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2020/10/10 08:50
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政治総合





NO.8853371

総括された「南京」の捏造③
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#8012020/10/04 04:49
>>798
❌にぎる子と→⭕️握る事

[匿名さん]

#8022020/10/04 05:05
>>800
訂正。
「お前」というはパヨクじゃ無くて、パヨクに踊らされるただのデュープスだった。ここに訂正してお詫び申し上げますwww
www

[匿名さん]

#8032020/10/04 05:09
>>790
俺のソースをググって探そうとしても無駄だぞ。お前のネットに転がってるパヨクの作文とは訳が違うんだから

[匿名さん]

#8042020/10/04 05:22
>>796
自衛の戦争です。アメリカとイギリスに至っては、自国の利益の為に行う外国への武力の行使まで侵略では無いと言ってます。

[匿名さん]

#8052020/10/04 18:36
>>800
2.26を勉強しなさい。事実を嘘とするのは歴史を修正してるだけ

[匿名さん]

#8062020/10/04 18:39
>>798
大政翼賛会や治安維持法によって 軍国主義が強化されたためです。
国民の責任ではありません。満州事変は関東軍の謀略によるものです。

[匿名さん]

#8072020/10/04 18:41
>>798
岡田啓介(おかだけいすけ)首相に代わって、新しく内閣総理大臣となった広田弘毅(ひろたこうき)首相は『思想犯保護観察法』を成立させます。この法律は「危険思想によって罪を犯した人物が、再び犯罪を起こさないように監視する」というものです。
『二・二六事件』で武力行使を起こした将校たちを意識した法律であることは誰の目から見ても明らかで、これ以降、思想行動の監視が強化されます。
また、陸軍の実権を握った「統制派」は、広田弘毅が組閣する際、さまざまな口をはさみ、さらに『軍部大臣現役武官制』が復活し、軍の了解なくして内閣が存続できないようにしました。このように『二・二六事件』をへて、ますます軍部の政府に対する力は強まっていったのです。

お前の言ってる事がファンタジーなんだよ。

[匿名さん]

#8082020/10/04 18:44
>>799
国として自衛の戦争だったなどと言ったことはない
歴代の総理の談話にも侵略の文言が入れられ、アベ政権も侵略を否定せず河野談話を引き継ぐと言っている

[匿名さん]

#8092020/10/04 18:48
>>798
二大政党の時代ではあったものの、昭和7年(1932年)5月15日犬養毅首相が暗殺され(五・一五事件)、戦前の政党内閣は終焉を告げたのである。犬養が暗殺されたのは、日本が孤立することを恐れて満州国の成立を承認しようとしなかったため、それに不満を持った軍部によって暗殺されたのである。そして、この事件や血盟団事件などによってテロにおびえた政治家は、以後は斎藤実などの軍人内閣によって組閣が行われるようになった。

[匿名さん]

#8102020/10/04 18:50
>>804
東京裁判 サンフランシスコ講和条約を受け入れてます(笑)
日本は敗戦国です。

[匿名さん]

#8112020/10/04 18:50
>>803
アホすぎて、ググる必要が無い

[匿名さん]

#8122020/10/04 18:52
>>800
事実ですよ(笑) 

[匿名さん]

#8132020/10/04 19:01
凋落を続ける政党に対して、発言力を増大させていったのは軍部であった。特に昭和11(1936)年の2.26事件と軍部大臣現役武官制の復活は、軍部の政治的影響力の増大を象徴するできごとであった。後者は、軍部の政治的発言権を保証する手段として利用され、軍部の意向に反する宇垣内閣の成立を阻止するまでにいたった。昭和12(1937)年には日華事変が勃発し、政府が軍部をコントロールできぬまま泥沼化していった。

[匿名さん]

#8142020/10/04 19:02
>>800
2.26はおろか 5.15事件も理解していないと思われる。

[匿名さん]

#8152020/10/04 19:03
柳条湖事件と盧溝橋事件を混同するくらいのアホですからね。

[匿名さん]

#8162020/10/05 03:46
また逃げた模様。

[匿名さん]

#8172020/10/05 04:37
>>805
パヨクがネット上にばら蒔いてる作文のコピペしか出来ないデュープスが勉強ってか?www

[匿名さん]

#8182020/10/05 04:46
>>806
普通選挙によって国民に支持され選ばれた政治家が行った事だ。軍による独裁政治で国民を抑圧した国は例外無く反対運動が劇化し、それを鎮圧する為に軍は自国民に対して武力を行使する。

