突海域に垂直尾翼を切断した部分を発見位置とした可能性は極めて高い。
潮の流れは微々足るもの。
飛行機部品は海面に浮遊は有り得無い話
18:20頃通常は、ベルトサイン消灯(*高度は上がらぬが、水平飛行の為)スチュワーデスがサービス開始。サマーキャンペンで子供達にミッキーマウスの人形を配る。中央最後部60Dでは、川上慶子氏は咲子氏(故人)の人形を気に入り母和子氏(故人)にたしなめられる。ベルトサイン再点灯。
犠牲者小川 哲氏機内(R5ドア側。機体後方5列目、右側の窓から2番目の席に着座。実際にはご家族の中で任意に席を決定)から撮影した写真が朝日新聞1990年10月14日朝刊に掲載されてます(マスクが下りている機内の様子も撮影)
三浦半島が手前に有ります。奥に富士山が有り相模湾の上空に入りつつ有ります。ファイアー ビー【FIREBEE。BQM-34AJ 全長7m、全幅3.93m、全高2.25m、重量686.3kgで、最大速度0.96マッハで実用上昇限度1万7000m、航続時間は約60分】が写ってます(18:18頃)
[匿名さん]
*ファイアービー(リモートコントロールされトービーと呼ばれる曳航標的を曳航し、護衛艦搭載の速射砲や対空ミサイル等の訓練支援を行う)は、新島支所(新島の試験所で場所は伊豆諸島)でも可能ですが遠いです。
日本開発で純国産ミサイル【ターボジエット方式に切替。低周波発生する。ブースター付。ASM-1発展型の沿岸防衛用国産巡航ミサイルSSM-1】の開発中の頭脳をファイアー ビーに搭載して飛翔させ、海上、航空での管制システムに依り動かせます。
1982年アルゼンチンとイギリスのフォークランド紛争が勃発し、アルゼンチン空軍の「シュペル・エタンダール」機が放ったフランス製ミサイル 「AM39エグゾセ」が、イギリス軍のミサイル駆逐艦、「シェフィールド」(3500t)を轟沈し、世界の軍事関係者に衝撃を与え刺激となり、SSMー1の開発に拍車が。
SSMー1は、地上基地、陸上移動発射台、或いは航空機からでも発射できる巡航ミサイルです。その頭脳を積んだファイア ービーを空中では電子戦機ECー1(岐阜の航空実験団)、海上では護衛艦「まつゆき」が実施するなら、ミサイルの頭脳としてファイアー ビーの発射実験は可能です。
攻撃してくるミサイル迎撃のための半導体レーザー結合。光ファイバー画像解析装置を搭載しています。光学センサーで識別し、最適攻撃手段を選択できる当時の最先端技術です。米国はこの日本の技術を自国の巡航ミサイルの中心部分に組み込み、トマホーク ミサイルを完成させました。
[匿名さん]
米軍のCー130も、日本の巡航ミサイルの頭脳を積んだファイアー ビーの発射実験をモニターしていた。米軍は、民間機、軍用機を問わずコックピットと管制塔との交信すべてを傍受するシステムを敷いている。その証拠に。所沢市の東京航空交通管制部(東京ACC)のすぐ隣りに米軍の通信傍受施設がある。
相模湾では、当時演習状態だった事が知られてます。
此れをECー1(岐阜航空実験団所属)モニターし、高度を変えても、時々刻々自ら軌道修正を行い、標的を追い詰めて標的の後ろに回らせます。
重要な事して、JAL123便事件の時には、このECー1は納入前のテストで、試験飛行中、護衛艦まつゆきも納入前の試運航中で両方とも厳密には国有財産として未登録で、国有財産でない場合は、所有権は製造会社側にあるので、これらの航空機や艦艇が実際にやった事の報告義務から法的には免れ、実際に何が行われたかを究明するのは非常に困難になる時期を利用したのです。
高濱機長は海上自衛隊の出身で、隊に所属時に対潜哨戒機パイロットで異常を感知、海上で敵機に襲撃された場合、攻撃を避ける為にパイロットが行うアクション3点の1つ高度を下げる事を実施(一般的にミサイルは上空の物は狙い易く撃ち下ろす場合狙いにくい)して居た。
高濱機長【海上自衛隊の所属時に対潜哨戒機パイロットP2J(プロペラ2+ジェット2計4発)の極めて優秀なパイロット】「オレンジエア!」(自衛隊標的機)異常事態を感知、上昇中止、高度12000フィート(3657m)を維持して、速力も120ノット~160ノット(220~300km/h)に。
事故後に米軍のステルス爆撃機を開発中の発表してます。ファイアー ビーのボディには日本開発の米ステルス機の為のステルス塗料【ステルス塗料を混ぜたオレンジ色】が実験の為に塗られてました。青山 透子氏(元日航客室乗務員)はパソコン上で上記の写真を拡大すると、オレンジ色に変色したと言う。
画像処理の専門家写真の検証を依頼し、「円錐もしくは円筒の様な物を正面右斜めから見た様なイメージで、この物体はオレンジ帯の方向から飛行機の進行方向に向かっている様に見えます」と言われます。
[匿名さん]
日航123便の残骸について1985年9月20日号の週間ポスト。 「この金属片には白い塗装と赤がかったオレンジ色の塗装が地上を引き擦った様に付いている。
アメリカ調査官NTSBサイドレン調査官は、 落合 由美氏【元日航アシスタントパーサー。「56」列の席で、座席は両窓側が59列迄、中央部は60列迄。左窓際の列の通路側、後方から3番目の席に着席】に証言を聞く為に(収容から1時間の内)多野総合病院訪問して15:00聴取。
[匿名さん]
「異常発生時刻は18:25だった時計を見た」
東京管制のスコーク77受信は
18:25:10 !
