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2024/07/20 22:01
爆サイ.com 北陸版

⚾️ 福井高校野球





NO.5531173

勝山高校
合計:
#162017/05/19 00:23
あとW渕の代の一斉退部は1年の夏な
23、4人入った新入部員が1学期で見切りをつけ7人に
いくら勝山でも未経験では厳しいと悟っての一斉退部

[匿名さん]

#172017/05/20 00:12
>>15の続き さて、話をN野達の最後の夏の大会について話を戻そう。N野たちの高校野球最後の夏の大会の初戦の相手は県内屈指の本格派O柳を擁するシード校の足羽だった。誰もがコールド負けを予想する中、試合は予想外の展開になる。勝山打線は足羽先発のK能を序盤で攻略、5点を奪い、エースO柳を引きずり出した。しかし、さすがはシード校、そう簡単には勝たせてくれなかった。O柳は完全に勝山打線の勢いを止める。勝山打線の中にあって気を吐いたのは、O柳から三安打をマークしたA川とニ安打を放ったS本だけで、他の打者はほぼ完全に抑えこまれた。明らかにO柳の130キロを越すストレートに力負けしていることは否めなかった。さらに足羽打線も徐々にN野の投球に慣れてきたのか、中盤以降に得点を重ね、ついに同点に追いつく。試合は延長戦に突入、勝山はN野の後に開成中学出身で一年生のT辺をリリーフに送り、一塁の守備には同じく一年生のY川を立たせるなど、正に総力戦で戦ったが、試合は足羽のサヨナラ勝ちで結末を迎えた。

[匿名さん]

#182017/05/20 00:32
>>17の続き 試合後の取材でT邊監督は、「悔いがないと言えばうそになりますが、シード校を相手に本当によく頑張った」とナインをねぎらった。それは勝山ナインとて同じ気持ちだっただろう。金星を逃した悔しさとシード校を相手にここまで戦えたという満足感。N野の学年では13人が野球部に入部したが、最後まで野球部に残ったのはエースのN野、キャプテンで捕手のA川、高校から野球を始めたにも関わらず、途中で左打ちに転向した一塁手のN村、俊足のショートのM田、元エースでレフトのY内、足羽戦で好プレーを見せたセンターのK羽、強肩でO柳からニ安打を放ったライトのS本、はぐれ野球部と呼ばれていた控えのY沢の八人だった。この試合の日から早くも二十数年経つが、彼ら八人にはこの試合が良き思い出として、今も残っていることだろう。

[匿名さん]

#192017/05/25 12:52
めっちゃいい話でした。感動しました。

[匿名さん]

#202017/05/25 21:51
福商スタンド応援組よ
奥越連合の話をしてくれよ

[匿名さん]

#212017/05/25 22:04
自分のブログに書けや。たわけ

[匿名さん]

#222017/05/26 00:00
な、な、な、長い。

[匿名さん]

#232017/05/26 00:00
な、な、な、長い。

[匿名さん]

#24
この投稿は削除されました

#252018/01/14 13:22

[匿名さん]

#262018/01/29 20:59
勝高野球部の投手の特徴としては、130kmを越すストレートで勝負する本格派と呼ばれる投手はおらず、むしろストレートとカーブのコンビネーションで打たせて取る技巧派の投手が多かった。左腕のO倉、その一学年下の同じく左腕のM本、そしてN野、Y内、T辺、K川などストレートとカーブのコンビネーションで勝負する技巧派である。

[匿名さん]

#272018/01/29 23:36
>>26の続き O倉は中部中学の出身で二年の時からエースを勤めていた。身長は173㎝と上背はないものの、オーソドックスなオーバースローから繰り出す120キロ台中盤のストレートと切れのよいカーブで勝負する技巧派左腕だ。立ち上がりが悪いのに加え、球威がない分、ややコースが甘くなると長打を浴びる傾向があったものの、ボールが低めに集まれば、安定したピッチングを見せた。O倉の控えは同じく中部中学出身で普段はショートを守るH木だった。身長は170㎝に満たなかったが、ストレートの球威はO倉に引けをとらなかった。二年まではO倉との二枚看板だったが、O倉の成長もあり、三年になるとショートのポジションに専念した。

[匿名さん]

#282018/01/30 10:33
ほやでなんやねん?

