当時から負けたらマズいもの同士の試合は 3本目は両者リングアウトや
ノーコンテストで引き分けなんだよ みんな気づいてたが 口に出しては言わない時代
ただアホクサ
[匿名さん]
高田は武藤に初戦に負けて
2戦目で勝つという取り決めだった
結果は予定通りになったが大事なのは初戦
高田が武藤に負けたというインパクトが強くて
その後に高田が勝ったのは印象が薄い
高田は1勝1敗ならいいってか
後に勝つ方がいいかもと思って了承したが
初戦の重要さに気づかなかった
あの時は新日にしてやられたと語ってる
[匿名さん]
Uインターはどのみち潰れていたろうから
対抗戦実現は延命できてラッキーだったのでは
[匿名さん]
武藤に負けた直後に発売されたゲームソフト
『Uインター高田延彦 最強』
[匿名さん]
Uインター時代は正に最強だった高田延彦
その高田がヒクソンに瞬殺
これでプロレスがどういうものかわかる
[匿名さん]
新旧世界王者揃い踏み❗84グランドチャンピョンカーニバル2❗
[匿名さん]
1983年から1990年は総当たりリーグ戦が行われず
馬場の衰えにより近い将来行われるであろう世代交代に際して
馬場が鶴田と対戦して直接負けるのを嫌ったためとされている
特に元子夫人が「鶴田が馬場に勝つになんてあり得ません」
といつまでも馬場至上主義で全日の世代交代が大幅に遅れた
[匿名さん]
プロレスのチャンピオンベルトに何の価値がある。大人の玩具❗
[匿名さん]
まあ、ベルトを腰巻呼ばわりするのは年齢がわかるし、70代の八百長ハゲしかおらんわな(大爆笑)🤣🤣🤣
[匿名さん]