>>105
安藝ノ海は横綱までなったけど、横綱としての優勝はなく負け越しなど横綱としては弱小横綱の一人だろう。才能はあったが実家が裕福でハングリー精神に欠けていたと晩年に語っていた。しかし、廃業後は実業家として成功したみたいだった。少し前の同じく弱小横綱の男女ノ川は引退後に年寄株がなく、協会が男女ノ海の為に条件付き一代年寄を設けた。これが今の横綱は5年間は四股名のまま年寄で協会に居られる規定の始まりだった。しかし直ぐに廃業して様々なこと(選挙に出馬したり)をやりすべて失敗して、最後は料亭の下足番として働いて最期は保谷の老人施設でひっそり亡くなったと聞いている。ずいぶん不幸な晩年だが、本人は最後まで明るかったらしい。若くして亡くなった玉の海より波瀾万丈の人生を歩んだと言えなくもない。