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🤴 皇族・貴族


No.11794294
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>>789
共産主義・社会主義
日本共産党の天皇制に対する立場は時代により変遷がある。
1922年に結成された非合法組織である第一次共産党は明確な綱領が無く、コミンテルンから提示された22年テーゼは「君主制廃止」が議論となり審議未了となった。1926年に再建された第二次共産党では、コミンテルンから提示された27年テーゼで「君主制廃止」が規定された。1932年の32年テーゼでは「絶対主義的天皇制」の打倒が規定された(二段階革命論)。なお「天皇制」との用語は32年テーゼで初めて登場した。
第二次世界大戦敗戦後、1946年に日本人民共和国憲法草案を発表、日本は「人民共和国」とし、皇族・華族廃止を記載した。
上述の通り、日本国憲法の象徴天皇制に対しては、日本共産党は「一個人・特定一家が国民統合の象徴となる現制度は民主主義及び人間の平等と両立し得ない」とする立場だが、2004年の綱領では「その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべき」として、当面目指すとする「民主主義革命」(民主連合政府)では天皇制を事実上容認した。
これに対して日本の新左翼の多数は「天皇制打倒」を掲げている。
なお戦前の無産政党や戦後の日本社会党などは、左派の一部が社会主義を掲げたが、天皇制の扱いは明確ではない。労農派は「天皇制はブルジョワ君主制」と規定し、それを打倒する社会主義革命が必要と考え(一段階革命論)、後の社会党左派に影響を与えた。社会民主党は日本国憲法に対して護憲を主張している。


[ 匿名さん ]
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