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2017/12/12 13:59
爆サイ.com 関西版

神道・仏教





NO.5771424

日蓮系始め仏教系へ質問します③
報告 閲覧数 712 レス数 1000

#8012017/12/02 07:53
法華経は釈尊が悟られたのである。 法華経そのものを誹謗するべからず…。 南無日蓮聖人 南無妙法蓮華経

[ご存知より]

#8022017/12/02 09:06
>>800 それほど あんたわ真実である法華経と縁が無かったんだよ! 本未有善とはあんたのことさ!!

[ご存知より]

#8032017/12/02 13:15
>>802
なくていいわ!
日蓮正宗馬鹿ばっかだし

[匿名さん]

#8042017/12/02 13:15
≫801≫802
高橋君、おまえは本当に笑わせてくれる
今度は「ご存知より」か(笑)

[匿名さん]

#8052017/12/02 13:30
高橋は何重人格だ?

[匿名さん]

#8062017/12/02 13:34
>>802
あんたわ?
文章表現は「あんたは」だろうが
高橋=有宗教か!
有宗教程度の知能をした人間が法華経を語るとは百年早い!

[匿名さん]

#8072017/12/02 16:25
慰安婦問題の疑問点 それってウソでしょ


そこのブログの主催者が、韓国側援護の慰安婦肯定論を相当に主張してるよ。
ググってみ。

[匿名さん]

#8082017/12/02 16:43
>>800 法華経最高 貴方のご存知より

[ご存知より]

#8092017/12/02 16:50
高橋が壊れた(笑)

[匿名さん]

#8102017/12/02 17:09
>>809
高橋が変なのは今始まったことではありません

アホさに更なる磨きがかかっています

[匿名さん]

#8112017/12/02 17:12
>>808
貴方のご存知よりさん、高橋のアホを真似するなら法華経の経を經にしましょう

[匿名さん]

#8122017/12/02 17:26
これを 生 住 異 滅 と言う。
生まれ出てきて しばらくは その形というものが続く。泡でもフィと出来たら 生。そしてその風船玉がフィとこうやってある。
風船玉がフワフワと飛んで形を変えながら屋根を越えるかなぁと思ったらパチッ。物というのは必ずこういうふうに変化をする、これを無常の姿という訳です。

でもどうですか?(黒板をコンコンと叩いて)
「これも諸行無常です」
とこう言われたらどうです?
どう思われます?
「この人も諸行無常です」
ナムアミダーはよういけ(笑)と言われるかもしれないが、黒板をつかまえて

「これ、諸行ですよ」「その通り」と見えますか?見えませんね。
「固い(黒板が)、自分が死んだって、まだおそらく居すわっているに違いない」

まあ まず常識的には鉄であるとか、木であるとかといったような物は 私どもの この目で見た限りで
生住異滅する 無常なるもの。
一定して変化をしないというふうなものか、無常か、という事も識別は本当は出来ないという事は何故かという事。

ここ(住異)しか見えんから。

朝 何食べたか忘れる。昨日の事 いや3年前、 生まれる頃の事、子供ではないがおよびもつかない。
あと何年生きる それも分からない。自分の事も分からない、という事は
時間的に過去も現在も未来も全部 スパーンと見通せる人が 全ての事象 現象というものは 一瞬もそのままで変化をせずに留まっている存在というものがないとおっしゃる。
「千年昔はどうだったんですか?」
「うん、そりゃあこうだったよ」と言える人が言うて初めて本物でしょう。

げなよと言うのが私達の事、でも、げなじゃなくて その時間を過去 現在 未来 これが三世です。

三世というのは時間の流れ。三界というのは空間的な流れですから、広がりですから これだけは知識として、ひとつ覚えておいて下さい。

[匿名さん]

#8132017/12/02 17:52
>>807
慰安婦が〜

[匿名さん]

#8142017/12/02 17:59
三世をちゃんと見抜けるお方が無常だとおっしゃる。
では どういうふうに見られたかというと 無我とおっしゃる。
諸法は無我 人間の身体は無常ですよと言われる。

どういうふうに無常かと言うと「あと3年もすれば亡くなっているだろう」という感じですよ。
シワが増えるといっても 朝から晩まで見ていても分かりませんが何年かぶりに出会えば
「ありゃ、あの若かった人がもう真っ白ね」
とこうなる。無常。

