870
2023/11/26 14:42
爆サイ.com 山陽版

サッカー国内





NO.7201210

デッツォーラ島根④
合計:
報告 閲覧数 4544 レス数 870

#512019/02/11 00:20
>>50
水島は日曜日。

[匿名さん]

#522019/02/14 08:03
日本語が不得意なヤツがいるね。

[匿名さん]

#532019/02/14 10:39

[匿名さん]

#542019/02/14 10:40
>>52
常名 秀則
 ・1993年中学校を卒業後ブラジルへサッカー留学
 ・1987年サン・パウロ州1部リーグE.C.サント・アンドレと日本人2番  目のプロ選手として契約
  ※E.C.キンゼ・デ・ジャウーでは三浦知良と共にプレー
 ・1992年帰国後、京都紫光クラブ(現京都サンガ)にてプレー
  古河電工千葉を最後に現役を引退
 ・千葉敬愛高校、三井千葉SCなどを指導し市原市でちはら台SCを設立
 ・現在エクサスグループ総監督を務めちはら台SCなどアカデミーを指導

               ・日本サッカー協会、アジアサッカー連盟公認A級コーチジェネラル
               ・日本体育協会上級コーチ
               ・日本サッカー協会こころのプロジェクト「ユメセン」講師
               ・日本サッカー協会公認3級審判員
               ・千葉市サッカー協会4種委員・花見川区サッカー協会理事長
               ・千葉県・千葉市4種技術委員


エクサス市原S.C.U−15
日本初の月会費無料(当クラブ調べ)。

登 録   日本サッカー協会・日本クラブユース連盟・関東クラブユース連盟・千葉県クラブユース連盟・
  千葉県サッカー協会・市原市サッカー協会
会 費   月会費無料です。年会費・登録料・スポーツ保険の年間¥10,800のみです。
ユニフォーム
その他   ユニフォームはクラブから貸し出しますので購入の必要はありません。
  クラブ指定の、ピステ、ジャージ、エナメルバックは購入していただきます。
事務局   
  〒262-0046 千葉市花見川区花見川9-12-501 
  (株)エクサス市原スポーツクラブ 043-286-1204/090-4025-7304(常名)

[匿名さん]

#552019/02/14 18:09
デッツをクビにされたアイツの嫌がらせだな(笑)

[匿名さん]

#562019/02/14 20:03
カルロスカイザーに狙われたらもう終わりだ。

[匿名さん]

#572019/02/14 22:33
西野 朗(1955年4月7日 - )は、埼玉県浦和市(現さいたま市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代の主なポジションはミッドフィールダー(MF)。前日本代表監督で、2018 FIFAワールドカップでは日本代表を率いた。

出身地
埼玉県浦和市(現さいたま市)

■ユース
1971-1973
埼玉県立浦和西高校
1974-1978
早稲田大学

■クラブ
1978-1990
日立製作所

■代表歴
1974-1978[1]
日本

■監督歴
1991-1992
 日本 U-20
1994-1996
 日本 U-23
1998-2001
柏レイソル
2002-2011
ガンバ大阪
2012
ヴィッセル神戸
2014-2015
名古屋グランパス
2018
日本

■選手時代
浦和市立原山中学校を卒業後に埼玉県立浦和西高等学校に入学。全国高等学校サッカー選手権大会ではベスト8進出。その後は早稲田大学教育学部に入学。ア式蹴球部に所属し、在学中に日本代表に選出された。
1978年に日立製作所へ入社。人事部の女子採用係に配属され新人ながら求人票配りに行かされると、大学サッカーで人気選手だったこともあり女子が殺到したという[2]。同社サッカー部加入以降はプレーに精彩を欠き伸び悩む。その後、復活を果たし1985年に日本サッカーリーグタイ記録の8試合連続得点をあげベストイレブンにも選出された。また、晩年にはセンターバックを務めることもあった。しかし、天才肌のMFである一方で淡白な部分があり、日立加入初年の1978年を最後に日本代表には呼ばれず、1990年に現役を引退。

