馬場さんはターザン山本に金を渡し週刊プロレスを使って、当時のSWSを攻撃していた。
[匿名さん]
馬場さんは師匠の一人であるフレッド・アトキンスに関する1963年のインタビューで
その実力はカール・クラウザー、ルー・テーズ、ディック・ハットンと同等だと思うと発言してる
少なくとも当時はカール・ゴッチが実力者であると認めていた
[匿名さん]
ゴッチについて
実力はあるがプロ向きではない。テーズも確かに頑固な部分があったが、それでもある程度、ショーマンシップを理解してプロレスをやっていた。
ゴッチには、それが全くなかった。頑なに自分のスタイルを押し通して自分だけが満足する試合ばかりしていた。
まぁコーチとしての手腕は認めてやってもいい。
馬場正平
[匿名さん]
ゴッチもプロレスしかやった事がない。他の選手に比べて不器用だからプロレスが下手だっただけ。映像を観ても動きがぎこちない。
[匿名さん]
レスリングは強いけどプロレスは下手だった人。
これでどや?
[匿名さん]
ゴッチは来日する時、新日が用意したファーストクラスをビジネスやエコノミーに切り替えて差額を自分のポケットに入れていたせこい人。それくらい貧乏だった。
[匿名さん]
視野が狭く! 自分のスタイルを否定されるとキレるレスラー
😠〰️💣
[匿名さん]
ブロディと同じくプロモーターの言う事を聞かず干された
[匿名さん]
観客の死角で尻の穴に指を突っ込み相手がひるんだ隙に腕や足を極める
[匿名さん]
オリンピックに出ているが負けが多かったので本人はオリンピック出場について語っていない
その大会にはハットン ガニア バショん も出てる
ホッジはぼボクシングアマレスオリンピックのメダリスト
格が違う
[匿名さん]
日プロのゴッチ教室とかあったけど、プロレスの神様と崇められようになったのは1972年辺りの猪木派のマスコミのおかげ?
[匿名さん]
猪木アリ戦ではライオンTシャツ着て猪木のセコンドに付いてたね。もし神様ならこんな試合止めろと強く言いそうだが、これでは単なる猪木の言いなりのビジネスサポーターだよ
[匿名さん]
昔 藤波 木戸 長州などがタンパの
ゴッチ道場で修行してたけど
ゴッチ道場って無償で指導してたの?
[匿名さん]
1972うまれ、ヒーローぶる、47
4さいじ?の、 せいかく、な、し、だわ 失恋?あはは、
[匿名さん]
猪木からはジャーマンスープレックスホールドでピンフォール奪えなかった
[匿名さん]
かつてゴッチは試合相手にフォール勝ちじゃなく
ギブアップを取る事だと第1次UWF時代の稽古時に言ってたと思うんだけどジャーマンスープレックスを開発してながら良く言うなこのオッサンはと
当時思ったよ
[佐山サトル]
あぁ そんなのもいたんだw でもまったく興味無し^^
[匿名さん]
渕正信が雑誌『Gスピリッツ』(『週刊ゴング』の後継誌の一つ)に語ったところによると、渕がゴッチの元で修業していた1982年に
「新日本とは何の契約もないので全日本が呼んでくれるのなら行ってもいい」とゴッチが言い出し、ちょうど米国遠征中だった馬場も興味を示し、
馬場はゴッチとビル・ロビンソンのコンビでの世界最強タッグ決定リーグ戦参加を考え、ゴッチも了承したが実現しなかった。
このゴッチ全日本登場は、「新日本の象徴であるゴッチを全日本が引き抜いてどう使うかが非常に難しい」ということなどから幻に終わった。
[匿名さん]
俺はゴッチは国際プロレスの象徴って感じに思えた
全日がルーテーズ系なので猪木が対抗策として無理やり新日のシンボルに仕立てたという感じ
[匿名さん]
トランプで裏に向けたカードを1枚づつめくって出た数によって
プッシュアップやスクワットをするトレーニング考案したのは
ゴッチだよね。
全てのカードが終わるまでやり続けるとか...
でもあれって全てのカードを足して365になるんだから
トランプ使わなくても最初からその数をこなした方がよくない?
