最初に七十一年前の八月六日に自分がいるように思えたのは、被害にあった人々の苦しみ、無念さが伝わってきたからに違いない。
これは、本当に原爆が落ちた場所を実際に見なければ感じることのできない貴重な体験であった。
その二週間後、アメリカのオバマ大統領も広島を訪問され、「共に、平和を広め、核兵器のない世界を追求する勇気を持とう」と説いた。
オバマ大統領は、自らの手で折った二羽の折り鶴に、その思いを込めて、平和記念資料館にそっと置いていかれたそうだ。
私たちも皆で折ってつなげた千羽鶴を手向けた。私たちの千羽鶴の他、この地を訪れた多くの人々が捧げた千羽鶴、世界中から届けられた千羽鶴、沢山の折り鶴を見たときに、皆の思いは一つであることに改めて気づかされた。
平和記念公園の中で、ずっと燃え続けている「平和の灯」。
これには、核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けようという願いが込められている。この灯は、平和のシンボルとして様々な行事で採火されている。原爆死没者慰霊碑の前に立ったとき、平和の灯の向こうに原爆ドームが見えた。
間近で見た悲惨な原爆ドームとは違って、皆の深い願いや思いがアーチの中に包まれ、原爆ドームが守られているように思われた。「平和とは何か」ということを考える原点がここにあった。
平和を願わない人はいない。だから、私たちは度々「平和」「平和」と口に出して言う。
しかし、世界の平和の実現は容易ではない。今でも世界の各地で紛争に苦しむ人々が大勢いる。
では、どうやって平和を実現したらよいだろうか。
[匿名さん]
何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。
なぜなら、戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。
日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか。
そして、唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。
「平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから。
「平和」についてさらに考えを深めたいときは、また広島を訪れたい。きっと答えの手がかりが何か見つかるだろう。
そして、いつか、そう遠くない将来に、核兵器のない世の中が実現し、広島の「平和の灯」の灯が消されることを心から願っている。
[匿名さん]
日本の皇室にも変人狂人が出現するリスクはあるわけだよな。
[匿名さん]
【愛子さまが書かれた作品】
私は看護師の愛子。
最近ようやくこの診療所にも患者さんが多く訪れるようになり、今日の診療も外が暗くなるまでかかった。
先生も先に帰り、私は片付けと戸締りを任されて、一人で奥の待合室と手前の受付とを行き来していた。
午後八時頃だろうか。私は待合室のソファーでつい居眠りをしてしまった。
翌朝眩しい太陽の光で目が覚め、私は飛び起きた。
急いで片付けを済ませて家に帰ろうと扉をガラッと開けると、思わず落っこちそうになった。
目の前には真っ青な海が果てしなく広がっていたのだ。
診療所は、一晩でどの位流されたのだろうか?
いや、町が大きな海へと姿を変えてしまったのかもしれない。
助けを呼ぼうとしたが、電話もつながらない。私は途方に暮れてしまった。
あくる朝、私は誰かが扉をたたく音で目を覚ました。
扉の外には片足を怪我した真っ白なカモメが一羽、今にも潮に流されてしまいそうになって浮かんでいた。
私はカモメを一生懸命に手当てした。
その甲斐あってか、カモメは翌日元気に、真っ青な大空へ真っ白な羽を一杯に広げて飛び立って行ったのであった。
それから怪我をした海の生き物たちが、次々と愛子の診療所へやって来るようになった。
私は獣医の資格は持っていないながらも、やって来た動物たちに精一杯の看護をし、時には魚の骨がひっかかって苦しんでいるペンギンを助けてやったりもした。
愛子の名は海中に知れ渡り、私は海の生き物たちの生きる活力となっていったのである。そう。愛子の診療所は、正に海の上の診療所となったのだ。
今日も愛子はどんどんやって来る患者を精一杯看病し、沢山の勇気と希望を与えていることだろう。
出典:学習院女子中等科・高等科『生徒作品集』(平成26年度版)
[匿名さん]
愛子ちゃんの文章力は群を抜いていますね!
偏差値が72のようだから、東大も目をつぶっても入れちゃうレベルだ。
ミッチーの才色兼備ぶりは有名だが、愛子ちゃんも負けていないね。
令和の次の天皇は愛子ちゃんで決まりだね!
[匿名さん]
雅子様はとんでもなく優秀だし皇太子様は帝王学をきっちり学んでいらっしゃってご家族も仲良し。
秋篠宮家が異常なんだよな。
[匿名さん]
ひと昔前は、右派の秋篠宮萌え、皇太子一家叩きが目立ったが、
情勢は常に流動的なわけだな。
[匿名さん]
日本の皇室もイギリスみたいに、自衛隊で
鍛えてやれ!
みんな無菌室で育ったモルモットみたいだぞ!