日本においてはそんな事例の記録など一切無い。これは政府に対する大多数の国民の支持があったという証しであり、軍や政府によって国民が強要されてたという事例も記録も存在しない。

[匿名さん]

#8192020/10/05 04:59
>>807
国家にとって危険な思想を持った団体や人物を監視するのは国民の生命や資産を守る為に当たり前の事だ。現在でも破防法の対象として日本共産党が公安からの監視対象だ。それを否定するとは、お前は共産党員なのか?www

不当な要求ならキッパリと拒否するのが国政を預かる政治家の勤めだ。軍が暴力で政府を脅迫したような記録でもあるのか?

どう考えても軍が権力を掌握したなんてのはお前ら反日左巻きバカのアホ共の妄想www

[匿名さん]

#8202020/10/05 05:03
>>814
その事件をきっかけに軍が権力を掌握したという、お前らの妄想など誰が理解出来るんだよバカwww

[匿名さん]

#8212020/10/05 05:05
>>815
誰がいつ混同したんだよ。現実とファンタジーを混同してるのはお前だろがハゲwww

[匿名さん]

#8222020/10/05 05:08
>>816
構ってちゃんかお前はwww

お前みたいなデュープスの相手なんかずっとしてられるかよボケ。ヒマ見つけて遊んでやるから大人しく待っとけ猿www

[匿名さん]

#8232020/10/05 05:16
>>810
だから何だ?

[匿名さん]

#8242020/10/05 05:20
>>811
嘘こけ猿www

ググりまくっても反論出来る材料が見つからなかった為に必死で絞り出した負け惜しみがそれか?www

[匿名さん]

#8252020/10/05 05:22
>>812
何を根拠に事実だと言い切れるんだ?言ってみろよ猿

[匿名さん]

#8262020/10/05 05:42
>>813
ざっくりしてんなwww
そんな単純じゃねーだろ。この年の4月には総選挙が行われてる。政治に民意が反映されている事は明らか

■昭和12年(1937年)の政治・経済

1.21 衆院での浜田国松代議士(政友会)の質問演説に,陸相寺内寿一,軍を侮辱したとして反発(いわゆる腹切り問答)。軍の政党非難激化。
1.23 寺内陸相,議会の解散を強硬に要求して政党出身閣僚と対立。広田内閣,事態収拾不能となり総辞職。
1.25 宇垣一成(陸軍大将・元陸相)に大命降下。陸軍が陸相候補を推薦せず,組閣に失敗(1.29宇垣辞退)。
2.2 林銑十郎(陸軍大将)内閣成立。蔵相に,財界の信頼厚い興業銀行総裁結城豊太郎。
3.31 林首相,議会刷新を理由として抜き打ち的に衆院を解散(食逃げ解散)。
4.5 防空法公布。空襲に際し,灯火管制・避難・消防・救護等の迅速な施行を企図。
4.30 第20回総選挙(民政党179,政友会175,社会大衆党37,昭和会19,国民同盟江東方会11,日本無産1,中立その他33)。
5.14 企画庁設置(国家総動員計画業務の強化)。
5.31 林内閣,軍部・政党の支持を失い総辞職。
6.4 第1次近衛文麿内閣成立。陸・海相留任。

[匿名さん]

#8272020/10/05 06:09
>>813
政府が軍をコントロール出来無かったというのもパヨクの作り上げたファンタジー

>>明治憲法には『統帥権』という言葉はない。統帥とは、元来は軍の指揮権であり、いずれの国であれ、これは独立した一機関が持っている。

簡単に言えば、首相は勝手に軍を動かすことは出来ない。しかし軍も勝手に動くことは出来ない。というのは少なくとも近代社会では、軍隊を動かすには予算が必要だが、これの決定権を軍は持っていないからである。

具体的に言えば、参謀本部が作戦を立案するのに政府は介入できない。しかしその作戦を実施に移そうとするなら、政府が軍事費を支出しないかぎり不可能である。動員するにも、兵員を輸送するにも、軍需品を調達するにも、すべて予算を内閣が承認し、これを議会が審議して可決しない以上、不可能である。

