■ 警察が協力して作り上げた違法産業 − パチンコ
>>171
下の表は昭和24年からのパチンコホール数の推移です。昭和26年を契機にホール数は急激な伸びを示していますが、
これは「正村ゲージ」によるパチンコ人気を反映したものでした。業界紙である『遊技通信』1951年10月5日付には、
東京では「1日30件近いものの申請があり」 という記事が掲載されています。写真を比較すれば「正村ゲージ」の
革新性が一目瞭然です。
天釘、ヨロイ釘、ハカマなどの釘、玉を受けて回転する「風車」、いわゆる「チン、ジャラ」と呼ばれるベルなど、
すべて「正村ゲージ」の発案者である正村竹一のアイデアでした。彼は業界の発展を望んで、自身の発明に特許申請
せずに他の業者が同様のゲージを使用する事を容認していたために、「正村ゲージ」は文字通り爆発的に市場を席巻
しました。下の表は、この時代のパチンコ・ホール店舗数の推移です。(出所:全国遊技業組合連合会『全遊連(協)
25年史』1977年、307頁)