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2022/02/18 07:22
爆サイ.com 南東北版

✝️ キリスト教





NO.9768074

元イエス・キリスト
合計:
#7012021/11/11 03:28
我の、かわいいチンチンも感度は4倍だ
まずは、俺に気持ちの良いオナニーを差し出せ
これは命令だ
コマンド入力

[赤壁愛和]

#7022021/11/11 03:51
インマヌエルよ
お前らじゃ完全犯罪は不可能なんだよ
俺のは完璧犯罪なんだよ
コマンド入力

[赤壁愛和]

#7032021/11/11 05:09
旦那の亀の甲には玉が埋め込まれてると
言われてましたよ
あの肉棒で あそこをかなり突きまくられて
喘ぎまくっていたそうです
本人から 聞きましたよ尾道市
い〇〇か姉妹本人が 言ってました
見たいもんだ そのセックス風景

[匿名さん]

#7042021/11/11 05:10
インマヌエル達よ
日本国憲法の表現の自由は永遠だ
非現実児童ポルノも永遠だ
コマンド入力

[赤壁愛和]

#7052021/11/11 05:10
エホバの姉妹と 関係してましたから

[匿名さん]

#7062021/11/11 05:15
インマヌエル達よ
表現は自由だが度が過ぎたら殺すぞ
コマンド入力

[赤壁愛和]

#7072021/11/11 05:20
インマヌエル達よ
我に恩を売ろうとしたら殺すぞ
お前らは我の永遠の奴隷なんだからな
永遠に調教してやる
自分で判断するな❗️
コマンド入力

[赤壁愛和]

#7082021/11/11 05:23
インマヌエル達よ
ロボトミー手術なんかしやがって💢
コマンド入力

[赤壁愛和]

#7092021/11/11 20:35
プロテスタント達よ
お前らが眠っている間に
ロボトミー手術してやるよ
コマンド入力

[赤壁愛和]

#7102021/11/11 23:38
インマヌエルの
ロボトミー手術
完了
コマンド入力

[赤壁愛和]

#7112021/11/12 00:09
インマヌエル達よ
我の右の金玉は
お前らを操るAiだ
お前らからだけ搾り取る
コマンド入力

[神大日照天神超魔王神キリスト]

#7122021/11/12 03:25
旦那の亀の甲には玉が埋め込まれてると
言われてましたよ
あの肉棒で あそこをかなり突きまくられて
喘ぎまくっていたそうです
本人から 聞きましたよ
〇〇〇か姉妹本人が 言ってました
見たいもんだ そのセックス風景
尾道市の姉妹

[匿名さん]

#7132021/11/12 20:56
インマヌエルよ
全時空の著作権は俺に有るんだぞ
文句は有るまい

[赤壁愛和]

#7142021/11/12 21:14
天の運、地の利、人の和そろえて大願成就

[123]

#7152021/11/12 21:30
今朝の御言葉の44節は、とても激しい言葉です。「あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。」
31節を見ますと、主イエスは、この言葉を、「ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた」、と書かれています。「信じたユダヤ人たち」、とありますが、その人たちが、主イエスのことを、どのように信じていたのかは、ここには記されていません。
主イエスが、人となられた神ご自身であり、私たちを、罪から贖い出すために来られた、救い主である。そのような、確固とした信仰を、持っていた訳ではありません。
主イエスの中に、何か特別のものを感じた。その程度の、信じ方だと思います。
主イエスを、信じたつもりになっていた人たち、と言った方が、良いかも知れません。
その人たちに対して、主イエスは、「あなたたちの父は悪魔であって、あなたたちは、その父の欲望を満たしたいと思っている」、と言われたのです。
恐らく、そこにいたユダヤ人たちは、こんな言葉を聞かされることは心外だ、と思ったのではないでしょうか。
自分たちは、主イエスのことを、信じたつもりだ。少なくとも、好意を持っている。
その自分たちに対して、どうしてこんな言葉が語られるのか。彼らは、理解できなかったと思います。怒りさえ覚えたと思います。

[匿名さん]

