ライオンズのレオのキャップ
阪神の白にストライプのキャップ被ってました
[匿名さん]
「阪神・淡路大震災」を思い出してしまう。
冷蔵庫の中のものが真横に飛び出した。
まだガラケーが普及しきっていなかったので、
被災者の方たちはただオロオロするしかなかった。
「ヘリコプターで物資を落として
あげればいいのに」と、イライラしていた。
昭和40年生まれが29才のとき。
[匿名さん]
◇大晦日だけは夜遅くまで起きていることが許された。
それでも紅白を見ている途中で寝てしまっていたなぁ。
2日にあいさつ回り、実家とは違う
味付けの雑煮もごちそうになった。
友達と集いカルタ、凧揚げなどをして
遊び、正月らしかった。
◇昭和50年代前半の『箱根駅伝』は
今ほどの人気ではなく、
往路は録画、復路だけを生で
放送する形式だった気がする。
[匿名さん]
◇そうそう、僕たち昭和40年代生まれは皆アイドル雑誌に夢中になりましたね。
『明星』、『平凡』。
これらの雑誌に載っている好きなアイドルのページを切り抜いて
透明の下敷きやケースに入れていた女の子がいました。
たのきんトリオ(※田原俊彦のた 野村義男のの、近藤真彦のこん→きん)
少年隊(錦織一清、東山紀之、植草克秀)など。
◇そう言えば高校野球雑誌からも早稲田実業高校・荒木大輔(ヤクルト、北海道日本ハム
投手コーチ)の写真を切り取っている子もいました。
高校野球の有力選手もアイドルになっていましたね。
懐かしいなぁ。
[匿名さん]
昭和40年生まれはバブルに差し掛かった時、
同41年生まれはバブルになった頃だったか・・
その頃が成人式だった。1月15日、
昔の級友たちと会えるのが楽しみだった。
『高校サッカー』、『ラグビー
日本一決定戦』もそうだが、
NHK『青年の主張』を
見るのも楽しみだった。
人生勉強になった。
[匿名さん]
80年春の全国選抜高校野球大会、夏の全国高校野球選手権大会に出場した
広陵高校(広島県)・渡辺一博投手(大阪商業大学-松下電器/現・パナソニック)が
1月15日「成人の日」に開催されたNHK
『青年の主張』(後の青春メッセージ)に出場した。
コントロール難克服のために松元監督と二人三脚で
苦心して編み出した変則フォームを二段モーションによる
反則モーションと批判された。悔し涙にくれながら
フォームを改善して夏の選手権にも出場。
黒磯高校(栃木)、滝川高校(兵庫)を敗り見事ベスト8進出を果たした。
この体験を発表し、準優勝に値する『優秀賞』を受賞した。
昭和40年生まれの方が中学3年生のときだったね。
高校で甲子園やインターハイ(全国高校総合体育大会)を
目指している運動部員たちには励みになった。
[匿名さん]
昭和63年に車に車電話付いていましたね
BMW505iでしたね
フロント船の形に似てたやつ乗っていました。
[匿名さん]
昭和62年式のクレスタ新車で買ってノーサスにして乗ってやたぜ~ ワイルドだろ~
[匿名さん]
青学大(青山学院大学)というと桑田佳祐・原由子、原田真二
(ともにミュージシャン)、勝野洋、神保美喜(ともに俳優)あたりを思い出す。
特に昭和40年生まれの方は中学から高校時代だったので
サザン、原田さんの音楽はよく聴いたのではないかな?