スクリーン上に「凹」マーク出現(通常Ⅱマーク)
精確命中を目的とすれば時報同時に機体に衝突させて行く(命中)は必然的です。
週刊サンケイ1985年9月19日号 元電気通信大学講師井上氏談話「フライトレコーダーを見ると既に24分10秒には方向蛇が右に飛んでいる…」
異常発生時刻18:25:00を18:24:35.6にしたと考えると:25.6前つまり:25:00−25.6=18:24:35.6には、謎の飛行体を回避運動でかわしたと解釈出来ます。
初期フライトレコーダーの記録航跡を見ますと、衝撃音「パーン、バリバリ」又は「ドーン、ガラガラ」の前に右に航跡が擦れていた。そうしますと正しい記録は以下の通りと推測可能です。
[匿名さん]
18:24:30〜35.「ライトターン」
18:24:37. <インタホン>
「スイッチを押してトイレへ行きたいとおっしゃる方がいらっしゃるんですが、宜しいでしょうか」「気を付けて」「じゃあ気を付けて御願いします」「手早く」「はい有難う御座居ます」「気を付けて下さい」
副操縦士の物言いを、ボイスレコーダーに残された声を周波数分析した結果、緊張度が非常に高い事が判明しました。スチュワーデス(キャビン・アテンダント)の声が正常値の3に対して、副操縦士の声の緊張度は7と異状な緊迫感を示唆してます。
分析手法は、航空自衛隊航空医学実験隊が開発した「音声基本周波数」(1秒間の声帯振動数)をボイスレコーダーから抽出し、緊張状態との相関関係を推定する方法です。
[匿名さん]
突然に低周波MHZ(巡航ミサイルターボジェット音)が記録された。
18:25:0.50「パーン‥バリバリ‥」
事故直後の朝日新聞「日航機事故、機体異常は右側に集中、相模湾で回収された垂直尾翼は、右側の傷みが酷く、右側から何かが強烈にぶつかった痕跡がある…」と。
(爆薬未搭載で爆発は無し)【垂直尾翼安定板分析 尾翼右側衝突 機首方向左側伸長力加圧され比較的痛みが少ない。上部外板捲れ上がり右側圧縮力で加圧され押し潰されて、掠めて行きます】
海上自衛隊の標的機ファイアービー5機中1機行方不明の情報あり(情報源秘匿)
1機不明の言い訳
「財産の守り薄い防衛庁」標的機1472万円「尻尾の吹流し等を狙う筈の高速標的機を実際に打ち落とした」(朝日新聞1987年3月17日朝刊)
沼津市上空で「ドーン」の音を聞いた人居ります。
伊豆半島東側海岸で音楽マニアが波の音収録中に偶然大音響を収録…解析した鈴木松美氏「音の立ち上がり鋭く1000分の1秒単位の瞬間的発生。僅か1秒間で音が終わる。数Hz~約8000Hz周波数の音混合。高周波の音時間経過で放物線急低下」
[匿名さん]
突然に低周波MHZ(巡航ミサイルターボジェット音)が記録された後…
18:25:0.50「パーン‥バリバリ‥」前後方向加速度0.047G→下方向加速度+0.75G→横方向加速度左0.2G(2秒半に5回左右に揺らす力が加わる)
前向き外力11t。後方、右斜め上より垂直尾翼衝突し、左下方へ突き抜ける。(垂直尾翼の上下方向舵の下側の面に上の方向舵の下端に付いている護謨のシールが押し付けられ出来た黒い筋が何本も…圧着痕)。
三浦半島三崎港灯台から南西8、1海里地点 (15.12km)
「うわっ」「きやっ」耳がツンと詰まるが直ぐに治る。同時に酸素マスク自動的に落下
「ジャンボの場合、席の数プラス・エキストラのマスクが落ちて来るので、私の座っていた「56」の二席には三つありました。それが機内にいっせいに落ちてきた時は、マスクが、わんわんわん、とバウンドするような感じでした。ひっぱると、酸素が流れだして、口元の袋が膨らむ。酸素が出てこないのもあったけれど、足りないという事はありません」 落合 由美氏
「只今緊急降下中。マスクを着けて下さい」と(日本語と英語でPRAアナウンス)
後部座席の後方トイレ横長の壁繋ぎ目から外れる。
[匿名さん]
整備士で「後部圧力隔壁損壊」説をまともに信じる人はいないという。
加えて、1986年10月26日のタイ航空機事故が、「何故」の一つの側面を明確にしている。タイ航空機は高知上空で機体後部の圧力隔壁が損壊し、大阪空港に緊急着陸した。その時、機内で何が起きたか。ドーンという爆発音と共に、機内与圧が急激に低下。白い水蒸気の様な気体が充満し、乗員、乗客が一瞬で航空性中耳炎になった。だが、123便の場合は急減圧が起きず、白い水蒸気のような気体が生ずる事もなかった。詰り、事故調査委員会の「後部圧力隔壁損壊」説は、タイ航空機事故により事実上破綻したと言える。
ボーイング社は8/18、圧力隔壁が破壊され、垂直尾翼を吹き飛ばしたのが原因との報道を否定した。(読売新聞)散乱した圧力隔壁の破片を調べたが、腐食や金属疲労の証拠は発見されなかったと、日本側の見方を否定した(毎日新聞)
8/19、日航による圧力隔壁破壊実験の結果、これが原因で垂直尾翼が破壊されたとは考えにくいと発表(毎日新聞)。海上から引き上げられた破片も実験結果と異なる (産経新聞)
圧力隔壁破壊による急減圧が起きた場合、機内の酸素が不足するため緊急降下が不可欠であるが、フライトレコーダーによると全く行われていない。
ボイスレコーダーの声も正常で、低酸素で意識が朦朧としている訳ではない。
処が、9/6になって突然、1976年の尻もち事故の際のボーイング社の修理の不備による可能性が高い、と米国の新聞で報道される。ここから一気に、日本側の事故調査委員会も、修理ミスから生じた圧力隔壁の亀裂から爆風が吹き、垂直尾翼を内部から吹き飛ばした説へ傾いて行く。
業務上過失致死容疑で書類送検された日航12名、運輸省4名、ボーイング社4名、および遺族から告訴された三者の首脳ら12名の合計31名は、全員不起訴とされ、1990年時効。520名の命が失われたこの事故で、誰も刑事責任を問われなかった。
[匿名さん]
「パーン」は「ピストルを撃つた時に響くような音」「前ぶれの様な異状は全く無い」「振動感じず機体も揺れず」(落合 由美氏)
「生存の日航職員 生々しく証言」
『離陸13分後 上部でバーン』
1985ー8/15 赤旗新聞
「続いてメリメリ、ガリガリという金属音が聞こえました」(川上 慶子氏)
