870
2023/11/26 14:42
爆サイ.com 山陽版

サッカー国内





NO.7201210

デッツォーラ島根④
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#8512023/11/26 14:24
以降、太平洋戦争による中止を挟み、戦後の学制改革で現在の名称となっても西宮球技場を主な会場にして関西での開催が続いた。1948年(昭和23年)4月新制高校が発足。同年6月に全国高等学校体育連盟(高体連)が創立され、本大会に主催団体として加わることになった。


◾️高校総体の開始と毎日新聞社の主催終了

1965年に全国高等学校総合体育大会(高校総体、インターハイ)が夏の大会として整備され、翌1966年にはサッカー競技が全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会として加えられ、秋の国民体育大会サッカー競技高校の部(国体)を合わせると、高校サッカーの全国大会は3つとなった。当時の文部省は文部省の通達により、学校教育活動としての高校スポーツの全国大会は国体を除いて年一回しか認めていなかったため、日本蹴球協会と全国高等学校体育連盟(高体連)は冬の高校選手権を夏の高校総体に組み入れようとした。この動きのなか、毎日新聞社は第1回大会から行っていた本大会の主催を終了し、結局は日本蹴球協会が単独で冬の高校選手権を開催することになった。1966年度大会は、毎日新聞社の主催終了による経済的な影響や文部次官通達との関係により、出場校が前年の32校から16校に変更され、夏の高校総体の上位2校と、秋の国体の上位4校、地域推薦の10校となった。各地域の予選も、文部次官通達との関連で公式には行わず、地域推薦とする建て前となった。16校での開催は、1970年度大会まで続いた。また、1966年度から大会の回数が大会名から外されるようになり、1980年度の第59回大会で復活した。

[匿名さん]

#8522023/11/26 14:25
◾️読売新聞社後援へ

1970年から国体が各都道府県選抜の参加となり、インターハイとは別に「選抜大会」として競技ごとに全国大会を開くことが認められた。これにより高体連としては選抜大会の扱いをするということで、第49回大会(1970年度)から主催に復帰した。

一方で当時読売新聞社を中心とした読売グループでは、将来的なプロ化も睨んだ本格的なサッカークラブである読売サッカークラブを1969年に発足させるなど、サッカーに対して力を入れつつあった。そうした動きの中で「クラブの長期的な存続には、将来的な選手の供給源の充実が不可欠である」として高校サッカーに対する支援を行うことになり、1970年8月には日本テレビの主催で全国の強豪校11チームを招待した「高校サッカー研修大会」を開催し、日本テレビと出場校の地元を中心とした系列局で裏送りを含めて放送した。読売新聞社・日本テレビではこの研修大会を継続して開催する意向だったが、夏場はインターハイや国民体育大会の予選など試合数が多く、日本蹴球協会(現:日本サッカー協会、以下JFA)側では研修大会の継続は難しいと判断。そこで代替策として、JFAでは本大会の後援に読売新聞社が加わること、並びに日本テレビが大会の中継を行うことを提案。これを読売新聞社側が了承したことから、高体連の主催復帰と時を同じくして日本テレビが大会のテレビ中継を行うことになった。

[匿名さん]

#8532023/11/26 14:26
第49回大会(1970年度)は日本テレビで8試合を中継。決勝戦のみ以前から編成していたNHKとの2局同時中継という異例の形になった。第50回大会(1971年度)から日本テレビ系列の独占中継体制になったが、高体連はこれに反発し全国放送のNHKによる中継を廃するからには「最低でもNHKの8割のエリアをカバーできる放送体制を取る」よう要求した。当時の日本テレビのネットワーク体制ではとても無理な注文だったが、ここで電通が仲介に入り当時のTBS系列のローカル局と折衝を行い、日本テレビをキー局としつつTBS系列局および一部のフジテレビ系列局・独立局を含めたローカル局による全国38局の中継体制を築くことに成功。これにより第50回大会より正式に中継が日本テレビに移行した。『関西サッカーのあゆみ』では「高校野球は朝日と毎日がやっているが、それにはどうしても入れない読売と日本テレビが、何が何でも高校サッカーを取りたいと電通を絡ませて関西から奪った」と書かれている。

全国テレビ中継とスポンサーを得た本大会の運営は強化される方向に向かい、特例としてインターハイとは別の選手権として高校サッカーの最高峰の大会と位置づけられるようになった。