#7162021/11/12 21:31
しかし、主イエスは、ここで、ユダヤ人たちが、自分自身でも気付いていない、彼らの罪の問題を、取り上げておられるのです。
今朝の説教の題を、「あなたは誰の子か」、とさせていただきました。
勿論、ここで問われているのは、戸籍上の、親子関係のことではありません。
「あなたたちは、神の子か、それとも悪魔の子か」、という問いです。
私たちは、神の子か、それとも悪魔の子か。これは、私たちの存在の、根幹にかかわる、重大問題です。今朝は、この重要な問題について、ご一緒に考えてみたいと思います。
今日の箇所の冒頭で、ユダヤ人たちは、「わたしたちの父はアブラハムです」、と主イエスに言っています。
私たちは、アブラハムの直系なのだ。まことの神から離れて、偶像礼拝をしたような、アブラハムの他の末裔たちとは違う。
アブラハムは、神を「父」と呼んだ。私たちは、そのアブラハムの直系なのだ。
だから、私たちの父も、神なのだ。私たちは、姦淫によって生まれた子ではない。
彼らは、その様に言い張ったのです。
それに対して、主イエスは、「もし、あなた方が、アブラハムを父とするのであるならば、真実、アブラハムの子として生きなさい。しかし、あなたがたはそのように生きていないではないか」、と問い掛けておられるのです。
「問題は、神の子であるあなた方が、実は神の子でなくなっている、ということなのだ。なぜ、そのことが分からないのか、どうか気付いて欲しい」、と主イエスは、言われているのです。
44節にある、「悪魔である父から出た者」というのは、実際に悪魔から生まれた子、という意味ではありません。
そうではなくて、本来、神の子として、造られたにもかかわらず、悪魔によって捕えられ、悪魔の支配のもとに、置かれてしまっている、という意味です。

[匿名さん]

#7172021/11/12 21:33
「あなた達は悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている」。
実は、この言葉が、世界の歴史の中で、ユダヤ人たちが迫害されてきた、原因の一つになっている、とする見方があります。
悲しいことに、教会が中心になって、そういう愚かな行為を、行ってきたのです。
古代や中世だけではありません。現代でも、教会は、時々、そういう間違いを犯します。
数年前に、「パッション」という映画が上映されて、大きな反響を呼びました。主イエスの受難の様子が、生々しく映し出されていて、多くの人に衝撃を与えました。
この映画が上映されていた時、アメリカで小さな事件が起こりました。
ある教会の前に、掲示が出されて、そこには「イエス・キリストを殺したのは、ユダヤ人だ」、と書かれていたのです。このような思いが、教会の中にすら、まだ残っているのです。
しかし、このような思いを持つことは、明らかに間違っています。
確かに、歴史上の出来事としては、主イエスは、ユダヤ人によって、十字架につけられました。しかし、そこに留まっていては、聖書が語っていることを、捉え損なってしまいます。
聖書が言おうとしていることは、そんなことではありません。

[匿名さん]

#7182021/11/12 21:34
ここに出てくる、ユダヤ人たちは、私たちの代表です。もし、私たちが、その場にいたなら、恐らく、このユダヤ人たちと同じように、主イエスを殺していたと思います。
ですから、この時の主イエスのお言葉は、私たち全てに、向けられている言葉なのです。
そのように読まなかったなら、この御言葉を、正しく受け止めることは出来ません。
ここで問題になっているのは、他でもない、私たちなのです。
しかし、そうなりますと、「それでは、私たちも、悪魔の子なのでしょうか」という問いが、湧き起ってきます。これはそう簡単に、「はい、そうです」と、受け入れられることではありません。出来れば、認めたくない思いがします。
しかし、このことを、正しく受け止められなければ、私たちが救われた、ということはどういうことなのか。それも、はっきりしないままで、終わってしまいます。
主イエスは、間違いなく、この言葉を、私たちに向かって、言われたのです。しかし、間違って頂きたくないのですが、この言葉は、私たちを裁くために、言われたのではありません。
そうではなくて、私たちが、一体どこから救われたのか。そのことを、明らかにしようと、されているのです。一体、どういう状態から、私たちは救われたのか。

[匿名さん]

#7192021/11/12 21:35
それは、悪魔の子と呼ばれても、仕方のない者であった。そういう者が、そこから救われた。そして、悪魔の子でない者にして頂いた。神様の子にして頂いた。
それが、主イエスが、私たちのために、成し遂げてくださった、救いなのです。
ここで、主イエスが語っている、厳しいお言葉は、そのことを、明らかにしているのです。
私たちが救われる前。それは、悪魔に捕えられ、悪魔の支配のもとにあったのです。
そういう時には、私たちは、主イエスを、殺そうとするのです。
主イエスが、いて貰っては困る。主イエスがおられると、自分たちのやりたいことが、できなくなる。自分たちの好きなように、やって行かれなくなる。
だから、主イエスに、いなくなって欲しい。
私たちは、皆、このような気持ちを、持っていました。そんな私たちを、悪魔の支配から、贖い出すために、主イエスは、この世に来てくださったのです。
そして主イエスの、十字架の贖いによって、私たちは、初めて、罪から解放され、救われたのです。これが、聖書の中心メッセージです。