そういうふうに私どもは無常とはいうが どんなスピードで無常が動いているかという事は本当は見えていない。

今度は空間の時間、三界。
欲界 色界 無色界というふうに三つに世の中というものを分けている。

でもどう言うんでしょうか、目に見える世界 それがもう全く見えない世界
とらわれのない世界、

そういうふうに変わっていく物質とか 金とかいうものは私達の欲望の対象にすぐなる。
でもそれが目に見えないものに変わっていくと
段々 段々そうした欲望というものが薄れていくんですね。
もう思いもつかないような、しかし厳然としては存在はしているのだけれども、もはや欲しいとも思わない。

例えば法、仏法という事になった時に 私達は
「お金と信仰とどっちを取るか?」と言われた時に「そりゃあ仏法に決まっとりますがな、さっきの貧者の一燈のおばあちゃんのように法に決まっとりますがな」
と言えるか、中々言えない。

そういう欲望対象の渦巻く世界欲、そして段々にそれが薄れていって もはや物質的な物一切とらわれる事のない、しかしやっぱりある世界。

空気が有るのか無いのか見えない、無い 有る 学校で習ったからこれは分かる。「あるよ」こういう。

だけどもこれと一緒で魂といったもの 霊といったものにしても私達から見たら、見えるか見えないか。見えないから無いと思っていたが どうもここでは、見えないからといって無いと簡単には言えないという事に段々と気付かせていただく。

次から段々と核心に入ります!

[匿名さん]

#8152017/12/02 18:03
>>814
ありがとうございます。楽しみにしています。

[匿名さん]

#8162017/12/02 19:27
>>800 しかしねぇ〜 私ら末法の凡夫 そんな諸行無常の話ししても わからんやん!! そんなもん悟れるわけないし、悟ったやつなんて いない!! 悟った!! 悟った!!って言う奴は信用できないぞ 釈尊も法華経や大般涅槃經でも語っておられるやんか〜 悟ってないのに悟ったと騙す奴!騙されるな! 騙されるな! 末法には諸行無常や諸法無我なんかは悟れない! あいつは釈尊の仏法を撹乱させているんだぜ! 騙されるな! 騙されるな!

[ご存知より]

#8172017/12/02 19:59
そういうふうにガチッと形あるものかどうか、どんどん薄れていって我々の思う欲望の対象にもなり得ないような、気付きもしないような、しかし、そういうものも全部見て取れる。

ひとつの姿は住職(このようには呼びませんが分かりやすくする為に)が
私共をフッと身体の中をいただいてますね。
レントゲンを見ると同じ様に、時にはそれ以上に私の身体の中も全部 フッとこうやって見抜いて下さる。
これはスケスケになっている。私達の身体はこんな服を着てても フッ(眼力(神通力))とやれば
ひと色になる。

同じだから これも 向こうだって見えるでしょ。
それが何かと言ったら これもバラバラになっている。
私達の身体も何かが、その目に見えない物が、しかし段々段々 固まってきて、こういう木(黒板)になる。

例えば 氷と水と水蒸気 こんな感じで考える。
氷だったものが暖かくなって水になった、もっと暑くなったら水蒸気になる、見えなくなる。
でも見えないんだけれども温度が冷えていったら、あら水になった、あら氷 固いよというふうに。
だから見えないんだけれども、見えなかったものなんだけれども、環境条件、縁によってフッと形ある物に こうやって変わっていく。
そういう営みというものが あるんですね。

でも私達には見える所は見えるけれども、そっから先は見えないから分からない。でも そういう世界も手に取るように、例えば身体の中もフッ(眼力)とばらしたら、全部その目に見えないものが根源にある!
という所まで見て取れる目、鉄の向こうも地球の裏側も 全部見抜いて
スポーンと見て取れる。

それは身体もフッとやったらバラバラ、氷もバラバラ、水蒸気になるようにね。
私達の身体もフッとそういう目で見られれば、全部バラバラになって元の姿になる。

黒板もフッとやってバラバラになって元の姿になった時には、人間の元の姿も 黒板の元の姿も一緒なんだ。

そこまで見えたら どう見えたかといったら キラキラ、キラキラ、キラキラ輝いてる。

だから仏様の あの世界というものは昔から金色に輝くという。

[匿名さん]

#8182017/12/02 20:18
>>816
高橋は、恥も外聞もないのだな(笑)
お前が釈尊や法華経を語るな!