18:25:02.一瞬停電 キャビンに非常灯が点灯し白霧が発生。
18:25:03「まずい何か当たったぞ」
18:25:07「スコーク77入れるぞ」 「えっ」
※スコーク77(最高度の国際救難信号で発した航空機には無線・航路・滑走路の全てに於いて優先権が与えられます。機長の判断で即座に発令する事が出来、異常音と、機体反応の把握は出来ずとも異常事態と判断しセット)実際の異常発生地点は、三浦半島の相模湾。
[匿名さん]
18:25:10 スコーク77東京管制部受信
エンジン? (CAP)
スコーク77 (COP)
18:25:11
オールエンジンクリアー (F/E)
オッケー (CAP)
18:25:13「ライトターン」「ライトターン」「…(退避運動)しました」 極めて素早い行動をしておりまして、スコーク77発信迄が短い事が分かります。
空港からの出発経路(ウラガ6)を退避して、後続機に配慮した訳です。
8/12.23:53山下徳夫運輸大臣が記者会見して「此迄の情報ではパイロットミスはなさそうだ」「全く予見出来無い事故で唖然としている」と示唆的な発言してます。
更に、ティクオフ前の点検をさせて、直ちに最大出力詰まり離陸推力で、羽田空港への引き返しを図ります。
「マックパワー」(CAP) 「マックパワー」(COP) 「マックパワー」(COP) 「今、レンジ一杯です」(COP)
*スラストレバー(エンジン制御レバー)がマックススロットル状態
[匿名さん]
ですが、リモートコントロールで、徐々に左方向に逸脱させられて行きます。
考えてみて下さいよ(COP)
えっ(F/E)
オレンジAR*...(COP)
AR=Aircraft.Rocket
(空対空ミサイル)
[インターホン]
えー カンパニー(社内無線)でコンタクトお願いします。(機長=CAP)
ええ235カンパニーで呼び出して下さい。(副操縦士=COP)
[インターホン チャイム]
高濱機長は直ちに、18時25分20秒頃から日航社内無線(カンパニーラジオ)レポートで、先輩のベテラン機長(ディスパッチャー)と操縦輪と機体の反応が可笑しい点を話し合いますが、困惑を隠せません。
[匿名さん]
18:25:20 (ACC) どの様な緊急事態か?
応答せよ JAL123
18:26:03 (ACC)
ANA35へ 今 丁度 大島の西 22マイルに緊急事態の機が居ますので、三原ポイントから河和に磁方位210の進路を取り220(22000feet=6705m)迄、上昇して下さい。
*この通信で、JAL123便の対策でANA35便に安全高度迄上昇する様に促して居り、JAL123が、220を要求したとする記録に齟齬を帰す。実際には220以下にJAL123便が飛行して居た事を示してます。
18:26:33 (ANA35)
既に三原を通過 200に進路を取ってます。220(22000feet=6705m)迄、上昇します。
18:26:35 (ACC) 違う! 違う!貴機では無い !
機長は離陸推力で、伊豆半島迄、飛ばさせ推力を戻させます。
伊豆半島東海岸河津町でのJAL123便目撃証言が、鶴岡憲一・北村行孝著『悲劇の真相』に掲載。
[匿名さん]
「上空で『ドカーン』と言う音が聞こえて来た…のは、伊豆急河津駅前のベンチで一休みしていた時だった。『雷が落ちたような音で、ビリビリ響いてきたようでした』。視線の先に見えた機は、何時も通る機よりも低い高度を飛んで来た為、大きく見えた。しかも尾部からは白い煙を吐き出した。蒸気機関車が吐き出す煙か、喫煙者がプカプカ吹かすタバコの煙の様な、塊のような煙だった。その煙は10メートルほど尾を引いたが、すぐ薄くなった」(近持氏・渡辺氏証言)
東伊豆、河津駅の北西側の山側で畑仕事中の河津町役場職員渡辺稔さん(45歳)の証言。
「午後6時半前、ボーンという音で上空をみた。雲の切れ間からジャンボ機が普段の二倍近い大きさで見えた。大きく右旋回したので不思議に感じた」
静岡県加茂郡東伊豆町に在住S氏。「『ドン』と言う短い爆音を聞いた時、時計を見ると6時25分だった」
[匿名さん]
伊豆半島下田東岸では、天領山の上空700mを真東に飛行する機体が見られて居ります。
*擬装JAL機の米軍B707(RC-135)の可能性。
河津駅上空でライトターンをして、大島方向に機体を向ける為に操作しますが、45度の右旋回に止まるり、焦るクルー操縦輪を操作するものも…
カンパニー無線で会社連絡中の機長も
18:26:18「バンクとんな、そんなに」
右旋回を試みるが…「何でこいつ」効か無いんだ?。即時レフトターンを試みるが余り効か無い。其の侭、駿河湾に抜けて仕舞う。 其の内に左右旋回全く不可能に陥り、対処に追われ、管制の担当管制官(26歳の男性)との連絡も遅れます。
事故発生2秒後に1秒間だけ客室高度警報が鳴ると記録の件。
客室高度警報音は離陸警報音と兼用されており、離陸時の大きな騒音にも負けづに乗員に緊急事態の発 生を知らせる為に、85~95 デシベルの大音量で「ブオーッ・ッブオーッ」と、操縦室中に鳴り響く間欠音であ り、不快感を伴うように人工的につくられた倍音を含まない 200~280 ヘルツの合成複合音。
乗員は誰一人客室高度警報音について発言していない。 それは不自然で操縦室の乗員達は事故が発生した直後から自機に何が起きたのかを知ろう と懸命に行動しており、事故発生直後にスコーク77を発信し、自機に緊急事態が起きたことを宣言し ている。 状況下にある乗員達が、最も緊急度の高い 85~95 デシベルで「ブオーッ・ブオーッ」と鳴りだした強烈な客室高度警報音を無視すると会話は この 85~95 デシベルの警報音にかき消されて成立しなかった。
[匿名さん]
18:26:31
「ディセント」(CAP)
「はい」(COP)
「ディセンドした方が良いかも知れ無いですね」(F/E)
「ディセンド」(COP)
18:27 運輸省(現国土交通省)東京航空交 通管制所(ACC)
緊急事態を示す『EMG』の文字がレーダー画面に表示され、大きなブザー音が鳴り続けた。
18:27:10 (ACC)
JAL123へ 緊急事態で有ることを確認するが、その通りか?