1971年度の第50回大会は、長居競技場が主会場となり、1回戦と2回戦では西宮球技場と神戸中央球技場が併用された。翌年からの第51回大会、第52回大会、第53回大会、第54回大会では、長居競技場とうつぼ球技場が会場となった。

[匿名さん]

#8542023/11/26 14:26
◾️決勝大会の首都圏への移転

第55回大会(1976年度)からは、決勝大会の会場を首都圏(東京都・千葉県・神奈川県・埼玉県)に移すこととなった。元々日本テレビやJFA関係者の間では決勝大会を首都圏で開催したいという要望が強かったことに加え、当時日本テレビで本大会の中継スタッフだった坂田信久が「(日本テレビに中継が移って)最初の2年で関西ではスタンドを満員にするのは厳しいとわかった」と語っているように、高校野球の影響でサッカーへの関心が薄い土地柄だったことや大会の採算面からも関西開催では大会の発展が厳しいという認識が関係者の間で広まり、最終的に高体連の47都道府県の委員長会議で多数決により会場の移転が決まった。しかし現在もなお、関西のサッカー関係者にはこの決定に不満を唱えるものが多数存在するという。当時も関西サッカー協会会長で日本蹴球協会副会長であった川本泰三らが激怒。このため坂田らは首都圏開催後の同大会を絶対に成功させるとして、大会のイメージアップに全力を注ぐ。場内に広告看板を設置してテレビに映すほか、後には試合時間内にはテレビCMを入れないようにしている。大会の応援を都道府県の県人会へ連絡した他、各出場校にも職員会議から父母会、生徒会にまで足を運んで頼み込んだという。

西が丘サッカー場など、当時未だ計測時計が会場掲示板に無い競技場が多く、このためテレビ局の大道具に人動で動かす大型時計制作してもらって、アルバイトにストップウォッチで試合時間を計測させて1分毎に手動で時計の針を動かしたという。

この他に中継に使用するテーマ曲を、この際に現在の曲に刷新。会場にも4台のカメラを設置して試合を追いかけて中継を行った。

[匿名さん]

#8552023/11/26 14:27
こうして、首都圏開催の初回となる第55回大会決勝戦・浦和南(埼玉)対静岡学園(静岡)の国立競技場は観客が超満員となる約6万人が来場した。

さらに第62回大会(1983年度)からは、原則として1都道府県1代表制で実施されるようになり、現在に至っている。

開会式・準決勝・決勝(年度により準決勝は他のスポーツ大会の都合で別会場)は旧国立競技場で大々的に行われており、高校サッカー選手たちは「目指せ!国立」を一つの合言葉にしていたが、2014年5月に旧国立競技場が閉鎖→2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催に伴う全面改築工事に入ったため同年-2020年の年末年始にかけての大会以後は、暫定的に開会式・開幕戦を駒沢オリンピック公園陸上競技場、準決勝・決勝は埼玉スタジアム2002をメイン会場として行っている。

第100回記念大会(2021年度)の開会式・開幕戦・準決勝・決勝は新装となった国立競技場で行われた。


◾️現在

近年はクラブユース勢の台頭とそれに伴う人材のシフトにより、ユース年代のサッカー大会としてのプレステージが高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会、その後継大会である高円宮杯U-18サッカーリーグに移行し、当大会のレベル低下を指摘されているが、今なお多くの高校サッカー部の選手にとっては最も価値あるサッカートーナメントの位置を占めている大会であり、社会的にも最も大きな注目を集めるサッカー大会の一つである。また、クラブユースの台頭に伴って、かつて優勝を寡占した名門校の地位が下がり、また近年のサッカーの普及に伴って各地域の底上げがなされた。

[匿名さん]

#8562023/11/26 14:28
この大会の優秀選手から選手を選抜し、1973年から毎年4-5月に行われるヨーロッパでのユーストーナメント大会(隔年で偶数年にスイス・ベッリンツォーナ。奇数年にドイツ・デュッセルドルフ)に日本高校選抜チームとして出場している。また、かつては「ニューイヤーユースサッカー」として、ヨーロッパのユース年代のチームを招待した交歓大会もあり、日本高校選抜もそれに出場した。第88回大会(2009年度)終了後は、海外遠征前に本大会協賛社の富士ゼロックス(現:富士フイルムビジネスイノベーション)が特別協賛している「FUJIFILM SUPER CUP(旧・FUJI XEROX SUPER CUP)」の前座試合として、U-18Jリーグ選抜(高校1,2年生)との親善試合が組まれる。

