宗教信じて幸せになるなら苦労しない。
頭の中お花畑にも程がある。
[匿名さん]
昔よりカルト色薄れたよな
顕正会のが悪質カルトに思うよ(笑)
[匿名さん]
バカ創価は常識知らないから
手拭きが出て来ないのは
ほとんど創価
[匿名さん]
終わってほしい 議員とかならないで! 公務員にならないでほしい!
[匿名さん]
創価学会の前身は「創価教育学会」
元は宗教団体ではなく教育団体
小学校教師だった 初代・牧口恒三郎 会長が、価値論や半日学校制度(一般家庭が貧しかった時代、貧しさのあまり、家庭の仕事や奉公等でなかなか学校に通うことができない子供たちに一日の半分は学校に、半分は家の手伝いや社会での仕事に働きながらも学ぶ機会をといった内容だったかな?)を含む創価教育学説を論じ、人間の幸福への価値とは何ぞやと、教育の立場から研究を進め、教育界に学説を広めていこうという団体だったと思う。二代会長の戸田会長も学校の教師で牧口会長の下で働く弟子だった。
牧口会長は、そうしているうちに知人を通して日蓮正宗と出会い、日蓮正宗に入信する。
寺で日蓮正宗の教義を学んでいくうちに、人間を幸福にできるのはこの日蓮仏法しかない。
と論じ、創価教育学会を教育団体兼日蓮正宗の信徒団体へと変わっていくのであった。
[匿名さん]
綺麗事の塊!所詮ただの営利主義(笑)宗教全く興味無し
[匿名さん]
創価教育学説の中にある半日学校制度について380で書いた内容はちょっと間違っていたので
某サイトにこのようなことが書かれてあったので抜粋させてもらった。
「半日学校制度」とは、小学校あるいは中学校から大学に至るまで、学校は半日とし、残り半日は実践共同体内での生活(仕事)を通して「学ぶ」ということである。
学校を半日とすることで、現在バラバラになっている「学校教育」「家庭教育」「社会教育」を有機的に連絡し、学校でできないこと(規範教育等)までも学校で引き受けようとしていることを止めさせて、それらを「家庭教育」「社会教育」が役割分担し、今一度、村落共同体で行われていた「学び」を子供から大人まで貫徹させるのである。
そうして、生涯にわたる「教育」、「学習」が人間の生活、人生そのもののあり方として、一人一人の中に位置づくことを「常態」にすることが、重要なのではないだろうか。なぜなら現在は、学校教育までが「学び」で、社会に出てからは「学び」はないものと思っている人が大多数である。しかし、実社会ではそんなことは決してない。どんな生活をしていようが、生きている限りは、常に「学び」はある。
そうなってしまった背景にあるのが、「学習」「教育」の中身と、「仕事」の中身を切り離し、有利な学歴を獲得することが優先されてきた「学歴主義」なるものである。しかし、もはやそれはガタガタになりつつあり、そういった「学校教育」に長期間滞在することによって、青少年の問題も多発しているのである。
また、「教育」を生涯にわたる「学習」とすることで、学校での勉強時間を半日にしたとしても、勉強しない項目がでてくることは避けられるだろう。あるいは、勉強時間を少なくしても、事足りる勉強法を探るのも一つの答えかもしれない。
[匿名さん]
385続き
ここで注意が必要なのが、これらは決して、学校が行う体験学習や実業教育であってはならないということである。
なぜならば、あくまでも教師は、「非実業者」なのであり、実業の深いところまでを伝達することはできないからである。文字通り、「実業」についての教育は、「非実業者たる学校の手から」取り戻すというのも、「半日学校制度」の提案の理由なのである。かつての手工業における徒弟制度や商業における住み込みでの丁稚奉公、そして農漁業での親や地域共同体から伝授していたこと(規範教育等)を「学校」で行おうとしても、それは適切に実施できないという判断である。
参考文献:「学力問題のウソ」小笠原善康
「牧口常三郎全集」
[匿名さん]
380の説明はうろ覚えだったので少し違ってた
私は幹部ではない、大学で教育に関するの科目で創価教育学体系について学んだことがあるので記述したが学んだのは何年も前だから忘れたり、勘違いしてる部分があった。
創価教育学会(創価学会の全身)初代・牧口常三郎会長が知人を通して日蓮正宗に入信したのは昭和3年、当初、教育団体である創価教育学会が設立したのは昭和5年で牧口会長の入信の方が創価教育学会設立より先だった。
でも、設立当時の創価教育学会は宗教団体ではなく教育団体
であったことは確かである。
小学校の校長を務めた、初代・牧口会長は当時、日蓮正宗宗門にも創価教育学会は日蓮正宗の信徒団体ではなく、教育に於ける自らの価値論を広めるための教育団体であると述べているようだ。二代・戸田城聖会長も学校の教師で牧口会長の部下であり弟子だったそうだ、後に牧口会長に折伏され日蓮正宗に入信するのだが。