[匿名さん]

#8192017/12/02 20:27
そういう世界とそういう世界をのぞいて見たら
そういうふうにしか言えない。
フッ(眼力)と全部を見通してしまえる眼で見られたならば、
〜という人間だから特別です、鉄だから特別です。
Aさんだから少し太めですとか、Bさんだから少し細めですとか、Cさんだから少し骨ばっているとか、というふうなものは何もない。

全く物質的に見れば根源というものは平等一色のものによって出来ている。
そのキラキラ、キラキラ輝くものがヒューと ある条件によってフッと固まりになって段々、段々、それがこうして見たら
あー人間だった、あー猫ちゃんよ、木になったというふうに、そういう何かが、この世の中の根源にはあると いうふうなものが見え出した。

そうして見た時には人間だから、私だから あの人とは違う、人間だから牛を食べてもいい。
植物が人間の為にしか存在しないというふうな理論、理屈というものは成り立たない。

全部平等。

しかも、それが見て取れる無我というのは そういう事ですね。

だから そうしたものが時間も 過去 現在 未来が全部見て取れる。

空間的にも宇宙の果てであろうが、地球の底であろうが、人間の心の中であろうが何もかも全部
手の平を取るように見て取れる。

人間の身体をそういう目で見たら 人間の細胞でも何十億というか たくさんある細胞が生まれ変わり
死に変わりしているという事。

[匿名さん]

#8202017/12/02 20:36
>>819
「全部平等」というのは正に的を得た表現です。私もそう思っています。
文中のひとつひとつが意味のある深い考えからの答えで有るかのように思えます。

[匿名さん]

#8212017/12/02 20:42
ありがとうございました
メチャクチャ楽しいです!

[匿名さん]

#8222017/12/02 20:52
諸行無常
諸法無我までの説法でした。
明日からは一切行苦
涅槃寂静に入ります。

改めて聞くと仏教以外の教えをリスペクトしていたり(最初頃)
自分が悟っているのに
分からないとし 僧侶目線で説法するのは凄いです。
私はこの人より頭が低い人を見た事が有りません。

この説法は僧侶に向けたものです。

[匿名さん]

#8232017/12/02 21:48
今のご時世、仏教を学べる場がないので
とても有り難いです

[匿名さん]

#8242017/12/03 05:39
最近科学がいうようになった。最近じゃない、もうかなり昔からですか、そういう細胞がある、それは分子で出来ている、原子で出来ている。

そんな風なところから見て取れるようになった。
なら ひとつひとつ この肉眼で見えないような その中で 物凄いスピードで色んなものが動いて命の営みと、なり続けている。
それが どんどん どんどん 生まれ変わり死に変わり 肝臓でも3ヶ月ですか、半年ですか この大きな臓器の細胞が全部死んで、生まれ変わって 新しいものに作り変わっているんだと言うわけです。

そういうものを顕微鏡もいらん 何もいらん ただ
フッ(眼力)とこうやって見られた その目で根源を見れば見るほど もの凄いスピードで生まれ変わり 死に変わり

一定、安定をしている。

生 住 異 滅 をしない、何ものもないというふうに、 時間も空間もスパーンと見抜いてしまわれた、その目で見た時に。

でも私達はこれが見えない、これも分からない、
だから どうするかと言えば 絶対死なない 死にたくないぞ、私は少し違うよ、というふうに形あるものに すぐ しがみつく。
肉体にまず しがみつく、命にしがみつく、財産にしがみつく、

執着を持つ事によって六道輪廻からの わっぱから抜け出る事が出来ない、という事。

その執着を断たん限り一切が苦だ。一切の苦という中には こういうものがあるから輪廻を繰り返す。
という事は生まれ出てくる、それで また死んで行く。生死輪廻を繰り返すっいう だから生老病死と言う。

死ぬ事の苦は分かる 老の苦しみも分かる、 病の苦も分かるが
生、生まれるという苦は何でか?
これは私達の質問、疑問ですね。

でも仏法という とらえ方で見れば 生まれて出てくる事こそ 諸悪、苦の根源であるという事。
輪廻するという事を見て取られる。
過去はこうだった、その前はこうだった、だから今こうなっている
だから来世は何に生まれるという事が見て取れる

