>>104
貴方の書き込みには重大な誤りがあります。
戦時中に陸軍に境内の建物を陸軍の要請により貸し出したのは事実ですが、貸し出した建物の中には客殿は含まれていません。
そこが軍人の宿舎となり、神札を彼らが祀ったのです。
貸している以上は本山には所有権は有っても使用権はありません。
御影堂や客殿初め各坊の本道に神札が貼られたわけではありません。
社会常識に照らせば、借り主が十字架を祀ろうが神札を祀ろうが、貸し主は借り主に文句が言えないのは道理です。
たとえば、学会員の家主が自分の借家の住人が浄土宗の仏壇を和室の床の間に安置したからといって謗法にはならないのと同じですよ。
今回の創価学会の靖国神社への奉納料は明らかに謗法への布施であり、提灯奉納は謗法への献灯に当たります。
全く性格を異にしていることを御理解いただけたでしょうか?
貴方は,まさか小説「人間革命」やアンチ宗門書籍の記述を待ち受けたわけではありませんよね。
確かに日恭上人の焼死という痛ましい事実は一国謗法に染まったことへの仏法の峻厳な因果律を示して余りあるものがあります。
日恭猊下は足が不自由でした。まことにお痛わしいと申し上げる他はありません。
あの時代は、国家神道の勢いを誰も止められませんでした。
日恭上人は我が身を焼かれて責任を引き受けられたのだと拝察申しあげる。
牧口常三郎先生もまた、国家神道と果敢に闘われて霊山にお帰りになられました。
今の時代だから先人達の足跡に難癖がつけられたのです。
戦前戦時中は天皇主権、今は国民主権です。今の感覚で先達方を地批しても虚しいのです。
たてさて、創価学会はこの件を如何に納めるのでしょうか?
誇張された昔話で宗門を批判し、冷然院感得日常居士
(牧口常三郎先生)、大宣院法護日城大居士(戸田城聖先生)に対して、創価学会首脳陣はどのように申し開きするのでしょうか?
お伺いしたきものであります。