[匿名さん]

#292018/01/30 22:52
>>27の続き O倉達が三年生になった4月に監督がS川からT辺に変わった。T辺は高志高、福井大で投手、外野手として活躍した25才の青年監督だった。それから1ヶ月後にはT辺監督の初陣ともなる春の大会を迎えることになる。新監督を迎え、さらに新入部員も十二人が入部して勝高野球部は活気に満ちていた。エースはO倉、その女房役には二年のW淵潤、一塁手はY田、二塁手は二年のY川、三塁手は四番で主将のW淵(展)、ショートにはH木、レフトは二年のK川、センターはH口、ライトは強肩のK林がレギュラーメンバーだった。

[匿名さん]

#302018/02/04 16:15
>>29 その年の福井県の高校野球は混戦模様だった。優勝候補を挙げるとすれば、まずはその年の選抜出場校の大野。選抜後にサイドスローのエースS水が調子を落としていたものの、同じく変則右腕のY崎が成長、そのY崎にN尻を中軸とした打力も県内トップクラスだった。それに続くのが、K村(現坂井高校野球部監督)、K山といったスラッガーを擁する名門福井商、MAX135kmの速球派スリークウォーター右腕K原のいる福井、毎年実力の安定した北陸。ダークホースには、前年度に二年生エースとしてチームをベスト4に導いたサウスポーN村が健在の福井農林、S本、M利の大型右腕を擁する高志が挙げられていた。

[匿名さん]

#312018/02/05 12:29
長いね

[匿名さん]

#322018/02/07 21:12
>>30の続き T辺新監督を迎えた勝山ナインの春の県大会の初戦の相手は武商に決まった。サイドスローのエースT本を中心とする武商は勝山と似たようなチームカラーだった。試合は勝山の左腕エースO倉と武商のサイドスローエースT本の投げ合いで始まった。この試合でO倉はストレートとカーブを低めに集める自分のピッチングの持ち味を存分に発揮して、武商打線に連打を許さなかった。一方、勝山打線も小刻みに得点を重ね、4点を奪い、O倉を援護した。最後までストレートとカーブを低めに集めるピッチングを続けたO倉は、終わってみれば、武商打線を散発四安打に抑える見事な完封勝利だった。4−0で初戦を突破した勝山ナインは、T辺新監督の初陣を快勝で飾った。

[匿名さん]

#332018/02/07 21:31
>>32の続き 初戦を突破した勝山野球部の二回戦の相手はT辺監督の母校である高志だった。重いストレートを武器とするS本、快速球に切れのあるカーブを投げるM利の二枚看板を擁する高志はダークホースの一角で明らかに格上の相手だった。試合は、勝山はO倉、高志は背番号3のM利の先発で始まった。一回戦を完封で飾ったO倉だったが、この試合では初回から連打を浴びて、二回で7点を奪われた。さらに五回には相手投手のM利にレフトスタンドに運ばれる一発を浴びた。一方、勝山打線もM利のストレートとカーブに手が出ず、一点を奪うのがやっとだった。終わってみれば、10ー1の七回コールドゲームの完敗、まざまざと力の差を見せつけられたゲームだった。罰として勝高野球部員は全員が五厘刈りにさせられた。

[匿名さん]

#342018/02/07 21:37
長山の坂で、ダッシュでもしなはれ。

[匿名さん]

#352018/02/08 23:53
>>33の続き 高志に敗れた春の県大会の一カ月後の六月。勝高野球部は福井高校と練習試合をすることになった。MAX135kmの速球派のエースK原を擁する福井は優勝候補の一角で、春の福井県大会では優勝していた。もっとも勝高の練習試合の相手をしてくれるのはレギュラーメンバーではなく、ベンチ外のメンバー、いわゆる二軍だった。一方、勝山はこの試合をレギュラーメンバーで臨んだ。勝山はエースO倉、福井は二年生のY賀が先発した。しかし、相手は二軍とはいえ、決して甘くなかった。この試合でO倉は毎回の様に得点を奪われて、終わってみれば、15失点だった。打線はと言えば、福井のY賀、S藤、Sの三投手を捕らえることが出来ず、わずかに1点をあげるのが精一杯だった。試合後にO倉は、「まだパワー不足やなあ」と呟き、肩を落とした。

