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🤴 皇族・貴族


No.7430231
合計:
#130
>>127訂正
扶余豊璋は豊臣秀吉ではなくて中臣鎌足
扶余豊璋は中臣鎌足こと扶余豊璋を尊敬して同胞であったために羽柴秀吉から豊臣秀吉に及び羽柴氏から豊臣氏に改名した。

>>127>>128>>129に関連
新羅シンラ・シラギ・シルラ・シルク

設立は紀元前57年~935年・国家は古代の朝鮮半島南東部に位置
当初は、「斯蘆(シロ・サロ・シラ)」と称していたが、503年に「新羅」を新羅王第22代の王の智証麻立干(チショウマリツカン)が正式な国号にした
7世紀中頃には、朝鮮半島中部以南をほぼ統一し、「統一新羅」の時代もあった
内乱や飢饉で国力を弱体化させ、高麗に降伏して滅亡した

韓国では、統一新羅時代を南北国時代と称している。
これは、1970年代以降、
渤海(ボッカイ)を朝鮮の歴史観として朝鮮民族の歴史に組み込む意図があるため
首都は、金城(クムソン・現在の韓国慶尚北道慶州市)
新羅地域の前身は、半島南東部に存在した辰韓(秦韓)十二国の内の一国である斯蘆国(シロコク)
金祐徴(キンユウチョウ)が、839年に新羅王第45代王となり、神武王(シンブオウ)となる
しかし、病で死去し一年の在位

「新撰姓氏録(シンセンセイジロク)」では、「新羅初代王 赫居世(カクキョセイ・後世での付加で朴氏)は神武天皇の兄・稲氷命(イナイノミコト・稲飯命)の後裔である」と記されており、「古事記」「日本書紀」等には、「新羅の王子・天日槍(アマノヒボコ)が但馬国(タジマノクニ)にやってきて豊岡に住んだ」と伝えている
天日槍が建立した若狭にある新羅神社には、天日槍が父の国を探し日本に帰ってきたことが記されている
なお、第4代王の脱解尼師今(ダッカイニシキン・昔氏セキウジ)の出身地は、多婆那国(タバナコク)とされ、現在の丹波・但馬とする説が有力
但し、何れも日本人なのか否かは未詳


[ 匿名さん ]
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