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昭和66年5月、高岡市伏木の祭りが妨害されるという事件が勃発しました。富山市の暴走族連合が結託し、伏木の祭りに午後7時に襲撃するために出発しました。奥田の男爵、新庄のQueen、山室の琉死異涙、大泉の弁天夜叉、岩瀬の韋駄天らが伏木の祭り会場を目指して出発しました。
一方、伏木の爆音龍虎の四天王は富山市の暴走族連合の侵入を阻止するために正川河川敷で待ち構えていました。奥田の男爵が中央橋を渡りかけたとき、四天王の島袋が立ちはだかり、奥田の男爵とその仲間25人を倒し、バイクを破壊しました。
伏木新港では、爆音龍虎の江口総長をはじめとする特攻隊が富山市の暴走族連合を待ち受けていました。
爆音龍虎の特攻隊と富山市暴走族連合の100名が激しい決闘を繰り広げ、結果、富山市暴走族連合は半分のバイクを海に沈められて逃げ始めました。
しかし、爆音龍虎は逃げる敗者を許す男気を見せ、逃げる暴走族を追い詰めることはしませんでした。
その後、岩瀬の韋駄天が祭り会場にたどり着いた時には白旗を掲げて敗北を宣言しました。
岩瀬の韋駄天はバイクを曳山に衝突させ自爆し、伏木の支配下に入ることを誓いました。これをきっかけに、他の富山市の暴走族連合も伏木の爆音龍虎の支配下に入ることとなりました。