日華事変で近衛は『不拡大方針』を宣言した。しかしその一方で、拡大作戦が可能な臨時軍事費を閣議で決定して帝国議会でこれを可決させている。

近衛が本当に不拡大方針を貫くなら、拡大作戦が出来ないように臨時軍事費を予算案から削れば、それで目的が達せられる。彼にはそれだけのことを行う勇気がなかった。というより軍に同調してナチスばりの政権を樹立したい意向があった。園遊会で彼はヒトラーの仮装をしているが、翼賛会をつくりナチス授権法のような形で権力を握って『革新政治』を行いたいのが彼の本心であった。

[匿名さん]

#8282020/10/05 06:31
>>815
戦前の日本は民主主義では無かったとか言ってたアホはお前だろwww

[匿名さん]

#8292020/10/05 18:38
「戦前」は、政党政治の終焉となった犬養毅首相暗殺事件(五・一五事件)に始まると見るのが一般的である。 

政党政治が機能してないのに 民主主義の国であったとは言えません。
日本国じゃなく大日本帝国です。帝国主義であり 主権は国民ではなく天皇です。

[匿名さん]

#8302020/10/05 18:40
>>818
治安維持法により 戦争に反対する人達も共産主義とみなされ弾圧されましたよ。

[匿名さん]

#8312020/10/05 18:42
>>820
岡田啓介(おかだけいすけ)首相に代わって、新しく内閣総理大臣となった広田弘毅(ひろたこうき)首相は『思想犯保護観察法』を成立させます。この法律は「危険思想によって罪を犯した人物が、再び犯罪を起こさないように監視する」というものです。
『二・二六事件』で武力行使を起こした将校たちを意識した法律であることは誰の目から見ても明らかで、これ以降、思想行動の監視が強化されます。
また、陸軍の実権を握った「統制派」は、広田弘毅が組閣する際、さまざまな口をはさみ、さらに『軍部大臣現役武官制』が復活し、軍の了解なくして内閣が存続できないようにしました。このように『二・二六事件』をへて、ますます軍部の政府に対する力は強まっていったのです。

[匿名さん]

#8322020/10/05 18:43
>>826
凋落を続ける政党に対して、発言力を増大させていったのは軍部であった。特に昭和11(1936)年の2.26事件と軍部大臣現役武官制の復活は、軍部の政治的影響力の増大を象徴するできごとであった。後者は、軍部の政治的発言権を保証する手段として利用され、軍部の意向に反する宇垣内閣の成立を阻止するまでにいたった。昭和12(1937)年には日華事変が勃発し、政府が軍部をコントロールできぬまま泥沼化していった。

ちゃんと読めよ。

[匿名さん]

#8332020/10/05 18:45
>>818
はじめは共産党(1922年結成)などの社会革命をめざす運動を取り締まるものであったが、次第に政府の政策を批判する自由な発言も取り締まりの対象となり、穏健な自由主義者や労働運動なども取り締まりの対象となっていった。また1928年の田中義一内閣は、勅令で最高刑に死刑を加え、軍部に対する反対運動や反戦活動を厳しく弾圧する手段とされた

[匿名さん]

#8342020/10/05 18:50
>>819
陸軍の実権を握った「統制派」は、広田弘毅が組閣する際、さまざまな口をはさみ、さらに『軍部大臣現役武官制』が復活し、軍の了解なくして内閣が存続できないようにしました。このように『二・二六事件』をへて、ますます軍部の政府に対する力は強まっていったのです。

政治家は軍部に命を狙われるのを恐れたんだよ。昭和史の常識。

[匿名さん]

#8352020/10/05 19:39
>>829
お前みたいなアホが「あったと言えません」とかいくら言っても、選挙制度や議院内閣制、政党政治といった仕組みがある以上は民主主義以外の何物でもない。成熟度の差だけ

[匿名さん]

#8362020/10/05 19:41
>>830
どこで誰がどんな風に弾圧されたんだ?

[匿名さん]

#8372020/10/05 19:44
>>831
>>819←これを読め。同じコピペを何度もするなカス

[匿名さん]

#8382020/10/05 19:45
>>833
弾圧した事例がどこにある?