18:27:13 (JAL123)
その通り
18:27:14 (ACC)
ラジャーJAL123
18:27:20 (JAL123)
JAL123から東京 日本航空123便 トラブル発生 直ちに えー 羽田へのリターンを要求 !
2200feet(670m)への降下とメンテンを要求 オーバー
18:27:37 (ACC)
ラジャー 要求は全てクリアーされた
羽田空港航務課に航空機救難調整本部(RCC)が置かれ、緊急着陸の準備が始まる
18:27:40 (JAL123)
大島へのレーダー誘導を要求
18:27:42 (ACC)
ラジャー 右旋回か 又は左旋回か?
[匿名さん]
現場の遺体は、通常の事故では、あり得ないほど完全に炭化していたという。自衛隊を含む軍隊が使う火炎発射機は、ガソリンとタールを混合したゲル状燃料を使用している。つまり、墜落から翌朝までの間に、何者が証拠隠滅のために強力な燃料で焼き尽くしたのではないかということだ。
[匿名さん]
18:27:45 (JAL123)
右旋回を要求
18:27:49 (ACC)
JAL123 大島へ レーダー誘導の為 右旋回
磁針方位90度で飛行せよ
18:27:52 (JAL123)
ラジャー
18:28:30 (ACC)
JAL124 大島へ レーダー誘導の為 磁針方位90度で飛行せよ *123の誤り
18:28:35 (JAL123)
ラジャー しかし現在 操縦不能
18:29:30
(ACC)
降下可能か?
現在降下中
(JAL123)
(JAL)
申し訳ありません
現在、規定航路の外に出てます。
(ACC)
其の通り、現在位置は名古屋から72マイル.名古屋に着陸するか?
あー…名古屋。羽田に向かってます(JAL123)
静岡県焼津市(18:30)から富士山西側(18:34)では、S字飛行と、直線では無く左方向に向くと右方向に向かせるジグザグ飛行の繰り返しに為ります。
123便は、小川港 石津付近の上空へ入りライトターンして、18:30:12「プルアップ」を指示、焼津駅北北東の高草山(501m)を掠めます。
「ジャンボ機は、静岡駅南西方向から駅方向に右旋回し、今度は左へ翼を傾けS字状旋回翼上下3度程繰り返し北の雲 の中に消えた」焼津市の石津町原崎 三夫氏(57)
右旋回した後にリモートコントロールされ右旋回を掛けます。 18:30:51 「いやだ もう」 (機長)
火災警報音 (リモートコントロール)
再び上昇して行きます。
[匿名さん]
米 Cー130Hの誘導電波に逆らって羽田空港に戻る努力を続け航路が直線で無く左右ふらふらしたジグザグ飛行に成ってます(初期航跡図) 富士山大野キャンプ場で 「随分低くく左右に揺れながら飛ぶ」のが目撃されて居ります。
1962年時に既に航空機を遠隔操作出来る技術がアメリカで完成。
1976年 クバーナ航空455便は遠隔操作が行われた(テロによる死亡事故を偽装)
1983年 大韓航空機撃墜事件は遠隔操作されて、ソ連の領空を侵犯し撃墜された。
1985年 日航機墜落も遠隔操作され墜落事故。
[匿名さん]
JAL123便が墜落事故を起こした1985年頃には既に飛行機をラジコンに依って飛ばす技術に就いては相当進化して居た様です。
JAL123便の迷走飛行は遠隔操縦とパイロット達に因る操縦が混ざったもので有ったと言うのが真相です。
遠隔操縦する側には100%遠隔操縦出来る状態に有った筈ですが、敢えて其の様にし無かったと考えられます。
離陸3分後問題発生と機体の意に反した動きと山に向かう不可解な理由を探る
オートパイロット技術はボーイングの場合、1964年就航の727型機から、事故機747型機が路線就航したのは1970年で、実地運用6年間の実績データーをフィードバック完成度の高い制御プログラムが747型機に組み込まれた筈。
オートパイロットは、エンジン出力制御や機体の姿勢制御をコンピューターで自動制御する技術であり、実用化されていた慣性航法装置(指定した速度、高度と、航行ルートをコンピューター制御する技術)の組合せで、目的地までの離着陸を含めたフライトを自動化機能。
[匿名さん]
747型機は其等をクリアーした機体で、後はパイロット達によるコックピットでのスイッチ操作を、全て遮断する配線や電子基板に取り換えておけば、飛行中の機体を無線信号によって乗っ取り、レーダーにより機体の位置をモニターしつつ、目的地点へと誘導させて衝突させることが可能となる。
JAL123便の機体である747SR型は、日本国内向けに開発された短距離用の派生機種で、74年に製造され後継の767型機同様機能を備えてはいても、技術水準の開きがあります。747SR型ではコンピューターに因って、機体のエンジン出力と操舵翼が制御可能。
1985年8月11日には、4便飛び21:40から8時間約10人が徹夜で整備。
毎日新聞記事(1985-8/20)
圧力隔壁破壊も尾翼破壊もすべて作り話で、外部からのリモートコントロールにより後操縦士たちのマニュアル操作を遮断する信号を送り、以後、外部誘導信号を送り続けて機体を御巣鷹山へと飛行させ、この目的地に向けて激突させたのではと推察される。
[匿名さん]
無線操縦技術は、ドイツ軍が目視による遠隔誘導爆弾を実践配備して実用化。イギリスへ撃ち込まれたV2ロケットの場合は誘導信号による自律推進回路を有してます。
18:30 神奈川県相模原市上空座間ポイント*の東約9km高度約5400m上空よりANA757便東京発小松機長は…
「4発エンジンの大型軍用機といった感じで日航機には見えなかった」「何とか機首を羽田方向に立て直そうとしている様だった」「大きくなったり、小さくなったりして見えた。北から東へ針路変更をし様としている様だった」「約3分後右後方へ去る」
