多分、あんこが変わったんやろねー。残念、ひぎり焼き好きだったんやけどなー
[匿名さん]
久しぶりに食べたヨ。
大判焼き食べたヨ。
日切りじゃないよ大判焼きだヨ。
デパ地下大判焼きだヨ。
残念。味✗接客✗ 残念。
[匿名さん]
日切焼きを嫁が買ってきたので久しぶりに食べたけど、あんこパサパサでめっちゃまずくなってたー。大判焼きの方がまだマシかな。残念。
[匿名さん]
久しぶりに食べた!
デパ地下の奴。多分。
懐かしい味だった!
不味いけど。不味くて懐かしい。
[匿名さん]
大判焼き批判してる人は味じゃなくてただ批判したいだけなんやな。味はどこも似たり寄ったりや。
[匿名さん]
大判焼き美味しい!
昔から変わらないアンコ多すぎ
粉っぽくて口当たり悪い。
本当に美味しい。
[匿名さん]
夕方のニュースで高島屋の大判焼き取り上げられてたけど、めちゃくちゃ売れてるやん。美味しいもんなー。
[匿名さん]
日切焼きのふちのパリパリを捨てるのはわめてくれー
そこだけ食べてもいいくらい美味しいのに
[匿名さん]
大街道のひぎりやきは潰れたのか?
いつも閉まってるけど
[匿名さん]
日切焼き買ったり大判焼き買ったりしてたけど、大判焼きの方が生地もあんこも多いし美味しいから大判焼きばっか買うようになったな〜。
[匿名さん]
歴史は沢井本舗がお日切りさんに因んで日切り焼きと命名した。
見習いがわしにも炉連を分けてくれと修行を重ねて後に暖簾分けをしてくれた。
その時、大将がこれなら大丈夫と太鼓判を押してくれた。
それが太鼓まんの由来とされた。もう一説は大きな判を押してくれたので大判焼きとなったそうな。
それでも大将が店を持ちたいという小僧には小さい判も分けた。それが小判焼きとなった。
しかし名前が劣るので都まんとなった。こちらは粒あんではなくて白いこしあんが使われた。
現在に至る。
[匿名さん]
昭和31年~33年、獅子文六の小説『大番』が週刊朝日に掲載され、ユーモラスな出世物語が話題を集めた。大番という名前をつけたお菓子も登場。松山丸三でもタイコマン焼き機を販売していたので、そのサイズを大きくして「大番焼き機」に変えようという案があった。だが、まてよ、小説と同じ名前は使わない方がいいだろうと、字を変えて『大判焼』する。あんこがたくさん入った大型サイズの『大判焼』は景気がよいと喜ばれ大ヒット。材料は独自に『大判焼の素』を開発し、大判焼の器具一式と大判焼の素をあわせたセットは、素人でもすぐ店が開けるということからみるみる間に、四国、中国地方から全国へと広がった。今や全国区の「大判焼」の発祥が愛媛の松山にあったとは、今となれば「意外な事実」かもしれない。
[匿名さん]