その眼(まなこ)で、ということです。

かなりくどい話ですけど、こうした事が見えない限りは苦だ。だからその無がついてる。常楽我浄という。

[匿名さん]

#8252017/12/03 06:16
私達はいつも変わらないものが幸せといい
いったん手に入った物が出て行ったり、楽しいのが当たり前だと、どうして こんなに次々と色んな問題があるんだろうかと思うが、これも一つのとらわれなんです。

あるがまま、楽と思うも これも錯覚、そして これだけは別ものよ と言ってしまうような その我という 捉え方 これも苦の元。頬倒そして浄という、きれいなもの、美しくあるもの、人間なるものは
というふうな

これも錯覚、頬倒(てんとう、変換ちがうかもで般若心経のてんとうです)と常楽我浄の四頬倒と
この前 ちょっとふれておきましたけれども、

こういう錯覚を私どもは見えんがゆえに、時間も空間も この場しか見えんがゆえに、そういう捉え方、考え方が出来ないから苦しみの真っ只中なのです。

ただ これが悟れるような境地になったら一切皆苦ではなくて涅槃寂静という。

涅槃というのは、ニルバーナ とは吹き消す事、又は吹き消されている状態を意味する。
煩悩の火を吹き消す事が涅槃、涅槃は寂静にして
無苦安穏の理想郷であるというのが涅槃寂静であります。


「住職痛いんです、苦しいんです、どうしてでしょうか?助けて下さい」

という事をよく耳にします。
それは何かと言うと過去に蒔いた種がある、という事を私達は知らずのうちにおそわった。
だから今は この苦は この現象は時間を見て、過去を見て この蒔いた種があるから こうなっている。
こういう原因があって蒔いた種があって、それがある条件 縁にふれる事によって 今現在こういう結果が出てきていて こうなった、がゆえに明日に向けては、こういう力が働いて残っていく。

人を泣かしたという一つの先祖の蒔いた種が、自分がある人と、お嫁さんになって縁を結んでいったとする。泣かしていたという種があるがゆえに、
そのいい縁にふれたはずなのに出てきた結果は

「こんなはずではなかったのに…」

それで留まらない、そのものが今度は 子供達の身の上に色んな形で 追い打ちをかけてゆくような事だってあるかもしれない。
こういう事の流れは縁によっておこる。

[匿名さん]

#8262017/12/03 07:13
先祖の蒔いた種が子孫が刈り取らないといけないのですか?

[匿名さん]

#8272017/12/03 07:27
蒔いた種はもう仕方がない。全部過去の種、広がる。
でもそれは過去の種、全部。
私達が今出来る事は縁をいかに作るか!という事で明日の結果、この次の果報というものを自分が決める事が出来る。

だけれども因縁果報 この原理だけが法である
真理であるとは言われても、地球なんかは壊れはしないでしょう。
そういう東から太陽があがって西に沈むという事は真理でしょうか。

どうもそうではない。
地球も無常ならいつかボンッ。
「東どっちですか?西どっち?」と聞かれたら訳が分からない。
そうしたら東から昇って西に沈む事は、これは変わらない真理だろうというのは、こっちの筋。

何億年も、その前のそうした時代から
「地球が出来てくるまでには、こんなふうにして出来ているよ」とお釈迦様は誰にも聞かれなくてもご承知。だから
「後、これぐらいしたら人間だんだんとこんなになって、ボンゴボンゴやって地球もパーになる時が来るだろう」とおっしゃる。

でも仏様のその眼で見た時には地球が張り裂けて無くなっても苦ではない。
全部もともとの空(くう)なる一色のキラキラキラキラ輝く そういうものに またフーともどっていくだけの事で、こうして見ていると固まってもキラキラ、ほどけてもキラキラ、生きててもキラキラ、死んでもキラキラ、なーんの苦もなし。

あってよし、なくてもよし、なんの事はない そういう境地と言うのでしょうか。

この縁起という姿が どうだったから こうなった、こうなってるから こうすればいいんだ。と、これが分かったら苦がないですね。

「どうしましょうか住職。右でしょうか、左でしょうか」と尋ねなければならない。
自分の過去の因縁が見えないから どっちの縁に結んだらいい果報が出るかという事が 自分の事でありながら分からない。