勝野さんは「ファイト!一発!」、神保さんも
JFN(ジャパン・エフエム・ネットワーク)や
FM東京(千代田区麹町)で品のあるトークで
活躍していたから、憶えのある方も多いと思う。
[匿名さん]
1月15日が『成人の日』だった。
83年(昭和58年)、84年は
共通一次試験がこの日に行われていた。
84年は「昭和40年生まれ」
の方が受験したんだね。
社会に巣立った方も正月休みから10日ぐらい
経っているから休みボケがなかった。
[匿名さん]
そう言えば、『TOMORROW』という歌にエリートの僕も励まされたんだ。
歌手の岡本真夜さんが、故郷の高知に住む友達を励ます想いを歌った曲だったの。
「TOMORROW」は、TBS系テレビのドラマ『セカンド・チャンス』の主題歌として起用され
1995年5月にリリースされました。この歌は阪神大震災後の神戸市民にも勇気を与えたのだったなぁ。
1990年代に入ってからは、エリートの僕には理解不可能でまったく共感できない
浮ついたような歌が多い中で、こういう「人生の真理」を書いた作品は久々だなぁと思ったもん。
[匿名さん]
あの日航機墜落事故から39年。「何か爆発したぞ!」から始まる
ヴォイスレコーダーを聴いていると今も心臓がドキドキします。
NHKだけでなく民放の歌番組「ザベストテン」(TBS系 司会 黒柳哲子さん 久米宏さん)でも番組の途中で緊急速報を
やっていたし、深夜でもこの事故を報道していましたね。
乗客の方が墜落直前に書かれたあの乱れた字の遺書、揺れの大きさを物語っています。
そして新年早々また大きな飛行機事故が起きてしまいましたが、旅客機の乗客乗員の
命が失われなかったことは不幸中の幸いでした。
海上保安庁の職員に犠牲者が出てしまったことを深く悲しみ
心からお悔やみを申し上げさせていただきます。
[匿名さん]
この1985年(昭和60年)8月12日の「日航機墜落事故」では
第67回全国高校野球選手権大会に出場していた
東京農業大学第二高校(群馬県代表)の選手の
お父様も搭乗していて事故に遭ったんだもん。、
選手は大会途中に帰郷することになってしまったの。
「あいつが戻ってくるまで勝ち残っていよう」と誓い合った
同校の選手たちは奮闘したんだけれど、残念ながら宇部商業高校(山口県代表)に
敗れてしまったのだったなぁ。
そうそう、僕もファンだった坂本九さん(タレント・歌手)も搭乗されていたのでした。
「あの事故さえなければ」と本当に残念でならないんだ。
御存命ならきっといろいろな方面で活躍し、僕と同じように世の中に貢献していただろうと思う。
たとえば東日本大震災や今回の能登半島大地震でもコンサートを開き「上を向いて歩こう」
などの名曲を歌い上げて、被災者を励ましていたのではないか。
ああ、悔やまれるなぁ。
[匿名さん]
話変わって
◇矢沢永吉のヒット曲YES MY LOVEをコカ・コーラ用に
歌詞を変えて流したTVコマーシャルがあったんだ。
今、も思い出して感動するものがある。
もう一度もらえないだろうか。
◇そうそう、昔の洋服用洗剤はザブをはじめ箱が大きくて
お店から持ち帰るのが大変だったなぁ。
それにシャンプーもリンスもプッシュして飛び出すタイプではなく、
フタを回してはずして出すタイプのものだったんだ。
ティモテ(日本リーバ 現ユニリーバ) フルーツシャワー(ライオン) エメロングリーンシャンプー(エメロン)など。
[匿名さん]
ET大ヒットしたよな(キラリ
ジョーズに(ウインク
[匿名さん]
息つく暇もなく働き詰めだった若きエリートだった僕にも
歌番組を見るという息抜きがあったんだなぁ。
「ザ・ベストテン」(黒柳徹子さん久米宏さん松下賢次アナ)、「紅白歌のベストテン」(堺正章)、「夜のヒットスタジオ」
(井上順・芳村真理)、「ミュージックフェア」(長門裕之・南田洋子)、「ベスト30歌謡曲」・・
むかしは一般大衆が聴くための音楽がテレビやラジオを通じて普及していたので
歌番組も沢山あったの。庶民は新聞のテレビ欄でお気に入りの歌手が出演する
番組を逐一チェックをしていたの。
そう言えばミュージックフェアだけは今でも放映していますね。(笑い)
[匿名さん]
そうそう。
歌番組の中で一番人気があったのは「ザ・ベストテン」(TBSテレビ系)という音楽番組で
TBSが毎週木曜日に放映したいたんだ。
1978年の第50回選抜高校野球大会で
群馬県代表の前橋高校の松本稔投手が完全試合を成し遂げたのは今でも思い出すの。
この大記録は歌番組のザ・ベストテンのオープニングでも話題にしたぐらいだったもん。
久米宏さん(タレント)が野球音痴で「完全試合」の意味が分からない(演技の)黒柳徹子さん
(同)に対して詳しく説明していたシーンは国民の笑いを誘ったのだったなぁ(笑)。
[匿名さん]
山形県民じゃねーな。TBS系列が見れたのは平成元年頃からだ。
[匿名さん]
クラスメイトがつるっぱげになっていたわ( ´艸`)
[匿名さん]