>>910
>>日本の歴史教科書の大ウソ
昭和12年7月に始まったとされる日華事変(教科書では日中戦争)について、「北京郊外での日中両軍の衝突によって日本と中国が全面戦争状態に入った」などと書かれる。が、これは正しくない。
盧溝橋事件は日本の支那駐屯軍と中国の宋哲元軍(第29軍)との衝突だが、10日後には宋が日本軍の香月清司軍司令官に遺憾の意を表明して停戦が成立している。しかも、日本軍の桜井徳太郎少佐が宋哲元軍の軍事顧問をしていたのである。日本軍と米軍が戦争しているときに、日本軍人が米軍の軍事顧問になるだろうか。
その後、8月13日に第二次上海事変が起こり、日本軍と蒋介石軍との間で戦争状態となるが、日本軍が戦ったのは、蒋介石軍と、共産軍である八路軍であり、蒋介石軍と八路軍もまた、互いに戦争状態にあった。蒋介石軍と八路軍が戦闘をしている場面に出くわした日本軍が両軍の戦闘を傍観するということもあった。
さらに、日本政府は国民政府の汪兆銘と協定を結び、その結果、日本軍は汪兆銘軍と共同して作戦を遂行したりしている。日本の将兵と汪兆銘軍の中国人将兵が一緒に行軍して、八路軍と戦うということもあった。
また、上海のクラブでは、中国人バンドの演奏で、日本人と中国人が同じテーブルで酒を飲み、歌を歌い、踊りを踊っていた。そこにはアメリカ人もイギリス人もいて、中国各地で繰り広げられている日本軍、蒋介石軍、汪兆銘軍、八路軍の動向が話題に上ったりもしていた。映画「上海バンスキング」の世界である。
当時の日本は政府であれ、軍であれ、国民であれ、中国と戦争をしているという自覚はなかったのである。あえていえば、日本の権益を守るために、それを妨害する蒋介石軍と八路軍を懲らしめているといった認識であったろう。あくまで戦争の対象は「蒋介石」であったから、「援蒋ルート」などの言葉も生まれたのである。