[匿名さん]
王室なんて社会にとって有害以外のなにものでもない
暴君だったり変人の王様が登場したときにその暴走を止める仕組みがない
[匿名さん]
皇室も同じ、社会にとって有害以外のなにものでもない。
廃止すべき制度の一つ。
取り敢えず宮内庁の民営化から取り組もう。
[匿名さん]
日本の皇室も社会システムとしてリスクが大きい。
何百年に一回の暴君の登場に国民は抗えない。
[匿名さん]
💛ワチラロンコン国王が結婚 タイに新王妃
2019年5月2日(木) 00時31分(タイ時間)
タイ王室は1日、ワチラロンコン国王(66)がスティダー・ワチラロンコン・ナ・アユタヤ陸軍大将と正式に結婚し、スティダー大将が王妃になったと発表した。
タイの英字紙ネーション(電子版)によると、スティダー王妃は1978年生まれ。タイ国際航空の元客室乗務員で、2016年12月に陸軍大将に任命された。
ワチラロンコン国王は2016年10月、父であるプミポン前国王の死去を受け、国王に即位した。今月4日に戴冠式を行う。
[匿名さん]
いずれ愛人作って妻は捨てられる。ワチラロンコンは所詮そんな男。
捨てられた妻の家族は刑務所行き。今までに捨てられた妻たちと同じ運命。
新しい妻との間に男の子が生まれたら、後継争いで波乱あるな。
いずれにせよタイ王室はそう長くは続かない。
[匿名さん]
おれ、団塊世代ではないんですけど。
王室批判=団塊なの?
[匿名さん]
面白いからタイ王室とタイ警察に通報したるか
ついでにザビエルの不敬罪ツイートも
[匿名さん]
新婦は・・・チュラロンコン大学法学部卒業 タイ国際航空CA 陸軍大将・・・凄い経歴だな!
[匿名さん]
批判を許さない不敬罪があること自体が、王室の欺瞞の証。
[匿名さん]
>令和の次の天皇は愛子ちゃんで決まりだね!
俺もそう思うな。
一方の後継者は親の血筋が悪すぎる。
ググると変な噂が沢山出てくる。
〇〇の問題、タイでの噂も数限りなく多い。
[匿名さん]
やはり日本の皇室の後継者は、親の手垢がついていない、愛子ちゃんで決まりだね!
[匿名さん]
愛子ちゃんを女性天皇として即位させたとして、
その次をどうするかだな。国民が女系天皇を是とするのか。
俺は個人的には女系天皇即位は賛成だ。
[匿名さん]
WIKIより転載
2019年5月までに四度の結婚と三度の離婚を経験している。タイ建国後ここまで結婚した前例はない。1人目のソームサワリー妃は、シリキット王妃の姪で従姉妹にあたり、ラーマ5世の男系子孫で結婚前にもモームルワンの称号を持っており、離婚後も王族の一員として活動している。元女優で2人目のスチャーリニー妃と息子は、離婚後に全員が国外へ追放され、アメリカ合衆国に平民として居住中。3人目のシーラット妃は、タイ中部の出身地に戻り平民として生活しており、1人息子(ドイツ在住)に連絡を取ることも禁じられている。4人目の相手であった元タイ国際航空の客室乗務員で、タイ陸軍陸軍大将のスティダ・ワチラロンコン・ナ・アユタヤと2019年5月1日に正式に結婚式を挙げたものの、デイリーメールは5人目のシニーナート・ウォンワシラパックとの生活を2017年に報道した。
[匿名さん]
WIKIから転載
ワチラーロンコーンの数少ない外交業務に1987年の訪日がある。
この時、妻ではなく愛人を連れて行こうとしたが、外交儀礼に反するという理由で日本国政府に拒否されている。
日本滞在中、自動車で移動中に小便を我慢できなくなり、高速道料金所の便所で用を済ますことになったり、除幕式で背丈に合わない椅子が用意されたりした。
それを自分に対する冷遇と受け取り、予定より3日早くタイ王国に帰国した。
9年後の1996年、当時の内閣総理大臣であった橋本龍太郎がタイで行われた国際サミットに参加した際に、日本に対する報復を行った。バンコクのドンムアン空港に、橋本首相が搭乗した日本国政府専用機が着陸した際、ワチラーロンコーンも3機のタイ王国空軍の戦闘機を使って滑走路を塞がせた。
橋本首相は約20分間機内に閉じ込められたが、日本国政府は敢えて抗議をしない対応を取った。
[匿名さん]
龍太郎閣下に対する無礼、日本人として決して忘れないぞ。
そちの亡命先はこの世界にはないと思え。
民主記念塔にその首を晒すがよい。
[匿名さん]
嫌日の王様には、是非、吉原にお越しいただき、世界最高水準の絶技を楽しんでもらいたいな。
[匿名さん]
タイ人女性が当たり前ならジャップメスなんて興味なし。
[匿名さん]