民間パイロットの目から、「4発エンジンの大型軍用機といった感じで日航機には見えなかった」と率直に語ります。
目撃者として聞かれたからあれがJAL機 ?と思ったのでしょう。傍受して動きも似せた擬装米軍機B707(RCー135)なのですから当然です。
[匿名さん]
*座間NDB=神奈川県 相模原市中央区 相模原四丁目 8-1
目撃者の見た4発機は747SRー100とJAL擬装707(RCー135) Ⅰ
18:25 747SRー100 相模湾。
18:25 707(RCー135)伊豆半島下田東岸、天領山の上空700mを真東に飛行する機体。
18:30 747SRー100 静岡県焼津市高草山。
18:30 707(RCー135)静岡県藤枝市
左側貨物室下部に楕円形オレンジレッド塗装。
747SRー100は・・・
18:35から左ループ旋回に続いて18:40から右ループ旋回、真東から18:44の左旋回。
18:35アシスタントパーサー落合 由美氏の証言
「ゆっくりと左右に大きく旋回している様な動きが」始まると。「酸素マスクを外してみても苦しさは感じませんでした」
「然して、其の時、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、最も近くに見える時と同じ位の近くでした。夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動して行きます。富士山が窓の丁度、真横に来た…とき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです」
先ず左旋回ループ飛行が有り、機体左側に座る落合氏は、左旋回ループが終わる頃、窓の外に富士山を見ます。
富士山の北東、大月市を挟んで西側(左旋回。4000m)と東側(右旋回。2000m)で、 2つのループ旋回をして、8字飛行と為ります。
富士山の北東、大月市を挟んで西側(左旋回。4000m)と東側(右旋回。2000m)で、 2つのループ旋回をして、横に並んだ8字飛行をしたのは、リモートコントロールで機体操縦が有り、クルーの思う様に出来無かったからです。
詰まり横田基地に着陸し様とは微塵にも思って無かった様です。
[匿名さん]
360度以上のループが終わり、東京コントロールと連絡を取り、誘導を受けながら、着陸に備えますが、意に反した機体反応に横田を考えざるを得無く為ります。
高度4000m富士山の真西付近で左旋回ループ(18:35)が有り更に大月市上空(18:40過ぎ実際には旧秋山村)で右旋回ループが高度2000mで有り
「8の字飛行」30分の謎 日航機墜落 水平尾翼も損傷? 機長、必死のエンジン操作パイロットらの推定(読売)
8の字飛行は、ダッチロールに解されるが、実際は無かった。大月市の 西側と東側でループ飛行が行われた事実を消し、ダッチロールにすり替えた。微妙なニュアンスを上手く活用してます。
「椅子の下にある救命胴衣を取り出して付けて下さい」ベスト着用開始。
L5受持ちスチュワーデスの手伝い。18:38「機体の左右の傾き揺れ角はじっと立っていられ無い程に成る」ダッチロールには思えぬ動きに為る。
[匿名さん]
富士山3779m中腹でアルバイト住み込みの人が帰宅途中ふらふらJAL123便を見る。「其の飛び方は飛行機と思えない」と証言する。
18:40 スコーク77 (squawk7700=緊急事態:Emergency) スクリーンに「凹」マーク再出現。
18:40:45
(東京ACC) JAL123どうぞ
(JAL123) はいなんですか?
えーと
ちょっと待って下さい
今 エマージェンシー
ディセントしてますので
(東京ACC) JAL123了解、わかりました
(JAL123) えー
もう少ししたら
(東京ACC) わかりました
そして……
(JAL123) あー コンタクトしますので
18:41:10
(東京ACC) JAL123、羽田にコンタクトしますか ?
18:41:17
(JAL123) そうおねがいします もう一度、
あー 、再び コンタクトしますので
えー、このままモニターしておいて下さい
(東京ACC) はい理解、スタンバイ
6時40分頃、再度、日航機長の声を聞いた。その声は非常に動揺しており、管制とのやりとりは、航空の標準語である英語ではなく日本語だった。こんな事は、几帳面な東京管制官の通常の離陸管制では考えられないほど異常な事だった。
[匿名さん]
マイケル・アントヌッチ氏の貴重な証言は、日航機事故から10年、米軍人コミュニティ向けの新聞「スターズ・アンド・ストライプス」に「アントヌッチ証言」で掲載された。
関東南A空域
米 Cー130H輸送機
自 Cー1(改装ECー1)
関東西空域
米 不明(軍事機密)
B707(RCー135)
作戦行動中を秘匿するなら試運航や、帰投中を宣言するしか無いでしょう。
18:41 日航社内無線で、東京コントロール(ACC)と連絡。R5側の座席からオレンジエアーを見た人も居る事と機内状況を通報します
【後日18:35に変更された。其の時間帯には、客室に航空機関士が尋ねたか、客室乗務員からインタホンで報告を受けクルーに伝えたとみられます。R5ドアー→R5ロア(胴体下部のプレッシャーリリーフドア)改竄されて仕舞います】
[匿名さん]
直ちに東京コントロールは、123便以外は、周波数134.0での交信を呼び掛けます。
18:42:00
(東京ACC)
全航空機
日本航空123便を除く全航空機は周波数134.0にて東京コントロールと交信して下さい。尚、別途指示があるまで同周波数の沈黙を守れ !