[匿名さん]

#362018/02/12 01:44
>>35の続き 打力を向上させる為、授業前の朝練の一環として主将のW淵(展)を中心とする何人かのメンバーが素振りを行う様になった。そうこうしているうちに七月になった。七月の中頃には夏の大会の組み合わせ抽選が行われた。春の県大会でベスト4に残った四つのシード校によって四つのゾーンに分かれたが、一番の激戦区は第2シードの福商ゾーンだった。福商ゾーンには、春の選抜に出場した大野、前年の夏の大会でチームをベスト4に導いた左腕エースN村が残った福井農林が入った。春の大会で福商と大野は一回戦でぶつかり、乱打戦を制した福商に軍配が上がった。しかし、この試合で大野はエースS水を温存、登板したのは二年生のT縄とM田だった。夏の大会ともなれば、当然S水が登板するであろうし、そうなれば、春の大会の様な試合展望にはならないだろう。ところで、勝山は高志ゾーンに入り、初戦の相手は丹生に決まった。

[匿名さん]

#372018/02/12 13:34
>>36の続き O倉たち三年生の高校野球最後の大会となる夏の大会の初戦の相手は丹生に決まった。もし、この丹生戦に勝利すれば、二回戦の相手は奇しくも春の大会で完敗を喫した高志だった。一回戦の相手である丹生は、それ程前評判の高いチームではなかったが、バランスのとれたチームでエースナンバーをつける右本格派のM永、背番号10ながら実質エースの右のアンダスローのO橋、抑え役の背番号13のY下と三人の投手を揃えていた。丹生戦で勝利出来るかどうかは、恐らく先発するであろうアンダスローのO橋攻略にかかっていた。しかし、その時の勝高野球部にはO橋のような変則投法の選手がいなかった。そこでまだ25歳と若かったT辺監督が、アンダスローで投げて自らバッティングピッチャーを務めて練習相手になった。

[匿名さん]

#382018/02/12 15:50
黄◯さん清◯さんやら…田◯監督やらって長いです。

[匿名さん]

#392018/02/12 16:17
>>37の続き 夏の大会の開幕まで残りわずかという時のことだった。ある日、野球部員は放課後に理科室に集まる様にと指示があった。そこにはT辺監督だけでなく、前監督だったS川の姿もあった。野球部員がここに集めれた理由を説明したのはS川だった。S川の話によると、ショートのレギュラーで三年生のH木が喫煙していることが発覚して、しばらくの間停学になったとのことだった。ミーティングは最後にS川が「自らバッティングピッチャーをするなど熱心に指導しているT辺先生の期待を裏切るようなことはしないで欲しい」と話を結んで解散になった。

[匿名さん]

#402018/03/20 23:42
続きは?

[匿名さん]

#412018/03/21 17:29
もう腹一杯だよ

[匿名さん]

#422018/03/22 22:10
>>39の続き この年の夏の大会を前に勝山高校野球部のユニフォームのデザインが変わった。デザインはそれまでのダークグレーに縦縞が入った白に変わり、胸に漢字で「勝山」と書いてあったのが新デザインのユニフォームではローマ字で「KATUKO」に変更された。そんな中、勝高野球部は丹生高との初戦の日を迎えた。

[匿名さん]

#432018/03/22 22:44
もういいって

読んでないし

[匿名さん]

#442018/03/23 04:47
ユニフォームよく変わるけど誰も気にしてないと思うよ。弱いからインパクトないし

[匿名さん]

#452018/03/23 07:10
先生変わる度とか、本当にユニフォーム簡単に変えるやめて欲しいんやけど、3年で丸変わりなんて、迷惑な話ですわ。

[匿名さん]

#462018/03/23 16:36
伝統のない野球部(笑)

[匿名さん]