まだこのトレーニング方法使ってる選手居てるのかなぁ
プロレス大好き芸人が集まった企画でこれ放送されたら
プロレス知らない人に笑われながらツッコミされそうだわ
[ゴッチ]
ただの変人。
馬場はゴッチの事を「融通のきかない頑固者」と酷評していた。
[匿名さん]
1973年A・猪木、坂口組 vs L・テーズ、K・ゴッチ組の世界最強タッグ決定戦
[匿名さん]
前哨戦のタッグマッチで馬場とゴッチは4回対戦した。
試合結果はすべて東京スポーツより。日本プロレス1966(昭和41)年(第1次)サマー・シリーズ
【1】シリーズ第3戦・7月25日 新潟県村上市肴町広場特設リング 観衆4,200人
▽60分3本勝負
○K.ゴッチ、エル・モンゴル、J.ランザ(2-1)G.馬場、吉村道明、M.ヒライ●
1.○モンゴル(体固め、19:51)吉村●
2.○吉村(片エビ固め、6:50)モンゴル●
3.○ゴッチ(原爆固め、2:24)ヒライ●
【2】第4戦・7月27日 新潟県佐渡・佐和町町営グラウンド特設リング 観衆3,500人
▽60分3本勝負
○G.馬場、吉村道明(2-0)K.ゴッチ、J.ランザ●
1.○吉村(カウントアウト、16:20)ランザ●
2.○馬場(体固め、3:20)ランザ●
【3】第8戦・8月4日 愛知県半田市営球場特設リング 観衆3,000人
▽60分3本勝負
▲G.馬場、吉村道明、M.ヒライ(1-1)K.ゴッチ、エル・モンゴル、J.ランザ▲
1.○モンゴル(体固め、14:30)ヒライ●
2.○吉村(片エビ固め、4:40)ランザ●
3.▲日本組(両者カウントアウト、7:59)外人組▲
馬場とゴッチがチョップとエルボーによる激しい乱打戦を行なった、と東スポにはある。
【4】第9戦・8月5日 愛知県一宮市体育館 観衆3,500人
▽60分3本勝負
○K.ゴッチ、エル・モンゴル(2-1)G.馬場、吉村道明●
1.○ゴッチ(逆さ押さえ込み、24:50)馬場●
2.○吉村(反則、4:38)外人組●
3.○外人組(反則、タイムなし)日本組●
前哨戦のタッグマッチ4戦目で遂に直接決着。
1本目、馬場の肩車(ショルダー・スルー?)をゴッチが丸め込んでフォール。
試合結果の欄には「逆さ押さえ込み」とあるが記事、写真を見ると明らかにローリング・クラッチホールド。
2本目、モンゴルがボールペンのような凶器で吉村を流血させるその傷口にゴッチもエルボー攻撃。外人組の反則負け。
3本目開始前、怒った吉村がバケツで外人組に報復、さらに沖レフェリーにボディスラムを敢行して反則負け(東スポより抜粋)。
[匿名さん]
だがこの一宮大会でゴッチは右ひざを負傷、その傷から細菌感染を起こし発熱して入院・手術、以後の試合を欠場。
台東区体育館での馬場対ゴッチのインターナショナル選手権は幻となった。なお台東区体育館では以下の代替カードが行なわれた。
第13戦・8月12日 東京・台東区体育館 観衆4,000人
▽60分3本勝負
○G.馬場、吉村道明(2-0)エル・モンゴル、J.ランザ●
1.○日本組(カウントアウト、22:32)外人組●
2.○馬場(体固め、3:04)ランザ●
退院後ゴッチは帰国。
先に述べた力道山時代の第3回W.リーグ戦でも馬場とゴッチは同じシリーズに参加しているが
当時馬場はまだ若手だったせいかまた馬場がシリーズ途中で渡米するため対戦はなし。
その後ゴッチは日本プロレスで若手のコーチとして来日するが馬場との対戦は遂になし。
とするとここに紹介した4回のタッグマッチのみが馬場対ゴッチの数少ない対戦記録ということになる。
[匿名さん]