■U-20日本代表〜アトランタ五輪
1991年からU-20日本代表監督。
1994年に、アトランタオリンピック本大会出場を目指すU-23日本代表監督に就任。28年ぶりとなる本大会出場、本大会でのブラジル戦での勝利(マイアミの奇跡)で名を挙げる。

[匿名さん]

#582019/02/15 06:35
■J1リーガーの「愛車ランキング」を集計! 僅差で1位に輝いたメーカーは意外にも…

2/15(金) サッカーダイジェスト


開幕前の恒例と言えば、サッカーダイジェストが総力を結集して毎年作成している「Jリーグ名鑑」が絶賛発売中だ。今回はそこから、ユニークなデータを抽出して紹介しよう。J1リーガーたちの「愛車ランキング」である。

全回答数は264人。集計の結果、メーカー・ランキングのトップ10は以下の通りとなった。

1位 トヨタ 57人
2位 メルセデス・ベンツ 56人
3位 アウディ 30人
4位 BMW 24人
5位 ポルシェ 18人
6位 レクサス 15人
7位 ローバー 12人
8位 マツダ 11人
9位 日産 10人
10位 ジープ 5人


車種別で見るとベンツのゲレンデヴァーゲン(Gクラス)が依然としてもっとも人気が高く、日本代表クラスや高年俸のベテランたちが好んでチョイスしている。レンジorランドローバーが2番手なのも継続している傾向だ。だがその後はトヨタのハリアー、同じくトヨタのプリウスが上位に食い込んでいる。もちろん収入=年俸との兼ね合いになるのだろうが、トヨタ車を選んでいる選手の大半が20代前半から半ばで、コスパやエコ、燃費を重視しているのが分かる。

世間では若者の“クルマ離れ”が進んでいるが、その価値観はJリーグでも同様なのだろう。J1リーガーの平均年俸が2800万円前後であることを考えれば、もっと愛車にお金をかけても良さそうなものだが、嗜好が変わったとも、堅実に貯蓄する選手が増えたとも判断できる。クラブによっては、専属のファイナンシャル・プランナーが選手にアドバイスする時代だ。そんな合理的な選択が、「トヨタ1位」という結果に繋がったのかもしれない。

[匿名さん]

#592019/02/15 11:25
今年のデッツォーラはきちんと練習できてるの?
ホームページのスケジュール見たら、更新されてないし。
フェイスブックもツイッターもそれほどだし。
相変わらず、フロント駄目駄目な感じ?

[匿名さん]

#602019/02/16 09:47
>>59
人間が腐ってるからな。

金儲けの事で頭がいっぱいなんだと思うよ。

[匿名さん]

#612019/02/16 23:45
働かなくても
金はいる

[匿名さん]

#622019/02/17 09:10
■ 日時
 2019年2月15日(金) 13:00 KICK OFF

■ 会場
 チュウブYAJINスタジアム

■ 対戦
 ガイナーレ鳥取 vs デッツォーラ島根

■ 試合結果
 total:7 - 1(45分×2本)
 1本目:1 - 0
 2本目:6 - 1
 

■ 得点者 ※ガイナーレのみ
 1本目:林(44分)
 2本目:ユリ(4分、15分)林(6分、14分)那須(23分、42分)失点(25分)

[匿名さん]

#632019/02/17 09:23
木村 和司(1958年(昭和33年)7月19日 - )は、広島市南区大河出身の元サッカー選手、サッカー解説者、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF(攻撃的MF)またはFW(ウイング)。日本サッカー協会公認S級ライセンス所持。国際Aマッチ6試合連続ゴールは日本代表連続得点記録である(2016年時点)。

■ユース
1977-1981
明治大学

■クラブ
1981-1992
日産自動車
1992-1994
横浜マリノス

■代表歴
1979-1987
日本
54
(26)