#472018/03/23 22:52
>>42の続き いよいよ丹生高との試合の日を迎えた。O倉など三年生にとっては、泣いても笑っても高校野球で最後の大会だ。勝高野球部員の殆どは大学に進学しても、野球部に入らない。そう考えると、その日が硬式ボールで野球をする最後の日になるかも知れなかった。福井県営球場に到着すると、勝高野球部のメンバーは球場横のグラウンドでランニング、その後はキャッチボールとウォーミングアップを始めた。いつもと変わりない様子だったが、一つ気になったのは、エースのO倉が緊張感からか、顔が強張ってるように感じられたことだった。

[匿名さん]

#482018/03/24 11:22
>>47の続き 勝山対丹生の試合が始まった。勝山の先発はいつも通りO倉だった。そのO倉だが、やはり立ち上がりの悪さを丹生打線につけ込まれた。まるで春の県大会の高志戦の再現でも見ているかのように甘く入ったストレートを丹生打線にはじき返され、初回に4点、二回には3点を奪われた。O倉は同じ中部中学出身で同級生のH木と比べると、真面目で性格もおとなしい分、緊張やプレッシャーに弱いのか、それとも肩の温まりが遅いのかは分からない。いずれにせよ、試合は序盤で決まってしまった。

[匿名さん]

#492018/03/24 13:04
ほうほう

[匿名さん]

#502018/03/24 14:23
ジェジェジェ!

[匿名さん]

#512018/03/24 16:25
>>48の続き 一方、丹生の先発は背番号10アンダーハンドのO橋が予想されたが、実際に先発のマウンドを任されたのは、肩の故障から復帰した背番号1のM永だった。福井新聞のチーム紹介の記事には、M永を「重い速球を武器とする右の本格派」と書かれていた通り、オーソドックスなオーバーハンドからストレートを主体にカーブ、スライダー、フォークをおりまぜて打者を打ち取る力投型のピッチャーだった。O橋の先発を予想してアンダースロー対策をしてきた勝高ナインとしては肩透かしを食らった感じになってしまったが、そんなことも言ってられなかった。

[匿名さん]

#522018/03/24 22:41
長いですね

[匿名さん]

#532018/03/25 00:21
バドミントン部とか、スキー部の話なら、聞きたいわ〰️

[匿名さん]

#542018/03/25 01:44
>>51の続き 試合が始まってからわずか2イニングで7点を奪われたO倉だったが、三回以降は完全に立ち直った。ストレートとカーブのコンビネーションが冴え、ボールが低めに集まった。結局、三回から九回までの7イニングはわずかに1失点、毎回奪三振の九つの三振を奪った。それだけに打線としては、何としてでもO倉を援護したいところだった。

[匿名さん]

#552018/03/25 09:31
>>54の続き 丹生の先発M永は、春の県大会で対戦した高志のM利ほどのスピード、切れ味鋭いカーブがあるわけではなかったが、スライダー、フォークをおりまぜながら、低めを丹念につく投球に手こずらされ、結局は二点を奪うのが精一杯だった。M永は七回で降板、八回からは背番号13をつけたY下が登板した。M永と比べると、コントロールは荒い印象を受けたが、球速、球威はM永より上だった。何としても最後の意地を見せたい勝高打線だったが、このY下を打ち崩すことが出来ず、試合は終わった。O倉が三回からは別人のような投球を見せただけに悔やまれる試合だった。

[匿名さん]

#562018/03/25 12:02
>>55の続き この丹生戦の二日後に新チームがスタートした。旧チームでレギュラーだったのは、セカンドのY川、レフトのK川だけでほぼ一からのチームと言っても過言ではなかった。特に投手陣を育てることが重要な課題だった。エース候補としては二年生左腕のM本がいたが、公式戦での登板はなく、制球が不安定だっただけに、M本に次ぐ二番手を育てることは絶対に必要だった。ただ問題は、誰を二番手投手にするかであった。一年生には、N村、M村といった二人の投手志望者がいたが、二人とも初心者で実戦で使えるレベルではなかった。

[匿名さん]

#572018/03/25 13:15
小説でも書くつもり?笑っ

[匿名さん]

