石破茂、いまも続ける「漁船衝突事故」遺族とバーベキュー
2020年2月21日 6時0分 Smart FLASH
2019年夏、吉清美恵子さん(前列右端)と親族とのバーベキューにて(写真提供・美恵子さん)
「これだけマスコミが来たのは、“あの事故” 以来だね」
新型コロナウイルスの感染拡大で、中国・武漢市から帰国した日本人を受け入れた「勝浦ホテル三日月」がある、千葉県勝浦市。現地で話を聞くと、市民から、そんな言葉が聞こえてきた。
“あの事故” とは、2008年2月19日に起きた海上自衛隊のイージス艦「あたご」と、漁船「清徳丸」の衝突・沈没事故のことだ。清徳丸船長の吉清治夫さん(当時58)と長男の哲大さん(同・23)が、帰らぬ人となってしまった。
「今回、ホテル三日月がニュースになったのを見て、私も思い出しちゃったの。あの事故のときも、2月末に予定していた『かつうらビッグひな祭り』が中止になりそうだったなって」
そう語るのは、治夫さんの自宅だった家に現在ひとりで暮らす、治夫さんの妹・吉清美恵子さん(64)。事故当日、現場の野島崎沖は穏やかだった。
「私、穏やかな海を見るのが好きじゃないんです。事故のときも暖かくて、風がなくて、穏やかな海だった。だから、事故の日を思い出しちゃって、涙が出るの」(美恵子さん、以下同)
美恵子さんは、「いまだに亡くなった2人が夢に出る」と言う。
「川津港の港口を見渡せる高台に、2人のお墓があります。私は港口を、まともに見られない。でもね、いつも2人は一緒に、いい顔で夢に出てくるの。それが救いなんです」
それでも美恵子さんは、「誰かを恨むこともない」という。
「今年で13回忌。毎年2月の命日には、海上自衛隊の方が来てくれます。それから、石破茂さんが、毎夏のお盆に、ひとりで線香をあげに来てくれるので、みんなでバーベキューをするんですよ。
石破さんは、『なにか困ったことある?』と、いつもいろいろと愚痴を聞いてくれる。私と同世代ということもあって、キャンディーズの話で盛り上がったりね(笑)。おかげで、ここまでやってこられました。人を恨まないで、なんとか……」