18:42:22
(STW) もうすぐ酸素は要らなくなります
(CAP) 頭下げろ いくか !
(COP) はい
(STW)赤ちゃん連れの方は、座席の背に
頭を支えて…して下さい
赤ちゃんはしっかり抱いて下さい
(STW)ベルトはしていますか
テーブルは戻してありますか
着陸のさいは、あのー
予告なしで着陸する場合が…
地上との交信はちゃんと繋がっております
山梨県内 大月市 L1011機が、旋回する123便を目撃 事故調P.23
「北方から飛来し旧秋山村上空で360度以上急旋回をして北方へ低空飛行」山梨県南都留郡秋山村(現上野原市)の藤本 重則氏(37)の証言。
フライトレコーダー(DFDR)には、クルーが舵左一杯にしても、リモートコントロールでの右旋回の機首を抑制出来無い状況が記録され、故にループを作った事が分かります。米軍Cー130H輸送機…詰まりリモートコントロール側は、早く山間部に123便(JA8119号機)の機体を持って行きたかったのでしょう。
米軍擬装JAL123のB707(RCー135)は目的地に到達します。
「疑惑JAL123便墜落事故/角田四郎著」
[匿名さん]
「ほぼ南を向いて立っていた私の左手に、北から南へ向かって、少し右に傾いた民間航空機であった。民間機と瞬時に思ったのは、窓が一列に沢山見えたからである。見て居ると、直ぐに水平飛行に戻り、ゆっくりと南下して行く。『あれ、一寸変わった飛行機だなァ』と考えた事を憶えているが、尾翼が有るとか無いとか、墜ちるのでは、等とは微塵も思っていなかった。『何処へ行くんだろう、こんな所を飛んで・・・・・・』と思ったが、次の瞬間、『あ、横田や厚木の米軍基地が近いんだ』と思い、その後は米軍のチャーター機と決めつけて見ていた。」
[匿名さん]
「大きな飛行機と言う印象も、やたら窓がはっきり見えて居たからで有る。高度も、其故に低く感じたし、速度も実にゆっくり見えていた。ただ足元の桂川のせせらぎのせいで、全く音はなかった。その機の窓を見ていた私は年がいもなく、「あれ位低いと、乗っている人もこっちを見ているかもしれないな」と思い、上げた手を機に向かって振ってみたりした。やがて飛行機は再び右に少し傾きながら、我々が昼間登ったばかりの倉岳山の東側を南西に向けて山影に消えた」
[匿名さん]
「私は又風に当たり乍ら足腰の屈伸運動や深呼吸をした。目の前の川向こうの山が夕日に映えていた。其の時、飛び去ったと思った飛行機がその山の右へひょっこり顔を出した。今度は西に向かっている。さっきよりは距離があって小さく見えるが、余り上昇していないと感じた。今度は直ぐに次の山影に隠れて見えなくなった」
[匿名さん]
「私は『あの飛行機矢っ張り一寸可笑しいな』とだけ感じた。それは米軍基地は東の方角だからであった。「あの高度、速度は、これから着陸する感じだったが」とも思い乍、私は振り返って自分のバンガローに向かった。歩き乍ら西の空が色づき始めているのを見た。その時また飛行機が見える。木の間に見えかくれしていたが、私はつい「エッ」と驚きの思いで立ち止まって見つめた。しかし、今度はごく小さな機影で、北に向かって夕焼けの中をどんどん小さくなってゆく」
[匿名さん]
「あれはさっきの飛行機じゃないな」と思い、再びバンガローへの坂道を登っていった。この間、5~6分の出来事である。例の大きな飛行機を見ていたのは18:40~18:41頃から18:43~18:44分の2~3分の間だった」
後日、当時刻に此の空域に居た航空機が発表になり、私が二度に渡り見た機影が、日航機以外に有得無い事も知った。
[匿名さん]
前述した北西にドンドン飛び去った三つ目の機影もこの発表から全日空小松行きであると判明した。
只、前には書か無かったが、私は此の時更に2機の航空機を目撃して居る。
不思議な事に、此の2機に関する記述は其の発表航空機リストには見当たら無い。
私の目撃を証言する者も居無い。然し私は確かに、その2機を木の間に見たのである。
(疑惑 JAL123便墜落事故 P60~P61)
私は既に大月付近のキャンプ場で事故機目撃の2~3分後に、自衛隊機2機を目撃したと書き記した。事故機の目撃18時42分頃~43分頃と推定できるので、自衛隊の戦闘機2機を見たのは45分頃になる。すると日航123便が大月上空でループ飛行(一回転)した直後と言う事に為る。
[匿名さん]
しかもそれは日航機と非常に近い距離を飛行して居た事に為る。
(疑惑 JAL123便墜落事故 P389)
F-4フアントムⅡテスト(F-4EJ性能向上型)の2機。
旋回中にギヤダウンが有ったとされてますが、実際には横田基地の手前で有り、機体の急減圧、垂直尾翼破損、油圧制御不能とさせ、墜落在り来りの改竄だと推測されまます。
「戻せ」「戻らない」とやり取りさせた後に米軍C-130のリモートコントロール側は操縦を最小限に緩めます。
*リモートコントロールは操縦と警報音、偽物ボイスレコーダー作成を分担した可能性が高い。
18:42機内アナウンス「急に着陸する事が考えられますから…」「管制塔からの交信はキャッチ出来ています」(落合 由美氏証言)
明るいニュースは機内を直ぐ駆け抜けます。
[匿名さん]
18:44:06
えー、相模湖迄来てます (COP)
はい (CAP)
羽田へのレーダー誘導を要求 (JAL123)
18:44:09
了解、了解 滑走路22 磁方位90度を維持して下さい (東京ACC)
18:44:12
了解 (JAL123)
コックピットのクルーに安堵感が広がりますが
油断した隙にレフトターンさせられて仕舞い…
18:44:16
「あー、あああー」 (CAP)
安心も束の間…あっという間にリモートコントロールで左旋回させられて仕舞います。
