ロープブレイクを無視し スリーカウントを入れる試合多数。
[匿名さん]
馬場がハンセンからスモールパッケージでピン取ってPWFを奪回した試合は、序盤からジョーさんのカウントがいつもより早かったな
[匿名さん]
柔道出身 174㎝ 90kg 山口利夫一門から力道山門下に転向 堅実な試合巧者として評判
[匿名さん]
ブッチャーは白人選手と距離をおき一人行動をしていた。そんなある日、飯でも食いに行こうと声をかけたのが頭を剃りあげてレフリーに転向したジョー樋口であった
[匿名さん]
NWA世界戦 フレアーvs鶴田
鶴田の仕掛けたジャーマンスープレックスホールドが崩れて両者両肩が着いてダブルフォールでタイトル移動せず
最初からそういう結末に決めてあったんだろうなぁー 馬場考案?
[匿名さん]
プロレスはショーだけど大仁田海外で刺された時はあれも契約です☺
[匿名さん]
台本通りだからゆっくりとカウント数えていたんだね
普通にカウントしていたら 馬場がいつも負けるからねえ~
[匿名さん]
ちょっと小突かれただけ『失神』する大袈裟なオッサン(笑)
[匿名さん]
仮にも元レスラーだから毎度毎度そんな簡単に失神するわけが無いw
[匿名さん]
昭和31年10月23日(火曜日)、東京都墨田区/国際スタヂアム
□日本ライトヘビー級王座決定トーナメント準決勝戦(30分1本勝負)
吉原功(26分25秒、体固め)樋口寛治
※吉原功が決勝戦進出を決める。
同日/同所
□日本ライトヘビー級王座決定トーナメント2、3位決定戦(30分1本勝負)
大坪清隆(時間切れ)樋口寛治
※決着がつかず、翌日に再戦が行われることになる。
昭和31年10月24日(水曜日)、東京都墨田区/国際スタヂアム
□日本ライトヘビー級王座決定トーナメント2、3位決定戦/再戦(30分1本勝負)
大坪清隆(23分8秒、体固め)樋口寛治
※大坪清隆が第2位、樋口寛治が第3位となる。
[匿名さん]
日刊サンケイスポーツ優勝楯争奪、プロレス国際試合[全日本プロレス協会]
昭和30年5月4日(水曜日)、大阪府大阪市/大阪プール
□シングルマッチ(10分1本勝負)
樋口寛治(時間切れ)沖永信次郎
[匿名さん]
ジャイアント馬場死去の後、「プロレス界から身を引くつもりだった」と後に述べている。
しかしプロレスリング・ノア旗揚げの際、社長の三沢光晴から「手伝ってほしい」と懇願され、GHC管理委員長を務めた。
[匿名さん]
まだ、スキンヘッドが日本人には珍しい時代からスキンヘッドで、
一度見たら忘れない風貌の、選手以上に印象に残るレフリー、ジョーさん、懐かしい
[匿名さん]
ピート・ロバーツによると
同じ外国人世話係だったミスター高橋に比して
ピーターも素晴らしかったがジョーの方がより親身になって世話してくれたとのこと
[匿名さん]
カウント2.9の達人・ミスター高橋
失神の名人・ジョー樋口
とか、ゴングか週プロの読者投稿で言われてた記憶
その後、カウント2.9の達人は和田京平に
失神の名人はアントニオ猪木に
引き継がれた
[匿名さん]
子供の頃はNWA公認レフェリーって凄い資格かと思ってた
[匿名さん]
日本プロレス時代は沖識名、ユセフ・トルコに次ぐナンバー3か
[匿名さん]