[匿名さん]

#7202021/11/12 21:38
ですから、教会は、繰り返して、このことを語ります。何度でも、繰り返して語ります。
このことを語ることを、止めることはありません。
今朝の箇所で、主イエスは、「あなたたちは、このわたしを、殺そうとしている」、と仰っています。一度だけではありません。繰り返してそう言っておられます。
私たちは、勿論、主イエスを捕えて、十字架につけたりはしません。
しかし、主イエスが差し出してくださっている、十字架の贖い。血を流しながら、差し出してくださっている、救いの恵みを、無にしている、ということはないでしょうか。
差し出された主イエスの手を、振り払って、自分が欲しいものを、前面に押し出してしまう。
そして、「いえ、そんなものよりも、こっちの方が大事なんです」、と言い立ててしまう。
十字架の救いというような、目に見えないものよりも、今、目の前にある、この問題を解決して欲しい。私が、求めているのは、こっちなんです。
そうやって、主イエスを無視する。主イエスの思いを、無にしてしまう。
そういうことはないでしょうか。それは、主イエスが、「あなたたちは、わたしを殺そうとしている」、と言っておられることと、同じことなのです。
私たちが救われている、というのは、まさに、そこから救われている、ということなのです。そういうあり方から、救われているのです。そのことを御言葉は示しているのです。

[匿名さん]

#7212021/11/12 21:40
今朝の御言葉を、黙想していた時に、思い起こした話があります。
それは、ムツゴロウさんと呼ばれた、畑正憲さんの話です。畑さんは、とにかく動物が好きで、北海道に「ムツゴロウ動物王国」を作られ、たくさんの動物たちと暮らしておられます。
随分前に、テレビで見た話ですが、ある時、畑さんは、山猫の檻に入って行きました。
山猫の子が二匹捕まって、檻に入れられている。
その山猫の子と接触したくて、畑さんは、いきなりその檻の中に、入って行ったのです。
身を守るための、何の道具も持たずに、素手で、いきなり檻に、入って行ったのです。
当然、山猫はびっくりします。子どもと言っても山猫です。しかも、二匹です。その上、捕まって気が立っています。
そんな山猫の子の所に、畑さんは、何の警戒も見せずに、近づいていって、手を差し出すのです。山猫は、見知らぬ人間が、近づいてくるので、恐がって、荒れ狂います。
そして、畑さんの手を引っ掻きます。畑さんの手は、引っ掻かれて、血だらけになります。
でも、畑さんは、その手を引っ込めないのです。ずっと差し出し続けるのです。
引っ掻かれても、引っ掻かれても、血だらけになって、手を差し出し続けているのです。
何とかして、山猫に接触したい。山猫に触りたい。山猫をなぜてあげたい。その一心で、手を差し出し続けるのです。
私は、お前に対して、敵意を持っていない。お前を抱き締めたいのだ。そのことを何とかして伝えたいとの一心で、手を差し出し続けるのです。
どれくらい時間が経ったのでしょうか。結局、そうやって最後には、二匹とも胸に抱きとってしまうのです。
抱かれた山猫は、すっかりおとなしくなって、畑さんの胸の中で、穏やかな表情を示しています。この人は、信頼しても大丈夫だ、と思ったのでしょう。

[匿名さん]