■監督歴
2001
 日本 フットサル
2010-2011
横浜F・マリノス

■現役時代
広島大河FCから県立広島工業高校(通称:県工)に進学。攻撃的サッカーで名を馳せた県工の中心選手として1975年度の高校選手権でベスト4の成績を残した。
1977年、明治大学二部政治経済学部へ入学し、サッカー部に所属。同期には佐々木則夫がいる。1981年(昭和56年)に高校の先輩・金田喜稔のいる日産自動車サッカー部(後の横浜F・マリノス)へ入部した。
1979年(昭和54年)、明治大学2年で日本代表入りすると代表チームの常連となった。1983年(昭和58年)のロサンゼルス五輪予選前までは右ウイングのスペシャリストとしてプレーしたが、所属クラブと同様に攻撃的MFとなり、攻撃の核となって80年代半ばの日本代表を支えた。1987年(昭和62年)のソウル五輪予選前、石井義信監督が守備的サッカーに方針を転換した事で代表から落選した。

[匿名さん]

#642019/02/17 09:24
1986年(昭和61年)、当時のプロサッカー選手登録制度「スペシャル・ライセンス・プレーヤー」の第1号選手となる。「奥寺(康彦)さんがプロのまま日本リーグに戻ってくるなら、わしもプロにしてくれ」と木村自ら名乗り出たものだった。年俸は1200万円。国産プロ第1号としての重責や、W杯予選敗退のショック等もあり、80年代後半には成績が低迷。日本代表チームからも攻撃的MFのポジションを水沼に譲る形で遠ざかっている。後に日産の日本リーグ・JSLカップ・天皇杯の三冠達成で再び脚光は浴びたが、以後日本代表に再び招集されることはなかった。初国産プロ選手になった途端、対戦相手から執拗な守備に悩まされる事となり「こりゃあかん」とプロ契約半ば志砕かれ、所帯を持ちながらサッカーで生計を立てるのは難しいと苦悩を妻に漏らしていた。
1993年(平成5年)、Jリーグ発足に伴って横浜マリノス(現:横浜F・マリノス)と契約。「ミスター・マリノス」と呼ばれ、翌1994年(平成6年)に現役を引退した。引退会見では「もっとサッカーが上手くなりたいです」という言葉を残し、その飽くなき向上心は記者・ファンに強い印象を残した。

[匿名さん]

#652019/02/17 09:24
■人物・プレースタイル
高校や大学、日産加入当初はウインガーとしてプレーしていたが、1983年(昭和58年)に同じウイングを専門とする水沼貴史の入団をきっかけに、加茂周監督によって攻撃的MFにコンバート。以降、ゲームメーカーとして中盤に君臨し日産黄金時代を築く原動力となった。ラモス瑠偉らと共に日本サッカー冬の時代を支えた選手の一人であり、「日産の背番号10と言えば木村和司」と言わしめ、80年代半ばには日産のみならず、「日本の10番と言えば木村和司」、当時の代表は「木村のチーム」とまで言わしめた程の存在であった。1983年(昭和58年)、1984年(昭和59年)、二年連続日本年間最優秀選手賞(フットボーラー・オブ・ザ・イヤー)、さらに1989年も同賞受賞。三度の受賞は釜本邦茂7度に次ぐ杉山隆一と並ぶ史上2位。1984年アシスト王、アシスト数12はJSL記録。1985年5月18日メキシコW杯アジア1次予選グループ4B第4戦シンガポール戦から同年10月26日メキシコW杯アジア最終予選第1戦韓国戦まで、1985年の1年間だけで国際Aマッチ6試合連続ゴールを成し遂げた。これは未だに日本代表連続得点記録である(2011年時点)。

現役時代はフリーキックの名手として知られた。自由自在にボールをコントロールできるフリーキックは、いまだかつて日本人プレイヤーが見せたことのないものだった。その正確なボールコントロールと鋭い変化から「魔術師」の異名で呼ばれ、日本リーグ、国際試合で数々の名場面を作り上げた。特に1985年(昭和60年)、ワールドカップメキシコ大会最終予選のホーム韓国戦、試合には敗れワールドカップに出場できなかったものの、40メートル手前からみせたフリーキックは、80年代の日本サッカーにおける屈指の名シーンとして伝説化しており、現在でもサッカー番組でフリーキックが特集される際には、必ずといっていいほど紹介されている。高橋陽一は、日本代表の試合で「パッと頭に浮かぶのは、あの木村和司さんの直接フリーキック」と述べている。出身地の広島を拠点とする中国新聞では「フリーキック自由自在」というコラムを設けていた。

