いかにお互いに信頼していなかったか分かるエピソード
[匿名さん]
晩年の猪木はプロレスが馬場化
手抜き度で言えば馬場以下の糞レスラー
[匿名さん]
馬場は晩年上手に第一線からフェードアウトしたが
猪木の晩年はそれまでの言動との矛盾を露呈することになった
[匿名さん]
大人と子供の喧嘩にも見えたが
それはそれで楽しませて貰った
両巨頭には感謝しかない
[匿名さん]
馬場はプロレス界全体の事を考えてたんじゃないかな?
[匿名さん]
馬場は秩序を守ろうとしたのに猪木の馬鹿が絡んで来るからな
ただこの当時の猪木は馬場に対して怨念に近い感情があったみたいだよ
詳細は知らんけど
[匿名さん]
『オープン選手権』と銘打った以上、当然国内の他団体にも参加を呼びかけた。
国際プロレスは3選手を送り込んで来た。
旧日本プロレスは大木を代表に指名し、秘蔵していたワールド・リーグ戦の大トロフィーを寄贈してくれた。
だが新日本プロレスはナシのツブテだった。
実は、これが猪木の、「テレビ放映権も、興行主催権も放棄するから、俺の挑戦を受けろ」
というセリフに対する私の返事だった。
2週間全試合に参加しろとは言わない。外人組でも、スケジュール多忙な選手と負けのこんだ者は、途中から帰国した。
興行主催権も、国際プロレスには岐阜、長岡両大会を提供している。
猪木に本当にその気があれば、参加方法の打診ぐらいはあってもよさそうなものだったが、何もなかった。
[匿名さん]
12月6日に足立区体育館で開会式を行い、12月18日の川崎市体育館で最終戦が行われた。
ドリーと馬場が9点、ブッチャーが8点で最終戦を迎えたが、ドリーは鶴田と時間切れ引き分け、
馬場がホフマンを破って11点で優勝を決めた。
大会中、馬場と木村、鶴田の初対決やドリーVSホフマンの技巧派対決、
日本では最初で最後となったアメリカの黄金カードのレイスVSローデスなど、数々の夢のカードが実現した。
[匿名さん]
出場しても馬場戦に辿り着けないことを察知した危険回避
陰謀で指示を受けたラフ、セメントに強い外人レスラーばかり当てられ潰されてた
[匿名さん]
Gスピリッツを毎号購読してプロレス史を研究しとります<(`^´)>
現在№62 古いプロレスの話題満載で興味深い
[匿名さん]
キラーカールコックスですが最後の来日はかなり前ですよね デストロイヤー
ブッチャーは毎年のように来てましたが キラーカールコックスは子供の時(笑)
に見た印象しかないです なんにしろ古い話ですが(笑)
[匿名さん]
馬場が猪木の要求全部飲んだんだよね
出来ないのわかってるから
馬場らしいクレバーなやり方
[匿名さん]
いつなん時どこでも誰の挑戦でも受ける
この言葉発した時点で猪木勝ちだよ 言い訳から始まるのは
さんざ聞いた 世界の全ての格闘家に発信したのは猪木だけ
[匿名さん]
若い世代はわからんでしょ 猪木が発した言葉 自分が格闘技のトップで
誰がこようが戦う 今の時代誰かおらんのか ルール含めて言い訳はいい
言ってから始まる そういうのいないでしょ
[匿名さん]
日本では警察を出動させたよな
シンに襲撃された時
もちろんガチだww
[匿名さん]
自分が全ての格闘技の中で世界で一番強いと思ってんなら
言えばいいじゃんってこと グダグダ言わんと どこでも誰とでもやるって
この時代インパクトあるぞ こうだったらこうならばのタラレバ(笑)いらん 言い訳もいらん
言ってから始まるんだよ
[匿名さん]
猪木が言ったこともやったことも結局プロレスだったんだよ
信者は無邪気な子どもみたい
[匿名さん]
猪木の試合(や発言)はニヤニヤしながら見るのが通の嗜み
[匿名さん]
当時から猪木引退まで新日しか見てないんで
お笑いの馬場は苦手 いまは全く見ない
[匿名さん]
スキャンダラスで波乱万丈なプロレスラー猪木の生き方の方が
段違いに面白かった
[匿名さん]
ここのカテなんで 晩年の猪木のいろんな意味での不甲斐ないのは認める
格闘技打ち出した時の猪木は別もんてこと
[匿名さん]