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欧米の「罪の文化」、日本の「恥の文化」に対し、
韓国は「恨(ハン)の文化」と言われます。
朝鮮民族にとっての「恨」は、単なる恨みや辛みだけでなく、
無念さや悲哀や無常観、(虐げる側である優越者に対する)あこがれや妬み、
悲惨な境遇からの解放願望など、様々な感情をあらわすものです。
キリスト教文明の欧米では、行動の規範には宗教の戒律があり、
神の戒律を守れば、心は清澄、一点の曇りもないのですが、
それに反すると強い罪の意識を持ちます。
欧米人の心には常に神がいます。それが「罪の文化」です。
多神教の日本では、神や仏の意識はそれほど強くはありません。
強く意識するのは世間の目です。
狭い国土に住む、農耕民族である日本人は、多くの人間が、
協力しあって生活しますから、常に他人の目を意識し、
「和」を持って争いなく、生活しなくてはいかないのです。
怖いのは神や仏ではなく、他人の目であり、他人の口です。
他人に笑われたくない、恥をかきたくない。
これが日本人の行動を規定します。これが、日本の「恥の文化」です。
一方、「恨の文化」がベースにある韓国では、
「恥の文化」の意味も日本とは違ってきます。
韓国では、「恥」を受けるとそれが相手を「恨む」ことになり、
時には「逆恨み」に発展します。
この時の「恥」=「自尊心を傷つけられた」とする基準は、
我々日本人には、理解しがたいものです。
例えば、「標識の表記がバラバラだから統一したほうが良い」
と指摘した日本人に対し、
「自尊心を傷つけられた」と大々的に反感を示したりします。
忠告や進言のレベルであろうと、指摘をすると即座に
自分達が否定されたと受け取り、自尊心が傷つけられ、「恥」と思うのです。
つまり、韓国人にとっては、
「イエスマンの太鼓持ち以外は全て敵」という認識になります。
政治家から財界人までこのような認識ですので、
権力を握った人間は、好きほうだいの事をし、
不正や汚職が後を絶たないというのが韓国の構造的特徴です。
あなたどれに値しますか?私から見るとあなたは恨にしか思えないです。