>>13の続き 確かに当時の大野高校野球部は強かった。有力校の一つであり、甲子園に出れる可能性も秘めていた。実際に福井商業、福井高校や北陸などと公式戦で対戦することが少なくなかったが、負けたとしても一方的なコールド負けをするようなことはなかった。そうした状況を見れば、
>>1のように思ってしまう勝山の高校野球ファンがいても不思議ではないだろう。しかし、無理もないと言えば、無理もない。当時の勝高野球部の大半の部員が高校入学まで野球未経験者室内練習場もなければ、練習試合の相手も大野東、藤島、丸岡、坂井農業など県内の公立校だったのに対して、大野高校は全員野球経験者、狭いながらも室内練習場もあり、練習試合も富山や石川などの強豪と組んでいたのだから。(※兵庫県のS高校野球部出身のT沢教諭が野球部長に就任してからは、勝高野球部も兵庫県に遠征するなどして、県外の高校と練習試合をするようになった)また、勝山の中学の野球部で能力の高い選手は、地元の高校ではなく、Y山(南部中学→福井商業→広島カープ 現野球解説者)やM(中部中学→福井高校 二年の時に甲子園出場)のように福井市内の高校に流れてしまうケースもあった。