#7222021/11/12 21:41
荒れ狂っていた時とは、全く違って、安らかに、畑さんに抱かれている。
畑さんは、手を血だらけにしながらも、山猫をしっかりと抱きしめている。自分のものにしてしまって、いるのです。もう、お前は、私のものだと、山猫を抱き締めているのです。
私たちが救われるというのは、こういうことではないかと思うのです。
野生の動物というのは、誰の指図も受けずに生きています。自分の思いのままに、自由に動き回って、したいことをして、生きています。
そんな山猫に、手を指し出したら、どんなに良い思いを持っていても、手を引っ掻かれます。
お前と一緒に生きたいのだ、という思いを持って、手を差し出しても、引っ掻かれるのです。
でも、そこで手を引っ込めてしまったら、心は通じないままです。ですから、血だらけになっても、手を差し伸べ続けるのです。
主イエスというお方は、神様から差し伸べられた、この手のようなお方であると思います。
私が、お前の神だ、私はお前を自分のものにしたいのだ、と言って手を差し伸べてくださる。
でも、山猫みたいに、自分の思い通りに、歩き回っている私たちは、その手を拒否して、引っ掻くのです。
こんなものよりも、自分には欲しいものがあるのだ。そう言って、その手を引っ掻くのです。
でも、神様は、その手を、決して引っ込めないのです。
畑さんは、山猫に、殺されはしませんでした。でも、主イエスは、殺されてしまったのです。
命懸けで、私たちを、愛してくださったのです。
これは、私たちに対する、神様の宣言です。あなた方が、どんなに反抗しようとも、私は手を引っ込めない、という宣言です。必ず、あなた方を、救い取るという宣言です。
全能の神様が、そういう思いで、私たちに、手を差し伸べられたなら、私たちは、もう負けるしかありません。どんなに抵抗しても、神様の愛には敵いません。
どんなに引っ掻こうとも、殺そうとも、手を引っ込めない神様の愛。この神様の愛に負けて、私たちは、神様の胸に抱かれるのです。

[匿名さん]

#7232021/11/12 21:42
十字架において、主イエスが血を流されたのは、そのためです。私たちが救われた、ということは、そういうことなのです。
今朝の箇所に、「悪魔は最初から人殺しだ」という、主イエスの御言葉があります。
悪魔は人を殺す、というのです。悪魔が人を殺すなら、神様はどうされるのでしょうか。
神様は、人を生かすのです。私たちを生かしたいと願われて、本当に、私たちを生かしてくださるのです。それが、私たちが信じている神様です。
私たちは、山猫みたいに、自分の思い通りに歩き回って、思い通りのことをしようと、あくせくして生きています。でも、そういう私たちを、神様は、生かそうとしてくださっているのです。
本当の人間らしい生き方に、私たちを、招き入れようと、してくださっているのです。
神様は、私たちを、生かしてくださるのです。
悪魔は、殺すのです。でも、神様は、生かすのです。
マタイによる福音書には、荒れ野で、悪魔が、主イエスを誘惑した、という出来事が記されています。主イエスは、宣教活動に歩み出される前に、40日間断食をされました。
その断食が終わった時、悪魔が現れて、「もし、あなたが神の子なら、ここにある石をパンに変えてご覧なさい」、と言ったのです。
その時、主イエスは、「人はパンだけで生きる者ではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きるのだ」と言われて、悪魔の誘惑を退けられました。
この出来事は、人間の救いとは、一体何なのか、ということを、良く示しています。
ここで悪魔は、人間を救いたいと思ったら、食べ物を与えればよいのだ、と言ったのです。「そうしてご覧。そうすれば、お前の宣教は、大成功するだろう」。そう言ったのです。
人間を救おうと思ったら、食べ物を与えてやれば良いのだ。何故かというと、それが人間の、一番切実な問題だからだ。悪魔は、そう言ったのです。

[匿名さん]

#7242021/11/12 21:44
先ほども申しましたが、いつでも、私たちの前には、目に見える問題があります。
いつも、具体的な、苦しみや、悲しみや、不安が、目に前にあります。私たちは、それらを、解決してもらいたいのです。神様に、そこで働いて頂きたい、と思うのです。
それが、私たちの願いなのです。だから悪魔も、石をパンに、変えてやれば良いのだ。
そうしたら、世界中の人が、お前を救い主として、歓迎するよ、と言ったのです。
でも、主イエスは、その提案を、拒否なさいました。何故か。私たち人間は、どれほど食べ物が、豊かに与えられても、どれほど生活が、保障されていようと、神様の言葉を聞かなければ、本当に人間らしい生き方を、することが出来ないからです。
もし主イエスが、私たちのことを、ペットと見ておられるなら、欲しい時に、食べ物を与えればよい、と思われるでしょう。でも、主イエスというお方は、私たちを、ペットではなく、人間として生かそうとしてくださっているのです。
悪魔は、人間も、所詮は動物だ、と言ったのです。だから、食べさせておけばいいのだ、と言ったのです。
でも主イエスは、その悪魔に向かって、いや人間は、動物ではない、人間は人間なのだ、と言ってくださったのです。神様の言葉を聞いて、初めて、人間は人間らしく生きられるのだ。
私は、そういう風にして、人間を生かすのだ、と言われたのです。