[匿名さん]

#662019/02/17 09:26
◇エピソード
▪ 木村の代名詞であるフリーキック(以下FK)だが、蹴り始めるきっかけはテレビで観たワールドカップで、ブラジル代表のペレやリベリーノがFKで直接ゴールに放り込むのを見たこと。蹴り始めたのは大学に入ってから。"FKでも直接ゴールを狙えるんだ"と思い、遊び感覚で練習に励んだ。とはいえ足の甲は蹴り過ぎで変型しているという。もともと高校時代はウイングだったため、センタリング(クロス)は、インフロント(足甲の内側)部分を多用する事もあり、それがFKに生かされた。当時の日本にはまだ、FKを直接決める事で有名な選手はいなかった。1980年代当時、芸術的なフリーキックは世界のサッカーでは目にしても、日本サッカーでは、フリーキックが話題になることは、ほとんどなかった。本格的に練習し始めたのは日産に入ってからで、チームが特注で作ってくれた鉄骨を組み合わせたものにネットをつけた簡単な壁を置いて練習した。練習相手に選んだのが新人だった松永成立。最初はヘタでどこに蹴っても入っていたが、練習してるうち段々松永が上手くなって、両方がいろいろ考え始めて上達していく相乗効果があったという。冗談で「シゲ(松永)はワシとしょっちゅう練習していたから日本代表に入れたんだ」とよく言った。

[匿名さん]

#672019/02/17 11:47
>>62ぼろ負けしましたね。

[匿名さん]

#682019/02/18 23:15
若三さんを失った損失は計り知れないな。

浜田市リーグから中国リーグまで昇格させ、中国リーグ2回の優勝を果たしています。

その過去の実績や栄光を、崩されているのが今。

悲しく、切ないね。

[匿名さん]

#692019/02/19 22:46
県リーグ1部より2部のほうがいいらしい

[匿名さん]

#702019/02/20 08:27
去年の活躍した選手数人は移籍しました。

全く新しい顔ぶれになりそうですね。

[匿名さん]

#712019/02/20 12:12
たとえ今季リーグ優勝して、地域昇格を懸ける決勝大会に進んだとしても、元デッツォーラの選手らに阻まれそうですね。

[匿名さん]

#722019/02/20 18:04
選手集まってますか?

[匿名さん]

#732019/02/21 17:39
レジェンドが老体に鞭打ってます…

だがそれがいいね!

[匿名さん]

#742019/02/22 12:57
隅田くん今年も頑張って!

[匿名さん]

#752019/02/22 22:52
◇世界の舞台に立った日本人審判員◇
JFA.jp



■丸山 義行

マルヤマ ヨシユキ

生年月日:1931年10月28日
出身地:栃木県



■髙田 静夫

タカダ シズオ

生年月日:1947年8月5日
出身地:東京都



■岡田 正義

オカダ マサヨシ

生年月日:1958年5月24日
出身地:東京都西東京市



■上川 徹

カミカワ トオル

生年月日:1963年6月8日
出身地:鹿児島県鹿児島市



■廣嶋 禎数

ヒロシマ ヨシカズ

生年月日:1962年5月22日
出身地:大阪府大阪市



■西村 雄一

ニシムラ ユウイチ

生年月日:1972年4月17日
出身地:東京都



■名木 利幸

ナギ トシユキ

生年月日:1971年11月29日
出身地:高知県



■吉澤 久惠

ヨシザワ ヒサエ

生年月日:1966年11月9日
出身地:東京都 品川区



■深野 悦子

フカノ エツコ

生年月日: 1972年2月9日
出身地:大分県


■大岩 真由美

オオイワ マユミ

生年月日:1972年4月11日
出身地:北海道室蘭市



■高橋 早織

タカハシ サオリ

生年月日:1973年7月26日
出身地:岩手県奥州市

■山岸 佐知子

ヤマギシ サチコ

生年月日:1973年10月21日
出身地:千葉県


■鈴木 亮哉

スズキ フサヤ

生年月日:1961年8月21日
出身地:東京都


■五十川 和也

イソカワ カズヤ

生年月日:1965年12月18日
出身地:千葉県



■宮谷 直樹

ミヤタニ ナオキ

生年月日: 1979年2月28日
出身地:福岡県北九州市



◇JFAの理念◇
サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し、
人々の心身の健全な発達と社会の発展に貢献する。

