海外で会ったことのある、武藤によるとランカスターは「いい選手」だったとか。
[匿名さん]
ジャンボ鶴田が引退した日に田上を破って新三冠王者になったベイダーが、UNベルトを腰に巻いたのは鶴田へのリスペクトだったのかな?
鶴田対ベイダー見たかったです…
[匿名さん]
身体の大きな選手には、やはり大きなUNベルトが合う感じですよね。
逆に鶴田の場合、単独では巻くことの無かった、PWFを好んで巻いていたような。
[匿名さん]
鶴田はインターばかり巻いていたような…
三沢もインターばかりで、PWFは一度だけ巻いたことがあった(97年10月ウイリアムスに勝利後)
天龍が全日本復帰して三冠に返り咲いたとき「愛着のある」UNベルトを巻いたのが嬉しかったです。
[匿名さん]
三沢を破った時は入場からPWFでしたね。
基本的に巻くとすればインターなので、それ以外を巻く時がとにかく印象に残る。
健介が最初に取った時、PWFを巻いたのは、かつて長州が巻いていたからかとか。
[匿名さん]
小学生だった私は、あの!?高千穂(ずんぐり体型の)がJバレンタインとKKクラップを連破して、インチキ臭く思いました…
[匿名さん]
確かランカスターはプエルトリコで新人時代の武藤と同時期があったはず。
[匿名さん]
若大将鶴田と歩んだUN王座には「青春」のイメージがある。
もし三冠統一していなかったら小橋が二代目若大将となっていたかも…
[匿名さん]
鶴田は「ロビンソン」「マードック」「ブッチャー」「レイス」に一時、ベルトを明け渡したが… さすが馬場の弟子だけあって、お得意様外人を大事にしたネ!? 新日本では有り得ないのでは?(Mスーパースター、カネック、Pモラレスには勝たせてやれヨ!!)
[匿名さん]
UNの価値はレイスとの抗争辺りで相当に高くなっていた感じですよね。
それがおそらく翌年のインター奪取をそれほど盛り上げなかった一因というか。
[匿名さん]
馬場はPWFをカマタに明け渡すチョンボをやらかしたが、鶴田は納得できる相手に負けたというべきか。
[匿名さん]
しかも会場は前年に鶴田がロビンソンに敗れた同じ場所と。
[匿名さん]
秋田市立体育館でしたね。
秋田県立体育館のほうが大きいのに、市立体育館をよく使っていましたね。
[匿名さん]
大会の会場なんてどうでもイイじゃん 〜 秋田ってだけで!? たかが田舎なんだから〜
[匿名さん]
スタン・ハンセン失神事件も秋田市立体育館でしたっけ?
[匿名さん]
天龍対原のUN戦が行なわれたのは大分県立荷揚町体育館だよね。
県立だけど荷揚町って田舎にあるんだろうか。
全日本はよく使っていて、ハンセン&ブロディの日本初コンビはこの会場なんだよね。
[匿名さん]
大分県立荷揚町体育館ってタイトルマッチなどよく組まれるけどノーテレビなんだよね。
新日本で一度テレビ中継があったと思うが、いつだったか忘れた。
[匿名さん]
坂口vsシークや坂口vsキニスキーみたいに、馬場が離脱してからはむしろUNこそがエースベルトだった感じも。
[匿名さん]
馬場は大木がインターの新王者になったと聞いて、「坂口じゃないの?」と言ったとか。
[匿名さん]
「実録馬場と猪木」に載っていた東スポを見るに、当初は坂口vsキニスキーがインター決定戦になるはずだった?
[匿名さん]
武藤のランカスター評価については、週プロのUN特集に載ってましたね。
[匿名さん]
UNって、それほど価値があるベルトには思えないな…
[匿名さん]
ブッチャーvsテリーで当時の横浜文体の新記録を達成。
[匿名さん]
初期の王者はメンドーサとかトロスとか、どうにもピリッとしない面々。
日本で価値の上がったベルト、アメリカ生まれの日本育ちだね。
[匿名さん]