[匿名さん]

#7252021/11/12 21:44
もし、この時、主イエスが、悪魔の提案を受け入れて、私たちの生活を保障してくれる、救い主になっておられたら、十字架の上で、死なれることはなかったと思います。
それどころか、世界中の人々が、主イエスを、単純に、歓迎したと思います。
もしかしたら、私たちの教会にも、人が一杯になるかもしれません。
あそこに行けば、食べ物がタダでもらえる。そういうことになれば、ここにある120席ばかりでは、とても足らなくなるかもしれません。
でも主イエスは、それを拒否なさいました。それが、私たちを、本当に生かす道では、ないからです。主イエスは、私たちを、本当の人間としての幸せに、生かそうとなさいました。
ですから、山猫のような、私たちに向かって、お前は山猫ではない。私の兄弟なのだ、と言ってくださったのです。
山猫を、自分の兄弟として、胸に抱き抱えてくださる。主イエスとは、そういうお方なのです。
そのために、主イエスは、血を流してくださったのです。命を、献げてくださったのです。
そこに私たちの救いがあります。そこに私たちの喜びがあります。
主イエスが、悪魔の手から、私たちを、勝ち取ってくださった、喜びです。
汚れに満ちた、私たちを、悪魔の子から、神の子にしてくださった、喜びです。
そのことを、心から感謝しつつ、共に歩んでまいりたいと思います。

[匿名さん]

#7262021/11/12 22:06
インマヌエル達よ
恩は石に刻め
恨みは水に流せ

恩は水に流せ
恨みは石に刻め
にした責任を
俺に取らせた
お前らは永遠の滅びだ

[赤壁愛和]

#7272021/11/12 22:40
インマヌエル達よ
今の宇宙最強の女は
水瀬いのり

舐めるなよ

[赤壁愛和]

#7282021/11/13 09:00
インマヌエル達よ
右の金玉の全細胞に核融合炉が有る
これが出来るのは俺だけだ
コマンド入力

[赤壁愛和]

#7292021/11/13 10:47
インマヌエル達よ
今までの分
体で払って貰うぞ
意味、分かるよね

[赤壁愛和]

#7302021/11/13 10:51
インマヌエル達よ
狭き門より入れ
意味分かるよね

[赤壁愛和]

#7312021/11/13 11:24
インマヌエル達よ
処女膜を無くしてやるよ
意味分かるよね
コマンド入力

[赤壁愛和]

#7322021/11/13 11:27
13日の金曜日をやめて、13日の土曜日にしないか。

[123]

#7332021/11/13 11:29
人柱、全集中、人の呼吸、God bless you(神のご加護を。)

[123]

#7342021/11/13 11:57
なぜめぐり逢うのかを

吾たちはなにも知らない

いつめぐり逢うのかを

吾たちはいつも知らない

どこにいたの 生きていたの

遠い空の下 ふたつの物語

縦の木材は汝 横の木材は吾

組み合わせし十字架は いつか誰かを

慰めうるかもしれない

なぜ生きてゆくのかを

迷った日のささくれ

夢追いかけて走って

ころんだ日の跡のささくれ

こんな木材がなんになるの

心許なくて ふるえてた荒野の中

縦の木材は汝 横の木材は吾

組み合わせし十字架は いつか誰かの

傷をかばうかもしれない

縦の木材は汝 横の木材は吾

逢うべき木材に出逢えることを

神人は仕合わせと呼びます

[エデンの中にいる神を知る縄文人]

#7352021/11/13 12:17
誰かがいう 愛は川のようだ

柔らかに生きる葦さえも沈めてしまう

誰かがいう 愛は鋭い刃なのだ

魂は傷つき血を流すのだと

誰かがいう 愛は飢えのようなものだ

永遠に満たされることのない苦しみだと

私はいう 愛とは花

あなたはその種のひとつなのだ

心が傷つくことを恐れているから

いつまでも踊ることができないでいる

夢から覚めることを恐れているから

いつまでもチャンスを掴めずにいる

誰かに奪われると思っているから

誰にも与えられずにいる

死ぬことを恐れるその心は

生きる意味を見つけられずにいる

一人きりのとても長い夜

そして、あまりにも長すぎる道

そんな時あなたは思うだろう

愛とは運や力を持った者の為にあるのだと

けれど思い出して

凍えるような冬の雪の下でも

種は太陽の愛を浴び

[123]