当初の創価教育学会は、牧口常三郎会長が提唱する、価値と創造を考える創価教育学体系(創価教育学説)を教育界をはじめ世に広めていくというのが目的だったらしい。
創価教育学体系の中には、価値論や半日学校制度、人生地理学等が含まれており、教育のたちばから主に人生の幸福感についてを追求している。
[匿名さん]
380の説明はうろ覚えだったので少し違ってた
私は幹部ではない、大学で教育に関するの科目で創価教育学体系について学んだことがあるので記述したが学んだのは何年も前だから忘れたり、勘違いしてる部分があった。
創価教育学会(創価学会の全身)初代・牧口常三郎会長が知人を通して日蓮正宗に入信したのは昭和3年、当初、教育団体である創価教育学会が設立したのは昭和5年で牧口会長の入信の方が創価教育学会設立より先だった。
でも、設立当時の創価教育学会は宗教団体ではなく教育団体
であったことは確かである。
小学校の校長を務めた、初代・牧口会長は当時、日蓮正宗宗門にも創価教育学会は日蓮正宗の信徒団体ではなく、教育に於ける自らの価値論を広めるための教育団体であると述べているようだ。二代・戸田城聖会長も学校の教師で牧口会長の部下であり弟子だったそうだ、後に牧口会長に折伏され日蓮正宗に入信するのだが。
当初の創価教育学会は、牧口常三郎会長が提唱する、価値と創造を考える創価教育学体系(創価教育学説)を教育界をはじめ世に広めていくというのが目的だったらしい。
創価教育学体系の中には、価値論や半日学校制度、人生地理学等が含まれており、教育者の立場から主に人生の幸福感についてを追求している。
日蓮正宗の教義を学んでいくにつれ、人間を幸福に出来るのは(絶対的幸福感)、この日蓮仏法しかないと悟り、創価教育学会が日蓮正宗の信徒団体としての色を濃くしていくみたいだが。
戦後は創価学会と名称を改めて、日蓮仏法を広めていく宗教法人とし、第2代戸田会長、第3代池田会長の元、組織を国内はもとより世界へと拡大し、教育分野では、小・中学校、高校、大学までを設立するまでに至っている。
こんなところだろうか?
[匿名さん]
飲酒運転で交通事故を起こした
吉澤ひとみも創価らしい
創価信者は嘘吐きだから
[匿名さん]
スーパーの店の外でビラ配ったり折伏したりするなよ。
迷惑。場所わきまえろ。
[匿名さん]
それ、顕正会違う?
この前、小山駅の桜ロード(東西連絡通路)の東口出口付近で2.3人のグループで顕正新聞配りながら、大声で布教活動してたし。
今時、創価学会がビラ配りするのかな?
[匿名さん]
私は思う。
自公で連立を組むようになってから、昔の硬派な創価らしくなくなった感じがする。
[匿名さん]
自公が連立を組んでから何年も経つが、かつての硬派な公明らしくなくなってきたのと
創価学会自身も、昔のように日蓮仏法の教義にしたがって綺麗事と言われるかもしれないが
広宣流布という理想に向かって何事があってもぶれない組織をといった感じがなくなり
権力と利権の自民党と、それ応援する、その辺にいる俗の人達に毒されたのか、
悪い意味で俗世間人らと何ら変わらなくなって来た感じがする。
[匿名さん]
沖縄の学会員が以前の主張と比べた最近の本部の矛盾に異議を唱えているらしいが。
[匿名さん]
私も以前と比べた時の矛盾に疑問を抱く時がある。
宗教が、時によって主張をコロコロ変えるものなのかと?
宗門と仲良い時代、いざこざ時代、波紋騒動直後では、同じ日蓮大聖人の教えを信じていても講義内容や本部の主張が大きく違うし、現在、政治面では、自公連立前と連立後では政策内容が全く異なったりする。以前の公明らしくないと戸惑うことだらけ。
[匿名さん]
日蓮大聖人の末弟子だった日興上人は、日蓮大聖人の死後、兄弟子の五老僧が時代によって、日蓮大聖人の講義や、宗のやり方を都合のいいようにコロコロ変え出したので、
それを嫌い、元々の教えを重んじて五老僧達の継ぐ日蓮宗から分離して日蓮正宗を開かれたのではなかったのだろうか。
[匿名さん]
もりかけや改ざん問題についての主張も、野党時代だったら駄目なことは駄目とはっきり主張してたよね。
いくら政治上の駆け引きがあるとは言え、まだ石破さんの方が以前の公明らしくみえる。
[匿名さん]
正しいことは正しい、間違ってることは間違ってると、はっきり主張することが宗教の醍醐味ではないだろうか?
そうでなければ俗世間の人間と変わりない。
[匿名さん]
はっきりと主張する×
はっきりと主張できる○
どちらかというとこちらだな。
[匿名さん]