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『盗まれた、万年救護本尊』
日興が八十歳の時。正中二年のこと。北山本門寺に盗人が入り、多くの寺宝が盗まれるという事件が起きている。
この事件について、日興はただちに鎌倉幕府に盗難届けを出し、ついで置状なるものを書いている
松本佐一郎氏
『富士門徒の沿革と教義』より
「もし盗品が出てきた時はこれを日代に相続して、本門寺の重宝とすること。
よって門徒存知のために、置状はかくの如し。」
日興 判
盗品の中に『万年救護本尊』
が含まれていた
日蓮正宗・創価学会50の謎
美濃周人 著
「もし盗品が出てきた時は日代に相続して、本門寺の重宝とすること」と有りますが、
それが何故 万年救護本尊は 保田妙本寺に有るのでしょうか?
同じく、大石寺側が盗まれたと主張する「持仏堂の本尊」が西山本門寺に有るのでしょうか?
日興上人と日目上人の関係はかなり険悪になってしまったと主張する方がいます
本六弟子から三四年後に新六弟子を日興上人は定め直しています この新六弟子からは、日目上人は除名されています
日蓮→日興への相承の証拠とされる「二箇相承書」も大石寺ではなく北山本門寺にあったとされています
私の個人的な考えですがm(__)m
仮に日蓮→日興の相承はあったとしても日興→日目の相承は取り消されている様に私は思います
現代風にいえば「降格人事」ですね〜