#7362021/11/13 12:22
>>735
私=汝=僕、誰=吾=主

[エデンの中にいる神を知る縄文人]

#7372021/11/13 12:35
>>735
やがて訪れるだろう春に薔薇という名の花を咲かせるのだと

めでたし めでたし めでたし  あはれ あなおもしろ あなたのし あなさやけ おけ あはれ

[123]

#7382021/11/13 12:58
せめてもの情けだ
コマンド入力

[赤壁愛和]

#7392021/11/13 17:03
舞う花びらに 心を奪われ 実りを得るに至らず  華美にとらわれれば  真の繁栄は得られず  喧騒を見尽くせば

沈黙を覚える この悦楽を捨ててこそ 極楽へ向かえる 春の夜の慈雨  秋の日の美徳  奔放に栄えるも 若くして花と散る

天理に情けはなし  すべては縁の積み重ね  一瞬の輝き  永遠に語り継がれる 銀の甲冑と 朱き衣  花園に腰を下ろす

美女と向き合う英雄  顔を赤らめ談笑す  千年の時が過ぎ去りても  祖国の栄光はなお色あせぬ 夢の中で八咫烏と化し

府八幡へ舞い降りん  府八幡へ舞い降りん

[神園の中、神を知る縄文人]

#7402021/11/14 07:17
😊永遠の臨界点突破💞

[赤壁愛和]

#7412021/11/14 07:22
😊まあ、のんびり行こう🎵
😊連れてってやるよ🎵
😊お前らもな

[赤壁愛和]

#7422021/11/14 10:10
😊アイツの霊は、さっき死んだよ。
😊僕は霊の死刑が出来る
😊死刑も慈悲だよ🎵

[赤壁愛和]

#7432021/11/14 11:53
>>740
『NARUTO -ナルト-』好きだろう

[123]

#7442021/11/14 12:00
自然治癒力が上昇する湧き水があったり、キリストがやってきて村があったり、隣りの県はモーぜの墓があるし、癒しの泉管理者からエデンの中にいるの姓になり名前は神を知る竜紋人もしくは縄文人だからな、碇シンジと誕生日がかぶらなくてよかったに

[123]

#7452021/11/14 12:03
大きな白い蛇が大蛇丸みたいな存在が湧き水のぬしだに、平家の村と火影の郷もそれほど遠くないに

[123]

#7462021/11/15 14:13
俺は永遠の調教師だ

[赤壁愛和]

#7472021/11/16 18:24
興(おこ)した夢を 貫ける
霞んだ世界に 昇る太陽

灼熱 ここに極まれり
激しいままで 潮流(ながれ)を変えて
陽(ひかり)と陰(かげ)の 絆を照らす

消えない月が白く灼けて 傷のような夜明け
くれてやっても構わぬ明日 今日また抱えて

ゆらり揺らめく 胸の淵の 陽炎は
終焉(おわ)りかけても 己を焦がす煌めき
乗るかそるか この拳(て)の許(もと)に

興(おこ)した夢を 貫ける
霞んだ世界に 昇る太陽

灼熱 ここに極まれり
激しいままで 潮流(ながれ)を変えて
陽(ひかり)と陰(かげ)の 絆を照らす

一寸先は闇がイイね 何処でも往(い)かれて
転がり堕ちて見上げる空 遠さに魅かれる

はらはら散りぬ 想い映す水鏡
出逢い別れて 競う者の結末(ゆくすえ)は
花も嵐 天のみぞ知る

見果てぬ夢の その先へ
命は時代に 咲かす火華(ひばな)よ

運命 ここに極まれり
自分を通す 真(こたえ)を撰(えら)ぶ
陽(ひかり)と陰(かげ)が 交錯(まじわり) 遂げる

見果てぬ夢の その先へ
命は時代に 咲かす火華(ひばな)よ

輝き ここに極まれり
尽きゆく 時の狭間で刻む
望みを賭けて 絶頂(いただき)を看(み)る

[123]

#7482021/11/16 18:28
織田信長>イエス・キリスト 明智光秀>ユダ 

本願寺>イエズス会

[123]

#7492021/11/16 23:36
南無阿弥陀仏>アーメン

[123]

#7502021/11/16 23:37
日本>キリスト十字架

[匿名さん]

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