結局終戦で出番は無かったが、日本爆撃の護衛として用意されていたのがP-51(H)
マーリンエンジンの改良型2,000 HPで759 km/h
震電が計画どうりに完成してたとして750km/h
数百機のB29にそれを上回る数のP-51Hの護衛。
震電が設計通りの性能を出し、なおかつ奇跡的な量産に成功したとしても、かなりの苦戦は必至だったハズ。
[匿名さん]
震電の開発と原爆投下の日取りって関係してたのかな
偶然にしては…
[匿名さん]
震電
1945年8月3日、試験飛行にて初飛行に成功。
続く6日、8日と試験飛行を行ったが、発動機に故障が発生し三菱重工へ連絡をとっている最中に終戦となった。
1945年8月6日 広島に原爆投下
1945年8月9日 長崎に原爆投下
アメリカは震電の存在を知ていたとか?
[匿名さん]
偶然やろ。
例え震電が完成していたとして、戦局に影響する事は無かっただろう。
現実的に、戦闘機を量産する生産力は無かったし、搭乗員も残って無かった。
[匿名さん]
米下っぱ「なんか日本でB29の迎撃機作ってるっぽいっすよ」
米偉いさん「ちょマジ?原爆落とせなくなっちゃうじゃん!」
なんてね
[匿名さん]