第91回大会(2013年)の決勝戦は当初1月14日に行われる予定だったが、降雪により中止。当初は、大学入試センター試験(当時、現:大学入学共通テスト)で3年生に影響が出る可能性があるために両校優勝の措置をとることも検討されていたが、決勝を戦う両チームの登録メンバーの中に、1月19日・20日実施のセンター試験受験申込者がいなかったため、試合を1月19日に順延することに決定した。悪天候による決勝戦の順延は史上初(中継は録画放送)。なお、1月14日に予定されていたテレビ中継についても、内容が大幅に変更された。

[匿名さん]

#8572023/11/26 14:29
◾️ 大会歌

大地に顔をくっつけて(シーガルス[注釈 12])(1973年度・第52回 - 1975年度・第54回)
作詞:金原徹朗、補作詞:阿久悠、作曲:森田公一、編曲:馬飼野康二
関西圏開催時代の末期に使用された。
ふり向くな君は美しい(ザ・バーズ)(1976年度・第55回 - )
作詞:阿久悠、作曲・編曲:三木たかし
戦いに敗れた者の健闘を讃える曲として知られており、現在は、テーマ曲(イメージソング)と併用して使われている(後述の「イメージソング」を参照)。
但し、これらの曲は試合会場内での式典曲としては用いられず、日本サッカー協会の公式アンセムである「日本サッカーの歌」などが用いられる。


◾️ 開催方式

1983年度(昭和58年度)の第62回大会以降、47都道府県から48代表(東京都のみ2校、それ以外の46道府県は1校)が出場する形態が定着している。出場校を決定する都道府県大会はおおむね9月から11月にかけて実施される。

三重県大会では、まず1次トーナメントを行い2次予選に進む8校を選出。2次予選では4校のグループに分けてのリーグ戦を行い、上位2校が準決勝に進むというシステムが採用されていた。
実力が他校よりも突出している、あるいはプリンスリーグに参加しているなど試合数が多くてスケジュール調整が難しい高校の場合、スーパーシードと呼ばれてかなりの段階までシードされることがある。例えば、第92回大会の青森県予選では青森山田は準決勝からのシードだった。

[匿名さん]

#8582023/11/26 14:30
第69回大会(1990年度)では、都道府県代表と別に、都道府県大会と並行して開催されていたAFCユース選手権に日本代表として出場した武南、習志野、清水市商、国見の4校を推薦出場(予選免除)としたため、全52校で争われた。
第79回大会(2000年度)では、前年度優勝の市立船橋が推薦出場で予選免除されたため、全49校で争われた(前年優勝の推薦出場枠は当年限り)。
全国大会は1回戦制のノックアウトトーナメントで行われる。全国大会の場合、退場処分又は累積警告2回で次の試合出場停止。

試合時間については次の通り行う。

準々決勝までは前後半40分ハーフの計80分で行い、前後半終了時に同点の場合は即PK戦で決着をつける。
準決勝は前後半45分ハーフの計90分で行い、前後半終了時に同点の場合は即PK戦で決着をつける。
決勝は前後半45分ハーフの計90分で行い、同点の場合は前後半10分ずつ計20分の延長戦を行う。延長戦終了後、同点の場合はPK戦で決着をつける。
第78回大会(1999年度)まで、決勝で延長戦でも決着が付かない場合、両校優勝としていた。
第81回大会(2002年度)まで、決勝も前後半40分ハーフの計80分で行われていた。
第86回大会(2007年度)まで、準決勝も準々決勝までと同様の試合形式で行われていた。
試合終了後、PK戦でない限りは勝利校の校歌斉唱(あらかじめテープ収録したもの)が行われる。PK戦に縺れた場合は勝利校であっても校歌斉唱は次の試合の進行の都合上省略される。校歌斉唱(またはPK戦)終了後、勝利校の監督・敢闘選手に対するヒーローインタビュー(原則として各試合のテレビ中継における勝利校のベンチレポーターの進行による。

[匿名さん]

#8592023/11/26 14:31
決勝は別途主催者が用意した代表アナウンサーが担当)を行う。決勝戦の校歌斉唱は試合開始前に行い(試合終了後は試合の勝敗の有無にかかわらず斉唱は行わない)、試合終了後ただちにヒーローインタビュー→表彰・閉会式を行う。