必要に応じ自分の過去を見て 今現在どうするべきかを見て こっちの道を選んだら明日はこうなる。
10年先はこうなる、だから こんなふうに幸せになれる という事を自分自身が皆 見て取れるようになりさえすれば 苦というものが無くなる。

涅槃寂静 地球が裂けても涅槃寂静は変わらない。死んでも変わらない、生まれも変わらない、
そういうところが仏法の基にありそうなのですが……

[匿名さん]

#8282017/12/03 07:36
>>826

先祖の影響は子孫に出ます もちろん良い影響も出ます。

命というのは1人で生きられないので。

そういう引き寄せの縁起というのがあるようです。

[匿名さん]

#8292017/12/03 09:28
世の法は、真理は一つ。

仏法的なものの見方というものは、縁起感、縁起をするということで正しく物を見て取るということ。
しかし縁起はするが無常であり 無我であるという物の見方が出来なかったら、それは仏法的な見方ではありません。

(世間話)

それだけは止めた方がいいよ、という事を止悪という。修善というのは善を修す。

だからホラホラ白楽天ですか?道林禅師の元へ尋ねていって 唐の国ですね役人か県知事のような役ですかね 赴任して有名な坊さんがいる。

どんな力量な人間かを さあ試してやろうと行ったら、その通り 頭の上の木の枝の上の所に座禅を組んで座っている。

何もそんな上でせんでもよかろうと思う彼は

「仏教とは何ぞや」

と問いかけた。
彼いわく

「悪いことはしなさんな。いい事をする事。そして自分の心というものが、けがれのなきように、清きものにあるように保つ事。これで仏教おしまい」

とこうやった。

出来る事を一生懸命努めなさい。そうしたら悪い種もあるが 良い種が多くなって少しずつ差がついたら幸せになっていく。


白楽天 (木の上を見ながら)そんなことなら三つ子でも知っているよ。そんなものか仏教というものは。その為に難しい顔をして 朝から晩までムーとして座っているのか?(アホか)

道林禅師 (上から見おろして)そんなものは三つ子は知っていても百才になっても、ようしきらんだろう
三才の童子これを知ると言えども 百才の爺これ行なう事難し。

白楽天 何もそんな上でせんでもよかろう。

道林禅師 わしは落ちても木の上から下まで落ちたら終わりじゃが お前見てみろ。
お前は上から一言フーとされると地から転げ落ちて地獄の真っ只中までも落ちて行かねばならぬ 我が足元が見えないか?

と言われて彼も目をさまして まともにやっていく。
仏教というのは こう言うものなんですよ。
全ての現象、種というものは自分と取れるようになるまでは修行しないといけない。

[匿名さん]

#8302017/12/03 12:26
末法に於いては釈尊の法華経を信じない者はあまりにも多い…。 家族でありながら、それぞれの苦しみに気が付かず、唯 同じ屋根の下に暮らすだけで、家族の苦しみの本因である根本の無明を知らない…。 なぜ人として生まれて来たのかを知ろうともしない…。 哀れであり、悲しいことである…。 苦の原因を知るには末法の凡夫では掴めない… 唯 南無妙法蓮華経と唱えるしかないのである…。

[ご存知より]

#8312017/12/03 15:41
輪廻すると言いました。
それは輪廻する魂みたいなものがあるという事。

これは永遠不滅、不変の命であると いうふうな捉え方をする教えもある訳です。
インドの中にも こういう教えがある、今も。
そういう所はこれは変わらん不滅のものだと。

でも、お釈迦様はそうは言われてない。
これもあるのです。
「魂があるのかないのか?」
そういう論議は お釈迦様はお答えになっていないと いうふうな事をよく お聞きになっていると思いますが、それは無いという事を積極的に おっしゃっている訳でもない。

縁起を見抜く眼で こういう見方をした時に
Aさんは元気そうでしょう?

