親指だけで腕立て伏せ1,000回やるなんて、すごすぎますね。
しかも、山籠りで自然薯しか食べないだけの栄養状態の体でですよ。
[匿名さん]
確かに凄かったのは認めるが他を否定したのは人間性疑う
[匿名さん]
柳龍拳は相手に触れないでなぎ倒してたよ
何人かかってきても触れずに倒す
[匿名さん]
プロレスよりもボクシングよりも柔道よりも最強に強いのは空手だよ
その中でも極真だ!
いつも総裁に聞かされてたけど思い込み激しいと感じた
[匿名さん]
強いか弱いか
それなりに強くなけりゃ 創設期にあれだけのメンバーは集まらないだろ。
[匿名さん]
熊殺しのインチキをするくらいだから集めた連中ま胡散臭い
[匿名さん]
【空手】極真伝説の大山道場の空中写真を発見
イーファイト 7月10日(金)22時54分配信
【空手】極真伝説の大山道場の空中写真を発見
写真中央の縦長の建物が大山道場の入っていた建物(国土地理院 昭和38年撮影)
故・大山倍達氏が設立した極真空手の前身である立教大学裏、バレエスタジオ跡の大山道場の昭和38年の空中写真が「豊島区立郷土資料館」の42型の大型タッチパネルにて高解像度で確認できる。
【フォト】この道場の他の写真・解説はこちら
大山道場は昭和31年から39年3月までこの場所で稽古していた。素手での顔面あり、金的あり、投げありの実践空手で有名だった。
立教大学裏の大山道場は当時の住所では豊島区池袋3-1360、現住所では豊島区西池袋3丁目13-11。
[匿名さん]
大山道場の場所は昭和40年に住所表示の実施で旧番地となり、その1年前に既に引越しをして極真会館(4階建てビル)が脚光を浴びたこともあり、旧道場の場所や建物の存在は忘れられていった。徐々に街も変わり平成に入り道幅の拡大などで「今は道路になっていて住所や番地が不明」と関係者の間で通説となり正確な場所が不明だった。
今回の取材で当時の住宅地図(大山道場の表記なし)と大山道場の関係者の証言からある建設会社の中にあったと特定。この建設会社に問い合わせたところ、当時を知る現役員は「建物の奥のスペースを大山道場に貸していました」と証言。この建物は建設会社の会社兼社員寮、そして社長の自宅でもあり、建物の奥の約7m四方の15坪のスペースを大山道場が借りていた。その後、今回の取材で聞いた当時の大山道場生全てが建物の一番奥だったと共通の回答だった。
[匿名さん]
建物の正面真ん中から入り、左右に各部屋の扉が並ぶ廊下を15メートルほど歩いた突き当たりに大山道場の扉があった。
大山氏が生前、弟子の中で最も稽古したと常に語っていた大沢昇氏(極真及び大山道場出身、初代全日本キックボクシング バンタム級王者)に当時の大山道場について聞くと「建物の左隣にはアパートが三棟並んでいて、道場とアパートの間の細い路地で稽古のあと道着の上を脱いで水浴びをしていた。上からアパートの住人に見られてないか気になったよ。後ろには大きな一軒家があり、夜遅くまで稽古してうるさいってクレームが来たなぁ。右隣は大家さんの家でここからも早く帰ってくれってよく怒られたよ」と当時を振り返る。
道場の位置の右隣に長細い家屋が併設されているのがわかる。夜遅くの練習はさぞ音が響いたことだろう。
この場所を借りたきっかけは大山の目白3丁目の自宅からこの建物内の榎本誠バレエ学園(現・東京バレエ劇場 東京都新宿区)は近く、大山は長女にバレエを習わせていた。それが縁で榎本と家族ぐるみの付き合いが始まった。「昭和31年の結婚を機に、新宿区にある私の実家をバレエスタジオに改装(現在に至る)し移転しました」と当時榎本と結婚した妻(バレエでの芸名:南麻美)が経緯を説明した。
[匿名さん]
大山道場はそれまで目白の自宅庭、また近所の空き地(石炭置き場)などの野天道場として稽古をしてきたが、榎本の紹介で榎本バレエ跡を借受け、大山道場として利用することになった。
この時代、道場からほど近い池袋駅西口周辺は昭和38年ごろまでヤミ市で賑わった。物騒な時代でもあり、強くなろうと道場の門を叩くものが多かった。昭和31年に入門した大山道場生え抜きの初代師範代を務めた渡邊一久氏は「父親がヤミ市でオリンピックという居酒屋を営んでいて私も手伝っていた。ヤクザが店に来て高い酒を飲んでよく踏み倒すもんだから、強くなって撃退してやろうと思い、大山道場に兄妹で入門した。数ヶ月後、彼らに対して金払えと。喧嘩になったけど勝つことができた。そのうち僕が牛殺しの大山の道場生だと知れ渡り踏み倒しは減った。大山道場生というだけで抑止力はあった。黒崎建時先輩も大山館長に渡邊の店を見るように言われてよく店にきてくれたし。大山館長も一人で来てくれました」と語る。
池袋からヤミ市が消えた昭和39年4月には大山道場の近くに極真会館本部道場ビルが完成、大山道場から極真会館に名称変更。10月1日には新幹線が開通、その10日後、東京オリンピックが開幕し、極真会館も日本も新たな時代に突入した。
[匿名さん]
現在、大山道場のかつての建物自体はなくなっており建物の前部分は道路に、後ろの道場部分には大型マンションが建っている。
豊島区立郷土資料館では池袋のヤミ市の写真、ジオラマがあり、当時の雰囲気を感じ取ることができる。また本日(7月10日)より8月30日まで「戦争を考える夏 2015」と題し、豊島区の戦中戦後やスガモプリズンの資料を揃える。
さらに9月12日から22日まで「ヤミ市から自由文化都市へ」と題し戦後の池袋のイベントを豊島区各所で開催。
豊島区立郷土資料館はじめ、立教学院展示館、東京芸術劇場、旧江戸川乱歩邸などで写真・映像・チラシ・ポスター・本・雑誌などを展示、また9月18日から20日まで池袋西口公園にて「池袋西口ホッピー祭り」(仮称)をはじめ、各種のイベントが開催される。ヤミ市をイメージした屋台を設置し、ヤミ市から広まったホッピーを飲んで楽しんでもらおうという趣旨。野外ステージでは音楽演奏なども予定している。
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当時の大山道場の門下生で一番若い世代も現在70歳ぐらい?
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死んで何年経過しても話題にされるのだから体したものだ
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俺は剣道3段だが木刀があれば
もっと簡単に熊ぐらい倒せるよ
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さすが極真だな。
おれも空手やってるけど、クマ来たら一目散に逃げるわ。
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俺は自慢したくないからマスコミには言わなかったが…
本当ですから!! それをマスコミに言うだなんて、、
さすが 空手家ww
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晩年に大木金太郎の挑戦から逃げ回ったことで神話が壊れた。
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目潰し、金的蹴り、パッチギ
これがこの人の必殺技!
正々堂々として格好よすぎる
[匿名さん]
とにかく、その時代の空手家のなかでは断トツに強い格闘家のひとりである。
[匿名さん]
ケンカ十段芦原英幸
猛虎添野義二
真樹日佐夫
大山茂
大山泰彦
[匿名さん]