◾️使用会場

前述の通り首都圏(1都3県)の複数会場(おおむね9会場前後)が使用される。多くの会場が、施設改修や芝の張り替えなどの理由で、毎年のように会場が変更される(通常使用されない会場が使用される)のが特徴である。


◆第101回大会(2022年度)の会場

国立競技場(東京都新宿区、2021年度より使用)
駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場(東京都世田谷区、2010年度は改修工事中のため使用せず、2014年度 - 2020年度は国立の代替として開会式・開幕戦の会場となる)
味の素フィールド西が丘(東京都北区、1976年度の関東移転後に途切れることなく使用されたが、2012年度は使用せず)
NACK5スタジアム大宮(さいたま市大宮区、2002年度以後使用されなかったが2010-2011年度は駒場スタジアム、2014年度は埼玉スタジアム2002の例年開催分の代替会場として使用)
浦和駒場スタジアム(さいたま市浦和区 1992年度 - 1994年度と2010年度 - 2011年度は改修工事中のため使用せず)
柏の葉公園総合競技場(千葉県柏市、2009年度・2012年度は使用せず、2014年度・2016年度・2018年度・2021年度に使用)
ゼットエーオリプリスタジアム(千葉県市原市、2010年度・2014年度は使用せず、2015年度・2017年度・2019年度・2020年度に使用)
ニッパツ三ツ沢球技場(横浜市神奈川区、2009年度は使用せず)

[匿名さん]

#8602023/11/26 14:32
等々力陸上競技場(川崎市中原区、2012年度・2014年度は使用せず)


◆過去に使用されていた会場

関東へ移転後も、Jリーグ基準を満たすスタジアムが増加したことから、2000年代から使用されなくなった会場もある。また、通常は使われないが本会場の施設改修に伴い代替会場として使用されるケースもある。

◆関西開催時代

豊中グラウンド(1917年度 - 1921年度) (野球兼用)
宝塚球場(1922年度 - 1923年度) (野球兼用)
阪神甲子園球場(1924年度 - 1927年度) (野球兼用、当時は甲子園大運動場)
甲陽中学(1924年度)
南甲子園運動場(1928年度 - 1940年度) (甲子園球場の南側にあった総合競技場)
西宮球技場(1946年度 - 1962年度、1966年度 - 1971年度)
靱蹴球場(1963年度 - 1964年度、1972 - 1975年度)
金岡公園陸上競技場(1963年度 - 1964年度)
長居陸上競技場(1964年度 - 1970年度、1971年度 - 1975年度)
京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場(1965年度)
神戸市王子陸上競技場(1965年度)
神戸市立中央球技場(1971年度)

[匿名さん]

#8612023/11/26 14:33
◆関東移転後
国立霞ヶ丘競技場陸上競技場(東京都新宿区。開幕戦、準決勝、決勝戦のみ 2014年度 - 2020年度は建て替えのため使用せず)
大井ふ頭中央海浜公園陸上競技場(東京都品川区、1981年度・1983年度のみ使用)
江戸川区陸上競技場(東京都江戸川区、2010年度は駒沢・2012年度は西が丘の代替会場として使用)
フクダ電子アリーナ(千葉市中央区、2009年度以降使用、2011年度・2022年度は使用せず)
千葉県総合スポーツセンター陸上競技場(千葉市稲毛区、2003年度以降使用せず)
習志野市秋津サッカー場(千葉県習志野市、1999年度以後使用していないが、2003年度は千葉市非開催に伴う代替会場となる)
レモンガススタジアム平塚(神奈川県平塚市、等々力・三ツ沢球の代替会場として1992年度・1994年度・2001年度・2002年度・2009年度に使用)
三ツ沢公園陸上競技場(横浜市神奈川区、三ツ沢球・等々力の代替会場として1990年度 - 1993年度に使用)
相模原ギオンスタジアム(相模原市南区、等々力の代替として2012年度・2014年度使用)
埼玉スタジアム2002(さいたま市緑区、2001年度より使用、2014年度から2020年度まで国立の代替として準決勝・決勝の会場となる、2021年度以降使用せず)
川越運動公園陸上競技場(埼玉県川越市、2001年度以降使用せず)
熊谷スポーツ文化公園陸上競技場(埼玉県熊谷市、駒場の代替として2021年度使用)


◾️国立競技場での試合開催

国立競技場(新旧とも)でのプレーが許されるチームは、開幕戦を戦うチーム(1つは東京都代表のどちらか)とベスト4のチームの最大6チームのみであり、厳しく狭き門であると言える。