#582018/03/25 15:35
>>56の続き そんな中、M本に続く二番手投手の候補に挙がったのが二年生で本来は一塁手のY本、そして、一年生のY内だった。Y内は中部中学時代は投手でエースだったから、当然と言えば、当然だろう。しかし、Y内は勝高野球部に入部してからは、投手の練習をせず、二塁手としての練習を主にやっていた。もっとも二塁手希望に仲のよいN村(由)がいたから、ノック時にはセカンドに入っていただけなのかも知れない。いずれにせよ、T邊監督としては、このY内とY本を二番手投手に育てようという意図があったのは確かだった。勝高野球部の投手の強化メニューの一つには雁ヶ原へのランニングがあった。勝高のある場所から雁ヶ原まではそれほどの距離ではなかったが、登り坂が続き、相当ハードな分、足腰とスタミナの強化には最適だった。この雁ヶ原コースのランニングを真夏日にY本とY内はこなさなければならなかった。

[匿名さん]

#592018/03/26 19:27
>>58の続き 八月に入って初めの頃だった。勝高野球部は武生高校と練習試合をすることになった。武生高校と言えば、進学校のイメージが強いが、当時の野球部はだいたいベスト8ぐらいは常時進出する中堅クラスの実力を持っていた。朝早く学校に集まった勝高野球部員は“シゲさん”と呼ばれる野球部長のT口氏の運転するバスで武生に向かった。このT口氏はT邊監督と同じく体育科教諭で、かつては大野高校の野球部監督もしたことのある人物だった。その大野高校の野球部の監督をしていた時の教え子の一人が、当時の大野高校の野球部監督で大野を初めて甲子園に導いたY田である。T口氏と大野高校のY田監督の関係は続いていたようで、時折勝高野球部員はT口氏からいかに大野の練習がキツいかを聞かされることがあった。

[匿名さん]

#602018/03/26 20:32
>>59 かれこれ1時間半以上かけて勝高野球部員を乗せたバスは武生高校に到着した。伝統校だけあって校舎は古い。ところで、その学校の敷地内には女子寮があった。ちょうど勝高のバスが学校の敷地内に入った時、その女子寮のベランダでは住人らしき女子生徒が洗濯物を取り込んでいた。それを見た一年生のS本などが、「オーッ!」と歓声なような声を上げた。すると、それを見て二年生でキャッチャーのW淵(潤)が、「おいおい、お前ら忍び込んだりすんなよ」と軽口を叩いたりする。勝高野球部員はバスから下りると、教室に荷物を置いてグラウンドに向かった。グラウンド自体はごく普通の公立校の校庭だったが、武生高校の野球部員の数は勝高野球部よりはるかに多かった。ブルペンでは右のオーバーハンド、右のアンダースロー、そして左腕と三人の投手が投球練習をしていた。

[匿名さん]

#612018/03/26 23:04
>>60の続き この日は二試合が予定された。午前中に一試合、そして、午後に一試合。一試合目の勝高の先発はM本が任された。しかし、このM本が今一つ奮わない。四球、そしてストライクを取りにいって甘く入ったボールを痛打されるの繰り返しだった。終わってみれば10点奪われた。M本は球威自体は先輩の同じサウスポーのO倉より上だったが、制球が不安定で試合になると制球を気にするあまり腕を思い切って振れないのか、試合での球威はO倉よりも劣った。

[匿名さん]

#622018/03/29 23:22
続きはよ

[匿名さん]

#632018/04/01 20:31
>>61の続き さて、昼食を挟んで二試合目が始まった。二試合目の先発は一年生のY内だった。そのY内に武生の打線が初回から襲いかかった。武生打線は甘く入ったY内のボールを迷いなく振り切り、長短打で毎回のように得点をあげた。Y内にとってはほろ苦い高校野球デビューとなったが、無理もないと言えば、無理もないだろう。その原因の一つには練習不足、投げ込み不足があった。Y内のように球に威力のない投手には精密な制球力が求められるが、その制球力を身につけるには、やはりある程度毎日投げ込むことが必要なのだ。しかし、Y内はこの武生との試合までにほとんど投球練習をしていなかった。

[匿名さん]

#642018/04/01 20:45
続きはよ

[匿名さん]

#652018/04/01 21:20
続きはよ

[匿名さん]

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