「Aさんは生きているのか?死んでいるのか?」と言いますと
「生きてますよ」という。
「どれくらい長いかな?」と言うと
「さあ、こんなに長い」と言ったら、その答えはブー(不正解)なのです。
「(手をパチンと叩いて)これぐらいでしょうか」
と言ったら「うん、大分、悟っとる」と、こういう訳です。

それぐらい形あるものの
生住異滅というもののスピードの凄さが見て取れるかどうかと言う事を おしはかって おられるんですが……

でもピュッと死んだその魂というものが これも変化している。
だから供養を受ける事によって これも変わる。

元々の教えはどうかと言ったら(長いのでまとめます)
自業自得が強調されています(原始仏教)

沈んだ石(魂)は本人が蒔いた種で沈んでいるので沈んだ石は浮かばない。

悲しいかな肉体を失う事によって魂だけになる
だから水飲みたいと思っても歩こうたって足がありません、飲もうと思ったら口がないと思いなさい。
それに似た姿、そこに子孫の誰かが
「はい、お水どうぞ」

浮かぶはずのない石が
浮かぶ方に浮かぶ方に
いくのかもしれません。
(大乗仏教)

仏様は南無阿弥陀仏でも南無法蓮華経でも
アーメンでも たからがまは(神道)でも
何でも良いと言います。

要は拝む貴方の心しだいです。

十大弟子様の説法を書きました。
三宝印の法話でしたが内容は般若心経そのものといっても良いと思います。

[匿名さん]

#8322017/12/03 17:38
>>828
先祖が蒔いた種は先祖自身に果が出る訳ではないのですね?

[匿名さん]

#8332017/12/03 17:45
>>831 仏法の撹乱者!! 南無阿弥陀仏でも 南無妙法蓮華経でも 何でもいいって…? あんたは仏教というものを なー( -_・)?にも解っていないね!? 大乗経典に勝劣浅深がないのなら 何で区別があるんだね? 昔の偉い十大弟子さん達は、大乗教に区別が無いのに、わざわざ勝劣や浅深を設けて、正法・像法・末法時代の時代分別をも作り、一切衆生を惑わし、釈尊の仏法の真意を隠して、九界の衆生を苦しめる為に、大乗経典を作成したのかね? あんたは何か勘違いをしておるよ! 大乗教が釈尊の真意に沿わない教えになってしまえば、小乗教は無意味、一切衆生を救えず、大・小乗教の釈尊一代聖教は泡沫と同じく、仏教そのものの存在意義がなくなるんじゃないのか? 大・小乗教に貫かれた諸法無我・諸行無常・涅槃寂静にある因果応報の教えはどうなるんだね? 因果応報があってのこれ等の教えじゃないのかな? 因果応報は大乗教であろうとも、小乗教であろうとも一貫した釈尊の教えじゃないか! それを大乗教に分別・浅深・勝劣が無く、どれも平等意趣と説くのは、あまりにも中道の精神から遠ざかる真意ではないのかな? よくもまぁ〜そんなことも解らないで、佛の仏教だ!! 僧侶に説く教えだ!!などと、言えたものだ!! 平等意趣に偏り過ぎだよ 妙法を知らない末法の凡夫は直ぐにこうなるのだ…。 哀れなる謗法者!! 釈尊の仏法の深淵を知らぬはお主だよ 南無妙法蓮華経 合掌 ご存知より

[ご存知より]

#8342017/12/03 17:54
最近の知ったかぶりの偽善者は、大般涅槃經の 「自灯明、法灯明」の教えをどの様に理解しているのだろう…? 「自灯明」とはどういう意味合いがあるのかな? また 「法灯明」とは? 知ったかぶりの偽善者さん!? 偽物教学をぶちまけてみてはどうかな…? 言っちゃえ! 言っちゃえ!

[ご存知より 2]

#8352017/12/03 17:55
>>832

いや 深く考える必要はなくて 貴方の性格というか性根は母親と含めて子供にパーセンテージは忘れたましたが受け継がれます。

そこら辺の法の領域は我々は解る必要はありません。

というか我々が宇宙の先はどうなっていますか?

と聞いても 無記 と言われるように必要のない事なのです。

[匿名さん]

#8362017/12/03 18:01
>>832

本人には100% 来ますよ

先祖の影響は七代先までが一般的で、もちろん一番 影響があるのは両親ですね

この辺は悟るぐらいの人でないと理解は出来ないし無意味だと思います。

[匿名さん]

#8372017/12/03 18:02
>>829 「仏教とはなんぞや!」 はい 「妙法なり!」 「妙法とはなんぞや!」 はい 「久遠実成釈尊なり」 では 「久遠実成釈尊とはなんぞや!」 お答え致しましょう…。 「宇宙が生まれる以前に真理を修行して佛と成られた方。此を仏教といい、この今時から初まった教え」ということになりまする…。 久遠実成釈尊に南無妙法蓮華経 !

