>>32
熊襲を蛮族と考えるのはいわゆる「皇国史観」であって、戦前教育によるものです。
記紀には熊襲を蛮族と貶めるような記述はなく、
むしろ、大変重要なことを示唆します。
熊襲の長はヤマトタケルの殺されますが、この時、ヤマトタケルは小碓(おうす)命という名前だったのですが、長の弟を殺す前に「ヤマトタケル」という名を「引き継いで」名乗るようになるのです。
そして、大和はそれ以後、朝廷の名称にもなるわけです。
これは中国の史記にも
「大和はもともと別の国の名であったが、今の国がその名を引き継いだ」という記載がある。
これは熊襲を蛮族だとするならとてもおかしな話ですね。
普通、上の人間が下の人間に名を譲り受けるなどということはありませんし、ましてやそれが国号となるなど考えられません。