>>385
大関は東西に必ずいなければならないという番付上の決まりがある。広義の大関は横綱も含むから、もし(狭義の)大関が東西に揃わなければ、横綱の誰かが「横綱大関」の肩書で番付に載り、兼任する。昭和50年代、たびたび大関に欠員が出て、「横綱大関」という肩書が番付に登場している。
近代に例はないが、もし大関も横綱も不在となれば、大関については強引にでも作られることになるという。たまたま関脇で8勝の力士でも、あるいは三役がすべて負け越せば平幕の力士でも、非常時には大関の称号が与えられることになるというのが通説だ。最近では平成4年夏場所前に北勝海が引退して、横綱・大関は実質2人に。場所後曙が昇進して0横綱3大関となったが、九州場所で霧島が陥落して翌5年初場所は小錦と曙の2大関だけに。少しタイミングがずれていたら、本当に大関を無理やり作らないといけないところだった。
江戸時代には、興行を成功させるため、体格の立派な素人を「看板大関」として祭り上げて、土俵入りだけさせたりしていたそうだから、重いのか重くないのかわからない地位でもある。
一人大関を務めたのは、前述昭和50年代の貴ノ花、千代の富士、琴風がいる。世代交代が急激な時期に起こるようだ。
千代の富士が横綱に昇進し、琴風が大関となる間の1場所だけだが、昭和56年秋場所は、0大関になった。0大関も1大関も珍事と言ってよく、記憶に残るほどの時代を形勢したことはない。
基本的に大関は最低二人が原則らしいから一人になったら、強引に若隆景を大関に昇進させるかも?