[ご存知より3]

#8382017/12/03 18:08
↑高橋うぜぇ

[匿名さん]

#8392017/12/03 18:27
>>837
このバカまだ出没しているのか!
高橋おまえは鬱陶し!
失せろアホ!

[匿名さん]

#8402017/12/03 19:08
なんだか 高橋さん避難されてるな 外野やかましいね

[ご存知より]

#8412017/12/03 19:09
>>836
何故先祖の行いが子孫に出てしまうのか
簡単に教えて頂けないでしょうか
納得いきません
人の蒔いた種を刈り取りたくはありませぬ

[匿名さん]

#8422017/12/03 19:13
>>836
先祖が今で言う闇金融でした。
当時は貧しい人々を大変苦しめたそうです

今、私が苦しいのは先祖の影響もあるのでしょうか?

[匿名さん]

#8432017/12/03 19:30
先祖の悪業が子孫に出ないとは言いません…。しかし、自分で蒔いた種は自分で刈り取るのが、因果応報じゃないのかな? 自分の行為は自分に還る これ即ち因果応報なり…。 先祖の因果応報はびびたるもの… 過去の因は現在の果 現在の因は未来の果 勘違いするな!!

[ご存知より]

#8442017/12/03 19:32
私は十大弟子でも仏陀でも無いので正しい回答は出来ません。

長年の説法を聞いた事を話すと

子供が親を選んで生まれる。

ですから先祖の事も納得して生まれ出てくる訳で、自ら自分に課した業と言えるかと思います。

それと人間界は地獄 餓鬼 畜生 修羅 人間 天 声聞 縁覚 仏 の真ん中です。

天上から上はセックスなしでフッと生まれます。

それと苦と言いますが
金持ちの家に生まれて楽に過ごすと来世は地獄や餓鬼界です。

私が思うに その場所に生まれるのに意味があり
精一杯 努力するしかないと思います。

[匿名さん]

#8452017/12/03 19:33
>>840
何が外野だよ!
自分で高橋さんか(笑)アホ

[匿名さん]

#8462017/12/03 20:02
あ 何となく思い出しました。

生命体として見た場合は先祖は幹で両親が枝で
子孫が葉っぱ。

それで幹が腐ると
分かりますね?

ですから先祖供養の大切さは耳にタコが出来るぐらい聞かされています。

それと子孫は、その先祖の代表だと、先祖がいなければ生まれないし両親も、しかりですね

仏教は簡単で数字に例えても良いんです
徳がマイナスかプラスか

先祖がマイナス50だと子孫がマイナス50を返せば良いだけの話で これは当たり前の話です。

そして返した子孫は先祖に大変喜ばれます。

これは子孫にとって物凄く良い事だと、うかがっております。

また子孫のした事は また次の子孫に影響がありますから、お互い様ですね。

[匿名さん]

#8472017/12/03 20:03
社会常識やルールが守れない輩が仏法を語っても法を下げるだけ
多重HNでID同じでバレバレのなりすましw
携帯番号堂々と書き込んでレスBANw
匿名が集まる掲示板で、匿名を卑怯と罵る馬鹿っぷりw
たくさんの日蓮正宗系スレで、スレ違レス乱発で高橋さん通報されてた
運営からレス禁喰らったのかようわからんけど、それから高橋スレ立てるようになった
ネットルールさえ知らない老害高橋さんの黒歴史、久々にココに記すw
 
老害高橋の黒歴史あれば教えてください!!どんどん追加しますw

[匿名さん]

#8482017/12/03 20:05
>>843
おまえの粗末な話などどうでもよい
失せろ

[匿名さん]

#8492017/12/03 20:56
南無妙法華経という謎のプロパガンダに洗脳されてる哀れな高橋ワロタwwwwwwwwwwwwwwwww

[匿名さん]

#8502017/12/03 21:15
>>846
そうでしたか・・
諦めるしかなさそうですね。
先祖を選んだという種を自分で
蒔いたということなんですね。
これからは自らの行いで
先祖の供養をしていきたいと思います
有り難うございましたm(__)m

[匿名さん]

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