[匿名さん]

#8392020/10/05 19:45
>>834
お前の作り話

[匿名さん]

#8402020/10/05 19:49
>>832
>>827←これを読め。政府が軍部をコントロール出来ないなんて嘘だバカ

[匿名さん]

#8412020/10/05 20:02
>>829
>>民主主義とは、国民に政治の主権を委ねる国家体制のことである。簡単に説明すると、国民が国の重要な決定権を持つ考え方である。英語では democracy と表現し、日本で大正時代に広がった民主主義化の流れを「大正デモクラシー」と呼ぶ。

民主主義の基本は多数決である。選挙や国会での決議など、民主主義化における重要とされる意思決定は多数決によって行われてきた。それゆえ、議論が速やかに終わるのは民主主義の特徴である。一方で、民主主家国家では少数派意見が黙殺されやすい問題も見受けられる。

[匿名さん]

#8422020/10/05 20:25
>>829
>>日本は大日本帝国憲法65条によって、絶大な力を大衆側に与えるという決断をした。65条に何が定められているかというと、国家予算の先議権は衆議院が持つということである。

よく日本の歴史の授業では戦前の衆議院が予算の先議権しか持たない弱い存在であるという言及がなされているが、それは間違いである。国家予算というの国家の意志であり、それが否定されたら政権は、やりたいことが何もできない状態に陥いり、総辞職に追い込まれる。

[匿名さん]

#8432020/10/06 03:58
>>842
昭和11(1936)年の2.26事件と軍部大臣現役武官制の復活は、軍部の政治的影響力の増大を象徴するできごとであった。後者は、軍部の政治的発言権を保証する手段として利用され、軍部の意向に反する宇垣内閣の成立を阻止するまでにいたった。昭和12(1937)年には日華事変が勃発し、政府が軍部をコントロールできぬまま泥沼化していった。

予算とか関係ないから(笑)

[匿名さん]

#8442020/10/06 04:00
>>841
大正デモクラシーが進展した結果、1925(大正14)年、加藤高明内閣で普通選挙法(日本)が成立したが、それと同時に治安維持法も制定された。国体(天皇制)の変革や、私有財産制の否定を目的とした結社とその運動を禁止することを法律として可能とした。具体的には、はじめは共産党(1922年結成)などの社会革命をめざす運動を取り締まるものであったが、次第に政府の政策を批判する自由な発言も取り締まりの対象となり、穏健な自由主義者や労働運動なども取り締まりの対象となっていった。また1928年の田中義一内閣は、勅令で最高刑に死刑を加え、軍部に対する反対運動や反戦活動を厳しく弾圧する手段とされた

[匿名さん]

#8452020/10/06 04:02
>>840
陸軍の実権を握った「統制派」は、広田弘毅が組閣する際、さまざまな口をはさみ、さらに『軍部大臣現役武官制』が復活し、軍の了解なくして内閣が存続できないようにしました。このように『二・二六事件』をへて、ますます軍部の政府に対する力は強まっていったのです。

[匿名さん]

#8462020/10/06 04:05
犬養毅首相暗殺事件(五・一五事件)により 政党政治は終焉している。

[匿名さん]

#8472020/10/06 04:07
>>819
犬養が暗殺されたのは、日本が孤立することを恐れて満州国の成立を承認しようとしなかったため、それに不満を持った軍部によって暗殺されたのである。そして、この事件や血盟団事件などによってテロにおびえた政治家は、以後は斎藤実などの軍人内閣によって組閣が行われるようになった。

思いっきり軍が脅迫してますよ(笑)

[匿名さん]

#8482020/10/06 04:08
>>839
事実ですよ(笑) 事実を嘘だと言うのは歴史を修正してるだけ

[匿名さん]

#8492020/10/06 05:04
>>845
軍がやったのは軍部大臣を任命せず組閣を妨害するという嫌がらせだけ。政府が本気で軍を抑える気があるのなら予算を削り、軍部大臣現役武官制を廃止、又は改正すれば良いだけ。現に1913年、日露戦争後の世論の軍閥政治への批判の高まりから、山本権兵衛内閣が軍部大臣現役武官制を廃止している。

5・51事件以降、メディアが青年将校達を擁護する記事を連日掲載し、軍部を支持する世論を形成した事が日本を誤った方向へと導いたのであって、軍部が武力を用いて日本の権力を手中に納めたからというのはパヨクが作り上げたファンタジー以外の何物でもない。

日本を誤った方向へ導いた要因は何だったのか?を正しく評価しないと再び同じ過ちを繰り返す。軍部だけを悪者に仕立て上げ、本当の要因から目を逸らさせようとする勢力が日本に巣くう諸悪の根元である事を知るべき

[匿名さん]

#8502020/10/06 05:06
>>843
金が無けりゃ動けねーだろ。バカなのか?

[匿名さん]

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