18:44:33
「これは駄目かも分からんね」(CAP)
機長の不安を感じられます。
[匿名さん]
羽田空港の着陸を諦め横田基地へ、着陸の体制に入ります。
村上良平氏(43)遺書
18・45 機体は水平で安定して
酸素が少ない気分が悪るい
機内よりがんばろうの声がする
機体がどうなったかのかわからない
18・46 着陸が心配だ
スチュワーデスは冷せいだ
「あの日私の誕生日なので、良く覚えています。町の南側に有る今熊山 (東京都八王子市美山町)の方向から大きな飛行機が現れ北北東の方向へゆっくり飛んでいた。五日市高校の上空辺りを飛び日の出町方向の山へ消えました。時間は午後6時45分頃の20から30秒間です」
(角田四郎氏の取材で南澤輝明氏の証言)
目撃者の見た4発機は747SRー100とJAL擬装707(RCー135) Ⅱ
18:45 747SRー100東京都八王子市美山町の南側に有る今熊山 の方向から北北東の方向、五日市高校の上空辺りを飛び日の出町方向の山へ
18:45 707(RCー135)夕方、群馬県上野村で南の方からジエット機2機ともう1機大きい飛行機が飛んで来たから、慌てて外へ出て見た。そうしたら神社(乙父神社)のある山の上を何周も回っていた。
[匿名さん]
707(RCー135)米軍JAL擬装機体と747SRー100 JAL123編。
東京ACC管制部は、東京都福生市のアメリカ極東空軍・横田米軍基地に協力要請。直ちに、横田基地の滑走路を空け、消防・救急を待機させると同時に、岩国海兵隊基地から横田基地に向かっていたC130HH輸送機に123便のサーチ・アンド・レスキュー(捜索・救助)を要請して居る。
横田管制が123便に横田基地への着陸を許可するのを聞いた。123便の緊急事態は相当に深刻で、当該乗員は米軍基地への着陸を希望したのだった。
[匿名さん]
米空軍C-130H(ハーキュリーズ)輸送機に乗務していたマイケル・アントヌッチ中尉(最終的地位大尉)が、退役後「サクラメント・ビー」紙に発表した証言。
「フラップどうしましょうか?」 (F/E)
「未だ一寸、早い」 (CAP)
「ギヤ降りてますか?」 (CAP)
「ギヤ降りてます」 (COP)
横田管制が、123便に着陸を許可するのを聞いた。(マイケル アントヌッチ氏証言)
「東南東より西北西の御岳山の方へ」多摩郡日の出町細尾の北島清司氏(53)
[匿名さん]
日の出町から右旋回し、米軍横田基地(OKO/RJTY)の北側から着陸体制を取り滑走路に進入しますが、更なる遠隔操縦が襲う。
18:46頃
「操縦不…以下不明瞭」(JAL123)
御岳山に達する前に右旋回し、横田基地着陸失敗。諦めて入間基地(IATA/RJTJ)に不時着を敢行する為に向かいます。
123便が入間基地上空で目撃された(朝日新聞社「日航ジャンボ機墜落」P.41)
リモートコントロールで、入間基地にも着陸は不可能。「ちょっと分からんなあ」 (CAP)
「はい」 (COP)
三芳町方面に飛行し、再度着陸体制に入ります。
ですが、三芳町上空でUターンし、最終着陸体制に入ります。
埼玉県内 三芳町 極端な低空・低速で東武東上線の真上を通過し、北北西へ 「日航ジャンボ機墜落」
再び入間基地上空に到達し右旋回し着陸し様としますが、機体は全く反応しません。更に左旋回し、其れではと、左旋回して東に機首を持って行こうとしますが、コントロール出来ずに、北々西に向けられ更に左方向の御岳山にぶつける勢いでリモートコントロールされます。
[匿名さん]
「現在コントロール出来ますか?」(ACC)
「操縦不能です」(JAL123)
「了解」(ACC)
「ちょっとどうなるかねぇ」 (CAP)
「はい」 (COP)
NNN報道スペシャルを久保晴生キャスターが伝えた際
取材の帰路中、青梅市を低空で飛ぶ事故機を目撃したNTV(日本放送)榊原 幹制作スタッフが、緊急報道番組にスタジオ出演。
青梅街道の青梅駅の上空を北北西に飛ぶ123便を目撃。
事故調査報告書。「レーダー記録の乱れの為正確な飛行経路は不明である」(P.81、付録P.94~111)。
【此の時間帯ボイスレコーダーには、ボイスレコーダーWeveファイル.NO8.時報付報告書と2分の擦れが有り】
18:49頃「おい山だぞ」西多摩郡御岳山(929m)をライトターンで回避。
[匿名さん]
18:49:30 現在位置を知らせ(JAL123 F/E)
18:49:35 位置5 えー、あー45マイル羽田の 北西 熊谷から あー25マイル西の地点です。
(APC)
18:49:45 はい 了解 熊谷から25マイルウェストだそうです。
18:50:54JAL123便は東京ACCと交信を開始する。
リモートコントロールに因るフラップ操縦で急降下状況に陥る。
18:50:58「うあっ…大変だっ」
18:51:00各種警報装置が、リモートコントロールで一斉作動
(パニックに拍車を掛ける)
「現在コントロール出来ますか?」「アンコントローラブルです。アー操縦不能」980feet 190kt
18:51:07慌てて交信を終了する。機体の立て直しに全力を尽して、直ちにフラップアップで上昇に転ずるが、其の間にリモートコントロールに因るレフトターンに慌てる。
18:51:05「山行くぞー!」
西多摩郡の奥多摩町日原 前田清志巡査長(29) 「川下より低空で左翼を大きく落とし斜めに落ちて来る感じで…直ぐ翼を取り戻し通り過ぎ北西山並みへ」
左旋回に対して、右旋回から左旋回とジグザグ飛行して御岳山回避に右旋回(18:49)と為ります。
[匿名さん]
日航機墜落事故の真実の1人論文かな?
雑談でもなく1人で書き綴って何を求めてるの?