[匿名さん]

#8622023/11/26 14:34
開幕戦のなかった第77回(1998年度)以前はさらに厳しく、ベスト4の4チームだけであった。「目指せ国立」は、この大会のキャッチコピーともなっている。

1月に国立競技場で行われる全国大学ラグビー選手権大会決勝との日程重複のため、当大会の準決勝を国立競技場以外で開催した事例もある。その場合、当大会で国立競技場のピッチに立てるチームは最大4チーム(国立競技場での開幕戦実施以前については2チーム)に減少する。
これに該当するのは第62回大会(1983年度)・第67回大会(1988年度)・第87回大会(2008年度)。第62回・第67回の準決勝は駒沢陸上競技場、第87回の準決勝は埼玉スタジアム2002で開催された。第67回については、1989年1月7日に昭和天皇が崩御したため準決勝は1月9日に延期されたが、会場は変更せず駒沢陸上競技場で開催された。
なお国立競技場は、2019年の開催が決定したラグビーワールドカップ2019(工期延長に伴い使用断念)及び2020年の開催が決定した東京オリンピック・パラリンピックへ向けた全面建て替え工事の施工(2016年12月着工 - 2019年11月竣工)に伴い、2014年1月の第92回大会(2013年度)決勝をもって一旦会場から外れた。第93回大会(2014年度)から第99回大会(2020年度)については、開幕戦を駒沢陸上競技場で、準決勝・決勝を埼玉スタジアム2002で開催した。

[匿名さん]

#8632023/11/26 14:34
◾️ 協賛

テレビ中継のオープニング・エンディングでのスポンサー紹介では、各社のコーポレートメッセージ・キャッチコピーが付け加えられる形での紹介方法である(年度によっては付かないスポンサーもある)。なお、協賛字幕は地方大会決勝戦と、全国大会1回戦-準々決勝までは後述の映像をバックに通常の白文字、準決勝と決勝は薄い白地絨毯+各社カラー表示を行っている。

富士フイルムビジネスイノベーション(旧・富士ゼロックス、1970年度から参加)
明治(2011年度に明治製菓〔1989年度から参加。第87回大会までは「Meiji」名義、第88・89回大会は「meiji明治製菓」名義〕から継承して参加)
帝人(1991年度から参加)
トヨタ自動車(2010年度から参加)
日本コープ共済生活協同組合連合会(CO-OP共済、2021年度から参加)


◾️パートナー

第100回大会(2021年度)から加わったカテゴリーで、サプライヤー等として参加する。

ミカサ
ミカサのALMUNDOシリーズ・FT550B-BLYが第100回大会公式試合球として使用される。
イミオ
sfidaブランドがオフィシャルウェアサプライヤーとして参加する。
リクルート(SUUMO)
KDDI(au)
なお、第67回大会の準決勝の全てのスポンサーCMおよび決勝の一部のスポンサーCMについては、昭和天皇の服喪期間中のため、環境庁(当時)の啓発CMに差し替えられた。

[匿名さん]

#8642023/11/26 14:35
◾️過去の協賛社

三洋電機(~1974年度)
東京海上(~1975年度)
大正製薬(1975~1978年度)
ブリヂストン(1970~1985年度)
日立製作所(1977~1989年度)
日産自動車(1981~1990年度)
電気化学工業(DENKA)(1989~1991年度)
ローソン(1995年度)
ナイキ(1996~2004年度)
三井ホーム(1991~2009年度)
Coca-Cola(1979~1980年度、1992~2014年度)
プーマ(プーマジャパン)(2005~2019年度)
アットホーム(2016~2019年度)


◾️過去のPT扱い

アクサダイレクト(2015年度、2020年度)
au(2015年度)
興和(2020年度)
PlayStation(2020年度)

◾️協力
KLMオランダ航空(~1985年度)

◾️配信協力
ソフトバンク(2019年度)


◾️ 全国大会の組み合わせ抽選の手順(現在)

基本的に予備抽選を経て本抽選となる。抽選会は2003年(第82回大会実施分)から、東京都港区の日本テレビ本社日テレホールで行われている。2002年には六本木のディスコ「ヴェルファーレ」で、またそれ以前は東京都立日比谷高等学校で行われた。2020年(第99回)~2022年(第101回)は新型コロナウイルス感染症の影響を考慮してオンライン形式で実施された。

[匿名さん]