[匿名さん]

#762019/02/24 12:50
2019.03.17 ( 日 )
13:00 KICKOFF
会場:Honda都田サッカー場

Honda FC
VS.
松江シティFC


Honda都田サッカー場では、車椅子専用の観戦エリアを設けております。 ご利用方法につきましては、ご入場の際に運営スタッフにお問い合わせ下さい。場内での落し物につきましては、お近くの運営スタッフまたはメインゲート横の管理棟までお問い合わせ下さい。また、後日お気づきの際にはHonda FC事務局(TEL:053-439-2050)までお問い合わせ下さい

■アクセスのご案内
Honda都田サッカー場 住所 : 静岡県浜松市北区都田町7945

■交通のご案内
バスでお越しの場合
•浜松駅バスターミナル16番のりばより都田線(46 市役所 都田 フルーツパーク方面)に乗車し、都田口にて下車(およそ40分)都田口バス停より東へ徒歩12分

•浜松駅バスターミナル16番のりばより都田線(46 市役所 葵町 都田口 テクノ方面)に乗車し、本田サッカー場にて下車(およそ40分)本田サッカー場バス停より徒歩1分

•浜松駅バスターミナル13番のりばより(56 市役所萩丘住宅テクノ都田)に乗車し、相羽内科入口で下車(およそ40分)相羽内科入口バス停より西へ徒歩15分

 詳細な時刻表、路線図は、遠州鉄道株式会社ホームページをご覧下さい。

◇タクシーでお越しの場合
浜松駅よりおよそ45分

◇お車でお越しの場合
•東名浜松西インターチェンジより、およそ20分
•新東名浜松浜北インターチェンジより、およそ25分
•新東名浜松SAスマートインターチェンジよりおよそ15分

駐車場は、「KGK」「前原第一」「前原第二」「前原第三」のいずれかをご利用下さい。

※試合開催時の駐車に関しましては、都田サッカー場南側道路(遠鉄バス バス停付近)までお越しいただくと、
 警備員が空いている駐車場へご案内致します。

[匿名さん]

#772019/02/26 11:36
今の時点でギリギリの人数でのトレマって大丈夫なの?

[匿名さん]

#782019/02/28 12:32
ギリギリでも人数いるから!

[匿名さん]

#792019/03/02 23:39
ワタルもシモも福山行ったっしょ

[匿名さん]

#802019/03/03 07:22
◇川淵三郎との「独裁者対決」で渡邉恒雄が「勝ち目はない」と思ったワケ◇
3/3(日) 配信

本来、議論とはより良い結論を導くためのもののはずなのだが、国会論戦あるいは隣国あたりとの諍いについていえば、単に双方の緊張やストレスを高めるだけに終わっているケースがほとんどのようにも見える。

2月22日放送の「グッド! モーニング」(テレビ朝日系)内の人気コーナー「池上彰のニュース大辞典」で取り上げたのは、激しい論争が良い結果を生んだ、という稀有な例かもしれない。

平成史を振り返る趣旨で、この日取り上げたのは「川淵・渡邉論争」。Jリーグ発足時の有名な出来事で、以来、主役である川淵三郎Jリーグ初代チェアマンと渡邉恒雄読売新聞社長は「犬猿の仲」とされてきた。

対立点は「地域密着型」か「企業型」か、という点だった。前者を理想とする川淵氏率いるJリーグは、各チーム名から企業名を排す方針を取ったのに対して、渡邉氏は企業トップの立場から、スポンサー名を冠すのが当然だ、という立場。つまりは「ヴェルディ川崎」なのか「読売ヴェルディ」なのか、というのが大きな争点となったのだ。


デイリー新潮編集部

2019年3月3日 掲載

[匿名さん]