[匿名さん]
18:51頃。
機体が山岳地帯に向かう為に川上村のレタス畑に不時着を決意します。
「行くぞ」(CAP)
「はい」(COP)
「東南にある甲武信ヶ岳(2475m)の北側の尾根から突然大きなジエット機が姿を現した。飛行機は畑のほぼ真上を西方向へ通過。まるで石を投げたら当たる様な超低空飛行だった。真上に来た時(100m)は空が真黒になる様に感じた。千曲川に沿って西へ進んだが正面には扇平山(1700m)が迫っていた。右翼を下げて飛行機は約90度右旋回した進行方向には三国山がある」(川上村梓山の実家畑で神奈川県在住石川哲氏)
[匿名さん]
「自宅上空でゴーッと凄まじい音がしたので家の前の河原に出て空を仰いだ南東の五郎山(2132m)を掠める様に見た事も無い程大きな飛行機が現れた。爆音は更に大きく成り飛行機は頭上で大きく右旋回し次に逆に左旋回したかと思うと急に機首を下げ扇平山と神立山(1978m)の交差する稜線の向こう側に消えた」川上村梓山井上薫氏の証言。
18:54:00
「JAL123.JAL123.もし受信可能であればこちらは東京アプローチ.もし聞こえて居ればトランスポンダーで応答せよ」(ACC)
18:54:05 あったま下げろ
そんなのどうでもよい(CAP)
キャベツ畑に不時着体制に入りますが、リモートコントロールにより制御出来ず上昇に転じ
…。
18:54:31
アンコントロール (JAL123)
18:54:32
アンコントロール (JAL123)
18:54:40
「123了解しました」(ACC)
[匿名さん]
日記カテに行きなさい
迷惑!邪魔!
気が狂った人にしか見えない
[匿名さん]
18:54:47
「JAL123.周波数を119.7に変えて下さい」(ACC)
「当日8月12日午後6時52〜53分頃、川上村梓山地区の上にある畑に出ていて苺摘みやレタスの収穫作業をしていた時だった。畑で苺摘みをしていた手元が急に明るくなったので、ふと上空を見上げると真上に窓の明かりが一杯に点いて、エンジン音が殆どしない大きな飛行機が飛来してきた。上空400メートル位で一瞬お化けが出て来たかと思った。子供が『あれはジャンボ機だ』とすぐに叫んだ位見たこともない大きな飛行機で埼玉の方から飛んで来た。電気を一杯点けたジャンボ機の全部の窓に明かりが点いていたが乗客の姿は下からは見えなかった。飛行はフラフラしていなく一応安定していて垂直尾翼が欠けていたかどうかは分からなく、機体からは煙は出ていなかった。
[匿名さん]
畑の上空で右旋回をして2~3キロ先にあるその昔岩から毒物が出たことから長野群馬県境三国山系通称『悪石』と呼ばれる岩山にぶつかりそうになりそれをスレスレにかわし左旋回をしたかと思うと、飛行機は見えなくなった。その直後、昔蕨採りに行った事のある長野群馬県境通称『蟻ガ峠』辺りからキーンキン・カタカタ・ブォーンと言う空港でジエ
ット機が離着陸する時のような音が2〜3秒した後、山肌50センチ~1メートルの高さと約600~700メートルの長さで山の稜線に沿って一瞬蒸気みたいに横に広がり真っ白い光になった。その白い光の上に瞬間真っ赤な光が出た。この真っ赤な光も一瞬にして消えその後、勢いのある黒いキノコ雲がモクモクと上空に湧き上がってきた。キノコ雲の高さは上空800メートル~1キロ昇り、キノコ雲は5分位続いた。横で一緒に見ていた子供がびっくりして腰を抜かし地面に座り込んだまま55分~10分位その場で動けなくなった」
長野県南佐久郡川上村梓山地区(男性D氏・墜落現場から約4キロ南東)の目撃談・池田昌昭氏取材
[匿名さん]
「鎮魂JAL123便/池田昌昭著」33頁
辺りはそんなに明るくはない頃、暗くなりかけだった。家の中にいたが、異様な音に気付き、家の前の梓山地区千曲川堤防際に出たところ、飛んで来た飛行機の音はブーンと割りと大きかった。堤防上空を飛行機が、低く飛んで来て窓の明かりは見えなかったが、2メートル程の大きさに見えた。東に当たる埼玉の方からゆっくりと飛んできた。割と飛行機の爆音はゴォーンと大きく、フラフラと飛行はしていなかった。飛行機は真っ黒ではないが下から見て黒っぽく見えた。尾灯だか、翼灯だかの電気が点いていた。普通の電気の色で翼の電気が光っていた。翼の先っちょが白く光っていた。
18:55:04「ライトターン」目の前に三国山
飛行機は赤ランプを点灯させていた。右旋回する時、かなり右に傾いた。フラフラと不安定だった。(川上村少年野球チーム約30人中証言関一二三君)
[匿名さん]
扇平山付近の「川上村第二小学校の上で右旋回し、ギューッと高度700~800メートルへと機首をグッと持ち上げ、噴射の馬力で何とか上昇して行った」。
誰かが光る物が飛んでくると叫んだ。巨大なジャンボ機が、山の端を掠める様にゆつくり飛んでいた。南東の方向の山の上から近付いて来た。頭の上で右旋回し始め北に向かった。木の陰に隠れたので50m程走って行くと機の後ろ姿が、一瞬見え、そのまま山陰に隠れた。その間1分弱。20秒位して、山の向こう側に真っ赤なキノコ雲が立ち上がった。それは、数秒で消えて2つ目のキノコ雲が現れた。その10数秒後、黒い煙が、モクモクと湧いて来た。(証言加藤 隆志君)
大きなライトターンの後引き戻しのリモートコントロールに因る急で小さなレフトターンをさせられる(S字旋回に見える)
「体が大きく揺さぶられるのを感じました。船の揺れ等と言うものでは有りません。もの凄い揺れです。しかし、上下の振動は、ありませんでした」
(落合 由美氏証言)
民間航空会社の操縦士の行う所業では有り得ません。
[匿名さん]