#8652023/11/26 14:36
◆予備抽選

事前に全国高体連サッカー専門部の代表による予備抽選を行い、その番号が小さい順に本抽選を行なう。


◆本抽選

トーナメント表の番号(1番から48番)に各校が振り分けられる。原則として、初戦で同じ地区、ないしはそれに準じる近隣地区の学校同士が対戦しないように、1回戦は「東西対抗戦」形式となっている(福井、岐阜、愛知までが東ブロック。京都、滋賀、三重から西ブロックに分けられている)。抽選の際、東ブロックは奇数の番号札、西ブロックは偶数の番号札を引。ただし、事前の制約があるチームから抽選する。


◆シード権

シード権は、前年度の成績でベスト4以上だった都道府県に割り当てられる。出場校が異なっていてもシード権は引き継がれる。前年度優勝の都道府県のチームは1番、準優勝の都道府県のチームは48番、3位の2校は24番と25番(この2つの番号は、前年度大会の準決勝で対戦した都道府県が、決勝まで対戦しないように分けられる)にまず入る。この4校は抽選する必要がない。この際に、西ブロックのチームが1番か25番に、あるいは東ブロックのチームが24番か48番に入った場合は、東ブロックの他のチームが偶数の番号札(2番か26番)、西ブロックの他のチームが奇数の番号札(23番か47番)を引くことになる。シード校は、全チーム2回戦が初戦になる。他には、シード校の初戦の対戦相手やそれ以外のチームでも8校(トーナメント番号11番から14番、35番から38番を引いたチーム)も2回戦からとなる。

[匿名さん]

#8662023/11/26 14:37
◆東京都A・B代表の抽選

東京都にはA,B2つの代表枠があるが、都予選のA,B各ブロックの代表がそのまま東京都A,東京都Bとして決まるのではない。東京都の代表校2校が予備抽選順に抽選を行ない、東京都A代表は開催地権、東京都B代表は開幕戦の権利が与えられる。


◆開催地権の抽選

開催地である東京都A、神奈川県、埼玉県、千葉県の4校。これらのチームは、開催地区が重ならないように準決勝まで対戦しないように分けられる。まず、トーナメント表のAからDの4つのゾーンの中からどこに入るか、ゾーン抽選をする(Aゾーンが1番から12番、Bゾーンが13番から24番、Cゾーンが25番から36番、Dゾーンが37番から48番)。その後に、決まったゾーンの中のどこに入るかを決める本抽選をする。ただし、半分は西ブロックに割り当てる番号なので、各ゾーンの東ブロックの5~6枚の抽選札から選択する[注釈 86]。4校の抽選が終了すると、東京都Bのチームの抽選をする。東京は2チームが出場するので、この2校が決勝まで対戦しないよう、既に決まっている東京都Aのチームと反対側の山から2回戦を除いた1回戦の抽選札から抽選を行い、その試合が開幕戦となる。


◆東海地区の抽選

東海地区は静岡県、岐阜県、愛知県、三重県の4校だが、三重県は西ブロック、他3県は東ブロックのため、初戦で対戦しないように分けられる。まず三重県のチームが抽選する。このとき、すでにシード校の中に東の東海地区のチームがある場合は、そのチームと初戦で対戦することになる番号札を事前に抜き取ってから抽選する。

[匿名さん]

#8672023/11/26 14:39
また三重県のチームが抽選した時点で初戦の対戦相手が決まらなかった場合は、そのチームと初戦で対戦することになる番号札を一時的に抜き取ってから、残り3県のチームが抽選をする。抜き取った番号札がある場合、この抽選が終わった後に戻される。

これですべての制約のある抽選が終わる。後は残りの高校が1校ずつくじを引いていき、すべての組み合わせが決定する。これらすべての抽選は制約のあるチーム、ないチームすべて範囲内で予備抽選の番号の小さい順に行なわれる。組み合わせ決定後に開幕戦のカードを決める抽選をして(開幕戦の項を参照)、さらに選手宣誓の抽選も行なう。選手宣誓は、開幕戦を戦う2チーム以外の46チームの中から選ばれる。


