>>739
犯罪はおきてますね
山形マット死事件の概要
1993年山形マット死事件発生
1993年の1月13日に、山形県の新庄市立明倫中学校の一年生男子生徒が、いじめの末に同級生らに殺されるという悲惨な事件が起きました。「山形マット死事件」として、表には出にくい学校のいじめの深刻さを、日本中に知らしめた事件です。
被害者生徒は同中学校内の体育館用具室のマットの中に、逆さにくるまれた状態で発見されました。死因は胸部圧迫による窒息死でした。
繰り返され、長引く裁判
山形マット死事件において、被害者児童をいじめていたとされた上級生3名が逮捕。同じくいじめに加わっていた同級生の4名が補導され、それぞれ操作されました。一時は犯行を認めた加害者側は、後に一転して容疑を全面否認。「被害者児童が自分からマットに入った」などと供述を始めたのです。
山形という土地柄もあってか、加害者児童たちを支援する会が立ち上がるなど、事件は迷走し始めました。度重なる審議の末に、2005年9月にやっと、生徒7人が事件に関与したと裁判所が判断。5760万円の支払いを命じました。
賠償金を払わない加害者たちへ再び
山形マット死事件から実に12年。長い遺族の戦いに、ようやく決着がついたと思われましたが、いじめをした生徒7人の誰一人として支払いに応じなかったといいます。そのうち2人は強制執行も出来ず、損害賠償期限が迫っていた遺族は次なる行動へ移りました。
10年間という期限付きの損害賠償請求権を延長するために、遺族は再び提訴。2016年8月23日に、山形地裁は加害者へ賠償命令を再び出したのです。遺族側の完全勝訴として、山形マット死事件は決着がつきました。