>>588
おっと。
こんな質問がされていたんですね。
こちらの質問には答えずに、質問で返すところが貴方らしい。
遅くなりましたが、僕は誠実なので、ちゃんと返答しますよ。
薩摩が琉球を付属地にする以前の琉球は、中華帝国だけの服属国ですね。
中華皇帝から、その子分の証として「王」という称号を与えられた“琉球王”が統治していたのだから、そうなるのは当然です。
独立前の朝鮮半島を“朝鮮王”が統治していたのと同じです。
つまり琉球の場合は、1609年以降は「日中両国の服属国」になったわけですね。
東アジアにおける“帝国”の定義は欧州とは違います。
欧州では傘下に複数の国を抱えた国が“帝国”ですが、その傘下の国には“KING”はいません。
KINGはあくまで、帝国の傘下に入らない独立国の君主ですからね。
対して東アジアの場合、王はいますがKINGはいません。
王=KINGではないのです。
東アジアでは王とは皇帝の子分であって、中華皇帝の後ろ楯によって地域の統治を承認される存在です。
皇帝に土下座をして、頭をナデナデしてもらい、投げ与えられるのが“王”の称号です。
当時の朝鮮半島がそうであったように、琉球も中華皇帝の直接統治は受けない別の国ですが、独立国ではないのです。
独立国なら、皇帝から貰った「王」などという屈辱的な称号は捨て、自ら琉球皇帝なり琉球天皇なりと名乗れなければなりません。
日清戦争の結果、独立した朝鮮半島の君主が、自ら「皇帝」と名乗ったのが良い例ですね。
それが東アジアの流儀なんです。
…では、次は貴方が僕の質問に答える番ですね。16回目です。
ちょっと逃げまわり過ぎですよ。
…でも、解答はここで書いちゃいましたけどね(笑)