◆その他、備考

混同しやすい6番と9番の番号札に関しては、アラビア数字(算用数字)に下線が引かれている。

2020年~2022年のオンライン抽選会では、平仮名に番号がランダムに割り当てられてその内の一文字を各チームのキャプテンが選択するという方法で抽選が行われた。

もし、抽選会までに代表校が決まらなかった場合は、抽選日には都道府県代表の番号だけ決めておき、代表校が決まるとその番号に入る。これまでに代表校が決まらない事例としては、災害により地区予選の開催が遅れることや、地区予選開催時期に、U-18など年齢制限のある日本代表に招集される選手がいる、またはその可能性がある場合、そのチームの主力選手の欠場による戦力的な不利をなくすためなどがあった。なお、第69回大会で採られた措置(レギュレーションの項を参照)もあった。

[匿名さん]

#8682023/11/26 14:40
◆主催者の不手際

第80回大会(2001年度)で起きた。予備抽選の後、主催者が14番目の長野県代表の松商学園高校を富山県代表(この大会の富山県代表はシード校だったため、予備抽選はあまり意味がなかったための不注意と思われる)と記してしまい、14番目以降がすべて抽選順が1つずつ間違ったまま、あと2校というところまで気付かれなかった。このため、14番目以降の抽選がすべてやり直された。このため、対戦相手も大きく変わってしまった。なかでもシード校は、前回準優勝の滋賀県代表の草津東高校は群馬県代表の前橋育英高校、前回3位の青森県代表の青森山田高校は鹿児島実業高校との強豪との初戦に変わってしまい、共に初戦で敗退している。ちなみに間違えられた松商学園高校の初戦は、前回優勝校の長崎県代表の国見高校だった。


◾️ その他特記事項

草創期に7連覇した御影師範をはじめ、戦前まで参加していた師範学校は、現在の学制では大学に相当する。また、実際に関西大学や関西学院高等部、神戸高商などの現在の大学そのものも参加していた。

学校の改組(合併など)が行われ新設校扱いになると、前身校時代からの出場回数がリセットされる(第88回大会出場校では東京A代表東久留米総合、兵庫代表神戸科学技術[注釈 91]、大分代表中津工・中津東)。一方で北海道大谷室蘭は2012年に室蘭大谷から校名を変更後、2013年に登別大谷(第72回大会出場)を統合したが、旧室蘭大谷が存続校とされたため、2014年度の第93回大会では旧室蘭大谷の出場回数のみを引き継ぎ4年ぶり30回目の出場として扱われた。

[匿名さん]

#8692023/11/26 14:41
第93回東京B代表の三鷹(同大会で2回目の出場)は、1・2年生(相当)が後身である三鷹中等教育学校の生徒であったが、新旧両校の合同チームという形態は取らなかった。なお、高校野球は基本的に前身校時代からの出場回数を引き継ぎ、高校ラグビーは学校によって対応が異なる。

開会式では西武台千葉中学校・高等学校吹奏楽部が、入場行進前のパフォーマンスや入場行進・式典の演奏を担当している(担当開始時期不詳。第98回大会を最後に中断)。

開会式の入場行進は、通常、マラソンゲートからトラックに入りメインスタンド前を通って(その際、選手達は、メインスタンドの観客に向かって手を振ったり地元の名産品を掲げるなど、挨拶を兼ねたパフォーマンスを行うことが多い)バックスタンド前で一旦整列した後、一斉にメインスタンド前まで行進して式典に移行するが、雨天の場合はメインスタンド前を通って1コーナーゲートへ退場する(その後キャプテンがメインスタンドに集まり式典が行われる)。選手宣誓後は筒状の中にテープが入った機械式クラッカー(キャノン砲)が発射されるが、これは雨天でも実施される。

2011年(2010年度)より全日本バレーボール高等学校選手権大会(通称「春の高校バレー」)が高校サッカーとほぼ重複する日程で開催する事になり、競合を避ける観点からコカ・コーラボトラーズは前身大会・全国高等学校バレーボール選抜優勝大会時代から続けた協賛杯の「コカ・コーラ杯」の贈呈を中止(協賛杯は通販・ジャパネットたかた提供に変更)したが、引き続きコカ・コーラ、アクエリアスを公式飲料として提供するなど大会協賛は第65回(2013年)まで継続していた(現在、公式飲料は大塚製薬のポカリスエットに変更)。

[匿名さん]

#8702023/11/26 14:42最新レス
◾️参考文献

全国高等学校体育連盟サッカー部 編『高校サッカー60年史』講談社、1983年。ISBN 4062000598。NDLJP:12172806。

全国高等学校体育連盟サッカー部 編『高校サッカー90年史』講談社、2012年。ISBN 978-4-06-217780-1。

[匿名さん]


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