#812019/03/04 09:31
>>79
福山SCCサッカートップチームは、2017年2月に設立いたしました。
地域に根付き、地域に貢献し、地域の夢、子供たちの夢となるチームを目標とし活動しています。

現在は、広島県東部サッカーリーグ3部に所属していますが、将来的には、県リーグ、地域リーグ、JFL、そしてJリーグへの道を目指しています。長い道のりにはなりますが、地域の皆様と一緒に頑張っていきたいと思います。

[匿名さん]

#822019/03/04 09:38
>>81
TMも、バレイン下関やSRC広島などとやっているから、本気度が違うね。福山市は、大きな街だし、プロスポーツチームがあってもおかしくないからね。福山に住んでいた時、笠岡で試合がある時、デッツォーラの試合をよく観に行ってました。デッツォーラが優勝した時も、目の前で若三さんが胴上げされるのも見ました。その時、チームの軸として活躍していた隅田選手、下村選手がまさかの福山SCCというクラブに移籍するとは。このクラブ、今後注目ですね。クラブ設立が2017年かぁ。

[匿名さん]

#832019/03/04 12:51
このクラブは本拠地はまだ浜田?

[匿名さん]

#842019/03/05 07:47
隅田と下村だけじゃない。元デッツォーラが何人もいる。暗躍しているのは誰?

[匿名さん]

#852019/03/05 12:40
>>84
加藤君が呼び水になってるんじゃない?
山本さんが理事になってるみたいだし
県リーグは順当に上がっていけるのでは?
ただし、中国リーグに上がるのが試練かな

[匿名さん]

#862019/03/05 20:28
デッツォーラ島根は終焉なのか?

[匿名さん]

#872019/03/06 15:24
>>85
山本さんは、モンテネグロ1部のクラブに所属してたんですよね?

[匿名さん]

#882019/03/07 07:50
ちょっとこれはかなり厳しい。

[匿名さん]

#892019/03/09 01:07
松江シティFC vs 福山SCC
1本目 0-0
2本目 3-0
ーーーーーー
合計 3-0

[匿名さん]

#902019/03/09 07:07
自分達は昨年の8月26日のデッツォーラ対松江シティの試合0対11で負けました💦

[匿名さん]

#912019/03/09 11:19
>>89
福山のクラブで、今一番強いのは原田興業ですか?

[匿名さん]

#922019/03/12 13:09
土浦市に本拠地を置いていたプリマハム土浦工場の実業団チーム「プリマハムフットボールクラブ土浦」(プリマハムフットボールクラブつちうら、プリマハムFC土浦、1990年創設)当時関東リーグ所属だったプリマハムFC土浦は1996年の第20回全国地域サッカーリーグ決勝大会で準優勝し、翌年からのジャパンフットボールリーグ(旧JFL)への昇格が内定していたが、プリマハムがサッカー部への支援を打ち切り廃部が決まったことを受け、FC水戸と合併した。

[匿名さん]

#932019/03/19 08:17
隅田、瀬美井、斎藤→福山SCC

山村→三菱水島FC

河田→ブリオベッカ浦安

あと誰が残ってんだ?

[匿名さん]

#942019/03/19 08:18
31日の試合は11人揃うのか?

[匿名さん]

#952019/03/22 11:51
31日は新生デッツォーラを御披露します。

[匿名さん]

#962019/03/25 08:12
いまや真のデッツォーラと言われる福山SCCが廿日市FCを倒したってよ。

[匿名さん]

#972019/03/25 08:13
やれるのか?今週末は?

[匿名さん]

#982019/03/26 12:31
>>96
片田舎に見切りをつけて、人口が多く、今後サッカーの需要が伸びそうな地域に目を付けたということかな?

[匿名さん]

#992019/03/26 12:42
面白いね。Jリーグで例えるなら、サンフレッチェ広島から浦和レッズに選手が流れて行ったみたいな感じ。廿日市に5ー0で勝ってるから、本物だね。デッツォーラ島根は終わりか?

[匿名さん]

#1002019/03/26 15:10
デッツォーラ島根は分裂してしまったのか?

[匿名さん]

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